21
ゆっくりと食べながら、ことちゃんの旅行の話を聞いたり試験の結果なんかを聞いていた。
時々尋ねられて大学の話をしたりしたけれど、不自然なまでにこないだの高校での話はしない。もちろん、ことちゃんがプールに行った話も出ない。そして楓花の話も全く出なかった。
それに安堵しつつも、自分から話そうとも思えない。まだ腹を括りきれない自分に嫌気がさす。途中途中に、妙な沈黙が出来ては『まだ上がらないね』ってことちゃんが呟く。その呟きは、まるで早く終わって帰りたいと願っているかのようで、切なく耳に響いた。
――去年はどうしてたっけ
ふと去年の記憶を掘り起こそうと、頭の中のページを捲る。
去年はことちゃんと一緒に居るのが嬉しくて、楽しくて、少しでも触っていたくて、最後には後ろから抱きしめて離さなかった……なんて記憶に辿りつく。今も変わらず、気持ちは同じだ。いや、それ以上――倍かもしれない。だから、抱きしめたら止まれない気がした。でも、もう少しだけ。もう少しだけ近づくことは許されるだろうか。
「ことちゃん」
「……なぁに?」
力を入れ過ぎて神妙そうな声音で呼んでしまい、ことちゃんを警戒させた気がした。慌てて力を抜いて緩やかに笑みを浮かべて、そっと小さい声でお願いをした。
「こっち、来ない?」
何をこんなにビビッてるんだろう、そう自分でも思うくらい声が震えた気がした。情けない自分を誤魔化すように視線を横にずらすと、じゃり、とことちゃんが立ち上がったのか、草履が地面と擦れる音が聞こえる。
1歩、2歩と近づいてくるのを感じる度、ドクドクと心臓が音を立てる気がする。落ち着きのない自分が恥ずかしくて、本気で情けない。
「こっちで、いい?」
俺の座っているベンチの端を指して、ことちゃんが尋ねる。それに頷くと、ことちゃんはゆっくりと隣に腰かけた。ふわっと風が揺れて、ことちゃんの匂いが鼻に届く。
――あれ?
「ことちゃん、何かつけてる?」
さっきまで人ごみにいたせいで気づかなかった香りに、またドキリとした。
「あの、こないだ真理亜とアロマオイルを買って。匂い玉に垂らしてタンスに入れてみたの。服……じゃないけど。他のとかに少しだけ香りがついてるかも。変、かな」
また少し妙な顔をして俯いてしまった。なぜだろう、俺はことちゃんの顔を曇らせてばかりだ。
「ううん、いい匂い。んー……カモミール?」
そう言うとどこかホッとした顔をして、俯いていた顔を上げたことちゃんが俺の顔を見た。思わずそのままキスしたくなって、少しだけ目線を逸らす。なんでこんなにダメなんだ、俺って。
「……うん、そう。流石だね、ちぃくん」
「俺も、その香り好きだから」
そう言うと、また少しことちゃんが俯く。ぴょこっと見える耳が赤くなった気がして、それにほんの少し気分が向上した。
ドン、ドンドンドン―――
「あ……」
ようやく上がり始めた花火の音で、ことちゃんの身体が反対に向いて空を見上げた。普段は下してある髪がお団子になっていて、目の前で揺れる。小さい花がいくつか集まったかんざしが挿しこまれていて、ことちゃんらしさに頬が緩む。
――俺のために、おめかししてきてくれたってことだよな?
