第5章ー5
更に問題があるな。
土方歳一少佐は、頭の中で考えを巡らせた。
歩兵が携帯可能な兵器で、この仮想の戦車を破壊できるだろうか。
歩兵が戦車に対抗する手段は何があるだろうか。
第一次世界大戦で主に使われたのは、対戦車銃(通常の小銃から、対戦車用の貫徹力の高い小銃弾を使うことで対処する場合もある)だった。
だが、戦車の装甲を貫徹できるだけの銃弾を打ち出す以上、かなりの反動が生じるのは止むを得ない話であり、更に、その反動を何らかの方法で受け止める必要がある。
独が第一次世界大戦で実用化したマウザーM1918が、(1933年当時では)代表的な対戦車銃だが、この銃の反動は極めて大きい物で、1発撃つと肩がやられるので、1人では2発撃つのが精一杯と言われる代物だった。
かといって、これより銃の反動を小さくしては、威力が弱くなるのは止むを得なくなる。
そして、マウザーM1918でさえ、25ミリの装甲を撃ちぬくのが精一杯だった。
そして、これ以外の方法となると。
歩兵が対戦車爆弾を抱えて、体当たり等するしかない。
何らかの新方法を生み出す必要があるな。
土方少佐は、そう考えざるを得なかった。
実際、他の多くの人もそう考えたことから、携帯可能な対戦車ロケット砲を、1930年代末に日本は開発して実戦に投入することになるのだが、それは、まだ、かなり先の話だった。
土方少佐は、思いの外、自分の考えに耽っていた。
土方少佐が我に返った時には、議題は棚上げされ、会議は次の議題に移っていた。
「空軍と海軍航空隊は、どのように発展していくべきか。そして、それを仮想敵として、陸軍や海軍、海兵隊はどのような対空兵器を備えるべきか」
これは、また、難題だな。
土方少佐は、そう考えた。
基本的に、日本空軍は、本土防空を第一任務と考えていた。
そして、第二任務として、(直接的、又は間接的な)地上部隊の支援を考えていた。
もちろん、それ以外の任務を全く考えていない訳ではない。
空軍内にも、戦略爆撃可能な航空機を(開発)保有すべきという論者はいるし、海軍本体からは、対艦任務を、ある程度は考慮してほしいという要望が空軍に出されている。
それ以外にも、人員や物資の空輸能力を一定以上は持つべきだ、等々、空軍にはいろいろ要望があった。
海軍航空隊も、いろいろな任務を与えられていた。
艦隊防空任務に、軽艦艇に対する対艦攻撃任務(この当時は、戦艦は航空攻撃で沈めるのは無理だと考えられていた。)、対潜哨戒任務に、場合によっては、地上部隊の支援任務等々。
(皮肉なことに海軍航空隊の本格的な初任務は、ガリポリ作戦における海兵隊の地上支援だった。)
だが、空軍との協定により、海軍航空隊は、陸上機を保有しておらず、艦上機、水上機、飛行艇、飛行船を保有するに過ぎなかった。
そして、航空機の構造等も、一大変革が迫られようとしていた。
複葉機から単葉機へ、更に機体等が全金属製へと移行しようとしていたのである。
実際、海軍は七試艦戦を、空軍は七試単戦を試作する等、新型戦闘機の開発に既に着手していた。
それ以外に、当然、爆撃機(攻撃機)、偵察機を新たに開発する必要がある。
日本は、第一次世界大戦の因縁もあり、イスパノスイザから水冷エンジンを導入する等、米英仏から積極的な技術導入を図り、航空技術の進歩を図らざるを得ない事態に突入していた。
だが、こうして航空機が進歩することは、当然、矛と盾の関係のように、対空戦闘も進歩することを迫ってもいた。
75ミリ口径の八八式高射砲が導入されたばかりにも関わらず、75ミリでは口径不足だとして、更なる大口径化が、一部から要望される事態が引き起こされていた。
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