15
『じゃあ、言うけど。プールに行くとか聞いてないよ俺』
「言って、ないから」
『そういうこと言ってない。ことちゃん、俺の言いたいこと分かってる?』
「わかん、ない」
はぁ……電話の向こうから大きなため息が聞こえてきて、また私は身体を緊張させた。
何か言葉を発しようと開く唇まで、青くなってるのかひどく冷たい。ギュッと唇同士を強く合わせて擦ってみてもそこに温もりは生まれなくて、自然と視界が落ち込んでいく。ベッドの上にぺたりと座りながら、私は膝頭を見つめて涙が零れ落ちないように右手で拭った。
「ごめん、なさい」
自分でも、こういうところは悪いと思う。すぐに謝ってしまう癖。でも、目の前で自分に対して怒ってる人が居たら、つい謝ってしまう。真理亜はそんな私を、コトはほんと日本人らしい日本人だね、って言ってくる。
でも、そんな私が許されない場合もあるって、今身に染みて分かった。
『だから、どうして謝るの?』
「プール。勝手に行っちゃ、ダメだったんでしょ?」
なんとなく怒りの原因だろうってことは分かってギュッとタオルケットを握りしめてそう言うと、ハッ、って吐き捨てるような声が聞こえた。
――駄目だ。私の言うこと、全部空回ってる。
『そうだね、せめて教えて欲しかった。けど、俺はそれだけを言ってるんじゃないよ』
「……何? 何か、聞いても、い?」
尋ねるのが怖かった。言葉の端々から、気付けよ自分で分かるだろ、って言われている気がして。けれど考えてみても分からなかった。
いつも友達と……といっても真理亜がほとんどだけど、どこに遊びに行ったって何をしてたってちぃくんが怒ったことなんてなかった。会ってない日のことなんて、わざわざ言ったこともない。けれどそれは、わざわざ聞かれたことがないだけで、大体言っていたのかもしれない。だから今日に限って言わなかったことが、ちぃくんの怒りを買ったの?
『琴莉はさ。俺が大学の友達とプールに出かけたって聞いて、気分悪くならない?』
「友達と?」
『百歩譲って、それはいいとする。でもさ、俺でもその現場を見たら流石に不愉快だよ』
「現場……? ――あっ」
なんとなく言わんとすることを辿るうち、一つの可能性に気が付いた。
――会長、嘘……! まさか、あの写メ!
ようやく思い至って私の顔は青くなった。やましさなんて一点もなくて、私にとっては笑い話の一部くらいの今日の出来事。だけどその一部分を切り取ってただの写真として見たとしたら――
『俺さ。別に寛大なわけでもなんでもないんだけど』
「やっ、ち、違うの。あれは」
『自分が知らないところで、他の男と彼女がプールに行ってて。仲良く手なんて繋いでたって知ったら、気分は悪いよ』
「ごめ、なさ……でも、あれはそんなんじゃ」
『だから言ってるだろ。琴莉は悪いことしたのって。違うなら謝らないで』
謝るな、はっきりそう告げられてギュッと何かに胸が締め付けられた。違うのに、何もないのに。でも謝ることも許されなくて、どうしていいのか分からない。自然と込み上げてくる涙が、瞼の裏を熱くしてゆらゆら揺れる。
んくっ、と嗚咽が漏れそうになるのを抑えて、ふーっと息を吐き出しながら呼吸を整えると、何も声を出さない沈黙が電話を通して訪れた。大好きで大好きで、たまらなく好きなちぃくん。そんな彼が怒っているのを目の当たりにして、私は何の言葉もでない。
言いたいことはたくさんあった。
言い返したいことも、たくさんある。
けれど、それをどんな順番でどういえばいいか頭の整理がつかない。
もう一度、スーハ―と小さく息をしてゴクリと唾を飲むと、また電話の向こうからため息が聞こえた気がした。
――私、もうダメなのかな……
こんなにダメで、捨てられるのかもしれない。
勝手にまたそんな風に思うと、止められそうだった涙がまた一滴頬を伝って膝上に落ちた。
『俺はさ。謝ってほしいわけじゃない』
「じゃ、ぁ……どうし、たら」
『もっとさ、気を付けて欲しい。俺のこと、少しだけ考えて?』
そう言われて、私はピシリと固まった。
だって、そんなこと言われなくたって私の頭の中365日ちぃくんで頭がいっぱいなんだから。考えて考えて、考えすぎて何も言えなくなって。 それでも大好きだって気持ちだけは消えなくて、ただ傍に居たい気持ちでいっぱい。嫌われてないか、嫌気がさしたりしてないかってそればっかりで。ちょっとでも、ほんの少しでもちぃくんに可愛いと思われたいとか、喜んでほしいとか、一緒に居たいとかそんなのばっかりだ。
考えながら頭の中がぐちゃぐちゃになってきて、気が付けば昼間と同様に何かがプツリと切れたように言葉を発していた。
「そんなの、考えてるよっ! 考えてないのはちぃくんじゃない!」
『……俺?』
「私だって、ふ、不愉快だったんだからっ。会長から聞かされて、落ち込んで、辛くて。それなのにちぃくん、二人でどっか行っちゃったじゃないっ!」
主語も何もいれずに思いのたけをぶちまけると、電話の向こうの息遣いまで止まった。
私も言い切ったら涙がぼたぼたってまた落ちてきて、勢いのあまりベッドで膝立ちになっているのに気が付いてゆっくりお尻を落とした。今日何度目か分からない涙を手の甲で拭って、ティッシュを引き抜いて鼻水を拭きとるとまたポロリと滴が落ちた。
『それって、楓花のこと言ってるの? それ今の話と関係な』「あるからっ! 私だって嫌だった。元カノだなんて、知らなかった!」
「……何を疑うの? 俺、あいつと会ったのも卒業以来だし。話したって言ったって、学校内でも外出てからもみんなが居る状況でだよ。琴莉みたいに、水着姿で挑発したわけでもなければ、俺と楓花の間なんてまるっきり何もない」
激昂して言い返すちぃくんの勢いに、私はまた身がすくむ。それでも今言われた言葉は許せなかった。私は挑発なんてしてない!
「ちょ、挑発なんかしてないもん! ちぃくん言いがかりだよっ」
『んなわけないだろ? あんな可愛い姿見せられたら、たまったもんじゃない』
「そ、それこそ、そんなこと思ってるのちぃくんだけだから! 私なんて今日、鈍いだのドンくさいだのばっかり言われて、けちょんけちょんに」『ホラ、鈍いって言われてるだろ。だからことちゃんは分かってないって言ってんだよ』
いつも穏やかなはずなのに、すっかりけんか腰で言い合いになっていた。
でもいつもだったら止められるはずなのに、私のストッパーは故障したんだろうか。抑えようと思う気持ち以上に、真理亜にぶつけた時と同じくらいにぶわーっと気持ちが込み上げてきて、もう止められなかった。
「鈍いとか分かってないとかばっかり言われたって分かんないよ!」
『だから分かれって言ってるだろ? 俺と楓花のことをどうこう言う前に、琴莉は自分の心配をしろって言ってるんだよ』
「もうっ、楓花って言わないで!!!」
今までの人生で一番大きな声が出たんじゃないかってくらい、大きな声で気がついたら叫んでいた。叫んだらまた勢いよく涙が零れ落ちてきて、もうそれを拭う余裕なんてない。鼻水が出てきたのをスンとすすると、電話の向こうが黙ったのをいいことに私は勢いのまま言い放った。