そう思ったら、ますます気持ちが膨らんでいく。そっと後ろから近寄って……抱きしめかけて、やっぱり止めた。
どうしてこんなに落ち着かないのか、本当は分かってる。調子に乗って生徒会室であんなことをしたせいだ。あの日、久しぶりに見たことちゃんはいつもどおりだったけれど、本当に嬉しそうな顔をしていて。それが俺に会えたことで見せてくれる顔だと思ったら止められなかった。
加えて場所は、俺も過ごしていた生徒会室。もう使うことがないこの部屋でことちゃんと二人、というシチュエーションは俺の心を何とも擽って、今まで抑えていたのに『つい』やりすぎてしまった。触れる度に漏れた甘い声は何の前触れもなく俺の耳に蘇ってきて、余計におかしな気分にさせる。
本当は痕なんてつけるつもりはなかった。けれど誰にも盗られたくなくて、触られたくなくて……無性に俺のだと主張したくなった。その時に触れた胸の柔らかさも、俺の煩悩をおかしく狂わせていく要因だ。また一人で脳内葛藤を始めていた頭を振って、ことちゃんに合わせて空を見上げた。去年と同じ綺麗な花が演出されているはずなのに、なぜか今年はそこまで感動できない。
目の前で時折動くお団子を見つめながら、動くたびに漂うことちゃんの香りに誘惑されてたまらなくキスをしたくなる。それでも箍が外れそうな気がして、ましてや人が増えてきたこともあって……去年したことは棚に上げながら、俺はただただ我慢の数十分を過ごした。
こちらを向かないことちゃんがどんな顔をしているかなんて、俺に想像する余地は全くなかった。
――――――
それからしばらくまた会えない日が続いたけれど、恙無い日々を過ごしていた。喧嘩前と同様にメールのやりとりをして、電話をたまにする。けれど、その回数が少し減っていることに気が付いたのは1週間くらい経ってからだった。電話をすると、言葉が詰まる、話が止まる。それは明らかに喧嘩が原因で、二人の間で全く解消されていないことを指していた。
ことちゃんは流されていそうでいて、ちゃんと芯のある子だ。言いたいことを言えないわけでもない。けれど彼女の言いたいことを封鎖しているのは俺だということに、自分で気が付いていなかった。
夏休みだというのに、すっかりすれ違ってしまった俺たちは、ほとんど会えないまま夏の終わりを迎えていた。このままではマズイ、そう思いながらも誘う口実が見つけられなくて何て言っていいのか分からない。
『今日は、調べものに中央図書館に行ってきます』
メールの着信音が鳴って、携帯を開くとことちゃんからメールが届いていた。律儀に今日の予定を教えてくれることちゃんに苦笑しながら、今日はバイトが無いなと思いながらシフト表を確認する。夏の間、短期間だけ母親の持つ店舗に雇ってもらった。母親の元でというのが不本意な気もするけれど、背に腹は代えられない。
慣れた手つきで0番を押してから通話ボタンを押す。あっという間にことちゃんに繋がり、プルルルルと鳴るコールが途切れるまでドキドキした。
『……もしもし』
「今いい?」
『うん、大丈夫』
「あのさ、俺も行っていい?」
『……図書館?』
「うん、そう」
彼女の行く図書館に強引についていこうとする彼氏、それってどうなんだ? なんていうツッコミはせずに、ことちゃんの返事を待った。もしかしたら麻生さんと行くつもりかもしれないし、一人で行きたいかもしれない。というより、俺が居て欲しくないという可能性もある。
『いいの? 図書館、つまらなくない?』
否定されているわけじゃない感じがして、少しだけ安堵する。いや、言い方から考えれば遠まわしにお断りされているのかもしれないけれど……俺は構わず強引に行くことに決めた。
「つまらなくないよ。ことちゃんがいるのに」
『……嘘ばっかり』
「嘘じゃない。本心だから」
本気で訴えるように伝えると、電話の向こうで息まで止まったのを感じた。
――なんか、すっげー悪いこと言った気分
この空気をどうしたらいいのか見当もつかずに押し黙ると、ただの無音が数秒続いた。こんなこと、今まで一度もなかったのに。そう思えば思うほど、喧嘩の残した爪痕を感じた。
『あの、えと……あり、がと』
いつものことちゃんらしい言い方にホッとして、自分でも気づかないうちに止めていた息を吐いた。目の前でことちゃんが照れ笑いしている姿まで見えてきた気がして、緩く頬が上がる。
「何時に行くの?」
『10時くらい、です』
「分かった。着いたら連絡するよ」
『はい。あ、あのねっ』
電話をそろそろ切ろうかというタイミングを前に、ことちゃんが慌てたような声で呼び止める。少しだけ耳に携帯を強く押し当てると、申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
『今、夏だから。腐るといけないから、おにぎり持って行けなくて。その……』
「あーそっか。そうだよ、な。残念だけど、またの楽しみに取っておく」
そんなつもりはなかったのに、あえて言われると少し落ち込む。でも、そんな気持ちは微塵も見せないようにして、またあとで、とお互いに言ってから電話を切った。
「っしゃっ、行くか」
頬を叩いて気合を入れてから、俺は風呂に向かった――




