第5章ー8
その後、土方歳一少佐は、岡村徳長少佐と共に、神重徳少佐からの質問に、いろいろと答える羽目になってしまい、2時間で飲み会を終えて、明日に備えるつもりが、3時間以上も話に付き合うことになってしまった。
途中から酒を止めて、話に徹したとはいえ、精神的に更に疲れた状態で、会合に土方少佐達は出席する羽目になった。
何となく頭が重い、そんなふうに思いながら、会合の話を聞くとも無しに、土方少佐は聞いていた。
表向きは熱心に会合に参加しているように土方少佐は装っており、懸命にメモを取っている振りをしているが、形だけの代物で、自分でも、後で見ても役に立たないな、と自認している有様だった。
そんな状況にもかかわらず、会合は進行している。
「ともかく、今後、水陸両用作戦を展開せねばならない状況に備えねばなりません。中国、北京政府と敢えて呼称しますが、と事実上の戦争状態となった時に、海兵隊が水陸両用作戦を展開できる能力を保有せずに戦えると思われますか」
海兵隊の山田勇助少佐が吠えていた。
岡村少佐が、土方少佐にそっとささやいた。
「山田少佐は営口上陸作戦の第一陣上陸部隊の一員だった。その際に、いろいろと酷い目に遭ったらしい」
成程、骨身に沁み込まされたわけか、土方少佐は、山田少佐に何となく同情した。
だが、半分以上聞き流していた土方少佐でさえ、山田少佐の話の内容の節々には共感した。
熱心に聞いていた面々に与えた影響はかなりあったろう。
水陸両用作戦を実施するのは、様々な問題を引き起こすが、ある程度は要約できる。
1、指揮系統、
2、艦砲射撃、
3、航空支援、
4、輸送船から上陸地点への移動、
5、海岸での橋頭堡の確保、
6、兵站、
大雑把に要約すれば、上記の6点に集約されるだろう。
第一次世界大戦でガリポリ半島上陸作戦の増援部隊として戦訓を蓄積し、更に今回の営口上陸作戦で戦訓を蓄積できた日本海兵隊は、現在の世界ではトップクラスの水陸両用作戦の経験部隊だった。
特に上陸作戦の際に、航空支援を行うというのは、日本海兵隊が世界の先駆けとして誇れる実績だった。
だが、この戦訓が、逆に水陸両用作戦の問題点を、日本海兵隊に痛感させてもいた。
細かく書き出すとキリがないので、詳細は省略するが、この問題点解決のために、日本海兵隊は、陸海空の三軍に助けを積極的に求めざるを得ず、陸海空の三軍も、対中戦には必要不可欠であり、対ソ戦でも必要になり得る可能性が高い作戦として、水陸両用作戦を考えたことから、海兵隊に救いの手を差し伸べた。
そして、このために新兵器の開発等が、急がれることにもなったのである。
ちなみに、水陸両用作戦展開の為に欲しいというか、必要な独自の兵器としては次のような兵器がある。
1、上陸用舟艇。
実際、海兵隊と陸軍は、第一次世界大戦の戦訓もあり、いわゆる小発、大発の開発を1920年代には完了してはいる。
だが、これでは89式戦車を上陸作戦に投入することはできず、歩兵(海兵)と装甲車、トラック等を運ぶのが精一杯の代物だった。
営口上陸作戦で、石原莞爾中佐が戦車投入を諦めざるを得なかったのも、こういった事情からだった。
山田少佐は、石原中佐の無念を覚えていたので、この会合でも力説した。
2、水陸両用上陸用装甲車
歩兵や物資を積んで、陸上でも水上でも進める装甲車というのは、上陸作戦を行う際にも、その後の物資の揚陸にも役に立つ代物だった。
また、一部を改装することで、火力支援用にも転用することができた。
こちらの方は、1933年当時には、まだ影も形も無く、営口上陸作戦の経験から、こういった装甲車はできないか、と考えられている段階に過ぎなかった。
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