エピローグー4
少し時が流れています。
1934年の8月上旬です。
1934年8月上旬、土方歳一少佐は、父、土方勇志伯爵の代わりに、林忠崇侯爵の供をして、墓参りに行っていた。
林侯爵も老骨の身である。
知人の墓参りに赴くのなら、一人で行くのが、本来なのだが、何かあっては、と周囲が心配することから、林侯爵は妥協案として、土方伯爵を、当初は供にするつもりだった。
だが、土方伯爵が、暑気あたりをしたのか、余り体調が良くないことから、土方伯爵が、息子の土方少佐を推挙し、土方少佐が、結果的に林侯爵の供をすることになった。
土方少佐は、林侯爵の後ろを付いて歩みながら思った。
父が体調不良なのは、半ば本当だが、父としては、自分と林侯爵を直接、話させることで何か学べるものがあるのでは、とも考えたのだろう。
年齢差に加え、階級差もあり、土方少佐と林侯爵が、直接、言葉を交わしたことは無いと言っても過言では無かった。
様々な伝説をまとい、幕末以来の時代を、直接眺めてきた老提督が、今、自分の目の前にいる。
「お前さんが、先にくたばるとはな。わしが、くたばるのが先と思っておったが」
林侯爵は、相変わらずの減らず口を叩きながら、東郷平八郎元帥の墓に、線香を手向け、手を合わせた。
東郷平八郎元帥は、先日、1934年5月30日に亡くなっている。
山本権兵衛元首相も、1933年12月8日に亡くなっており、戊辰戦争を経験した海軍の将帥で生き残っているのは、最早、林侯爵、唯一人と言ってよい状況になっていた(細かく言うと、柴五郎提督が経験者で存命しているが、戊辰戦争時には10歳にもなっていない。)。
「お前さんに、葬儀の際に弔辞を読んでもらうはずが、わしが読む羽目になったわ。先に逝きおって」
林侯爵は、更に減らず口を叩いているが、その口調に深い哀しみを湛えているのが、土方少佐には分かった。
本来から言えば、林侯爵は、大名家の出身であり、上品な口調を身に着けている。
だが、幕末以来の生活、海兵隊暮らしが、林侯爵に、そんな口調をまとわせていた。
海兵隊は、志願兵の集まりと言えば、聞こえはいいが、貧困層が食うに困って志願する者が多いというのが長年の実態だった。
だから、サムライという異名にもかかわらず、士官はともかく、下士官、兵の海兵隊員の口調は、極めて荒い。
林侯爵も長年の海兵隊生活で、そういった荒い口調に馴染み、自分も使うようになっていた。
その後、林侯爵は、東郷元帥の墓前で再度、手を合わせ、しばらく無言でたたずんだ。
土方少佐は思った。
林侯爵は、幕末以来の過ぎ去った時をしのんでいるのだろう。
どれくらいの時が流れたのか、林侯爵は、振り返り、土方少佐を向いて、語りかけた。
「名残が尽きんが、帰るか」
「分かりました」
歩み出した林侯爵の後を、土方少佐はついて歩んだ。
林侯爵は半ば独り言を呟いた。
「山本元首相も逝き、東郷元帥も逝った。わしも、いつ逝くことになるかな。少佐、父上に伝えておけ。わしにお前の弔辞を読ませるな。お前がわしの弔辞を読め。これは元帥からの命令だとな」
「元帥の命令でも、人の寿命は動かせませんが」
土方少佐は思わず言った後で、しまったと思った。
林侯爵のまとった雰囲気が、土方少佐に、口を滑らせていた。
「全く、冗談の分からん奴だ。息子の教育に失敗しておるな」
林侯爵は、雰囲気を変えるためだろう、更に減らず口を叩いた。
土方少佐は、暑さもあるだろうが、背中に汗のにじむ思いをした。
土方少佐は話題を振ることにした。
「お盆前に来たのは、何故です」
「知り合いには会いたくなかった。こういうのはな、一人で義理を果たすものだ」
土方少佐の問いかけに、林侯爵はそう答えた。
土方少佐には、林侯爵の背中が寂しく見えた。
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