10
「んじゃ、俺らも行きますか」
「さんせーい」
モッカの問いかけに真理亜が乗って、私たちは駅前にあるファストフードショップに入ることにした。吉井君は自転車通学だから、駅前まで自転車を押して歩いていく。
前をモッカと真理亜が歩いて、私と吉井君がその後ろで並ぶ。吉井君とそこまで仲良くしゃべったことが未だにない私は、なんとなく彼の隣を歩くことに緊張した。
――俺の右手はことちゃんの場所だから
ちぃくんの言葉が頭を過ったせいか、咄嗟に吉井君の左を歩いていて、いつもと違うことに何もかも落ち着かない。
「ことちゃんってさ。いろんなところで意外性を出してくるよね」
突然吉井君がそう言いながらカラカラと笑う。それに私が首を傾げると、彼はまだ面白そうに話を続けた。
「甘ったるい女の子が好きっぽいのが好きかと思ったら、辛口系が好きだしさ。飲み物でもブラック無糖とか選ぶだろ? 大人しいだけの子かと思ったら、年上彼氏がちゃっかりいたりさ」
「ちゃ、ちゃっかりって!」
「ちゃっかりだろ。俺ほんとにびっくりしたし。マジで居たのか! って」
「それって、もしかして信じてなかったってこと?」
「あー……うん。ぶっちゃけて言えば、そこまでは」
「ひ、酷いっ」
「ははは、御免。そこは謝っとく」
笑いながらも、吉井君は悪びれた様子もない。この明るいノリで目立つ彼は、私とはちょっとキャラ違いで遠い存在……で、少し苦手。でもそんな風に思わせない吉井君は、良い人なんだろうなってなんでもない会話の中で改めて感じた。
あれこれ話しているうちに駅前に到着して、吉井君は自転車置き場に走っていく。私はそれを見送りながら、明日はどうするんだろうって、結局またちぃくんの事ばかりを考えていた。
4人で生徒会の事だとか、夏休みの文化祭準備のことをあれこれ話した後、夏休み中にプールに行きたいねって話で盛り上がって解散。そのまま帰宅して着替えて、ご飯を食べて……ちぃくんからの連絡は一向にないことを落ち込みながら、お風呂に入って――鏡の中の自分を見て私は発狂した。
「な、に……コレ!?」
左胸の上に、赤い痣っぽい何か。鬱血してる感じがする。
――蚊に刺された?
なんて一瞬思ったけれど、かゆくもないし腫れてもないし。ましてや範囲が大きい……って!!
「はわっ、うわぁああっ!」
鏡の中の自分を指差してまた叫んだ。
――ばっか私! これって、アレじゃないっっ。
いくら『そういうこと』に疎い私だって、マンガとかで見るアレがこれだって分かった。
――ってか、ちぃくんこんなとこに、こんなのこんなの!
あのとき触れられたちぃくんの指先や唇、熱とちぃくんに包まれた香りが蘇ってきて、顔が熱くなる。顔どころか全身赤くなって、もう熱持って仕方がない。そのまま呆然と佇む私に、ドアを隔てた向こうから『こと、大丈夫なの!?』ってお母さんの声が聞こえて、慌ててシャワーのノズルを捻って、大丈夫って叫んだ。
あぁもう、恥ずかしくてどこかに埋まりたいっ。
お母さんが扉を開けるとは思わないけれど、とにかく見られたらどうしようってその一心で、いっぱいいっぱいの気持ちのまま私は一気に体を洗ってお風呂を出た。
そんな慌ただしい入浴の後、時計を見たら9時半……携帯は何のお知らせランプもまだ示さない。
「明日……会わないの、かな」
生徒会の片づけが無くなったのはいいことだけど、会える口実がなくなったのも事実。その上ちぃくんとは何の話も出来ないままに別れてしまって、私の気持ちは下がっていく一方だ。それに、最後に走って追いかけた瀧本さんが、ちぃくんの腕に手をかけたように見えた。何の意味もないかもしれない。でも嫌だった。触らないでって思った。
――その人は『私の』だから
って。言いたくて叫びだしそうだったけど、言えなかった。
そんなことを思いだしていたら、折角温かいを超えて熱くなりすぎた体も心も、一気に冷却されていく。今日の私の気持ちはジェットコースターなんかよりも遥かにアップダウンが激しい。
背中からバタンとベッドに転がったら、スプリングがキシキシ音をたてながら私の身体を受け止めてくれた。大の字に手を広げて天井を見つめてから横に顔を向けると、いつもと同じ愛くるしい顔で私を見つめるわんこと目があう。
「お前は変わんないのに、ね」
指先で鼻先をちょんと叩くと、揺らいでから倒れそうになって慌てて受け止める。両手で挟んで天井に向けて伸ばすと、上から見下ろしているのがちぃくんみたいに思えてきた。
「ふふっ、私って馬鹿だ」
こんなぬいぐるみを見てなおちぃくんを思い出すなんて、私はきっと重症に違いない。
――会いたい……
その言葉を口に出さずにごろりと体を半回転させると、携帯を両手で持って素早くメールを作って送信した。そうしたら即座に着信音が鳴って、私は慌てて震える指で受話ボタンを押す。相手は神楽千歳――ちぃくんだ。
もうすぐ寝るところです、そんなつまんない言葉しか送らなかったのに、直ぐに反応してくれたちぃくんが嬉しい。私は口角が上がるのを抑えられないまま、ちぃくんの声が聞こえるのを待った。
『今、大丈夫?』
「うん、大丈夫。ちぃくんは? もう終わったの?」
『そ、取りあえず解散』
「とりあえず?」
『……うん、そう。ことちゃんごめん、明日なんだけど』
ごめん、の前置きで続けられる言葉に見当がついて、じゅわっと何かが胸の奥で広がる。きゅーっと痛む気がして、私は左手で胸元をクシャっと握りしめた。
「あ、えと。片付け、無くなったから、ね」
会えない、と断られるのが分かって、なんだかよく分からない言い訳の言葉をなぜか自分から言ってしまう。そんな私の言葉を聞いて、ちぃくんがどんな顔をしているかなんて私には分からない。けど、自分の顔が歪みまくっていることだけは鏡を見なくても、十分に分かっていた。
『そうじゃなくてさ。リンが珍しく戻ってきたから、会おうって話になって』
「そう、なんだ。えと、遠くの大学なの?」
『うん。飛行機じゃないと厳しい距離でさ。卒業後会ったの初めて』
「そっかぁ。じゃあいっぱい会っておかないとね」
なるべく落ち込んだ気持ちが伝わらないように明るい声で返事をすると、ちぃくんはまた小さくごめんねって言っていた。そのごめんね、の意味が疾しさを含んでいないとは思っていても、なんだか複雑な気持ちがする。
「瀧本さんも、一緒なの?」
『楓花? いや、別に』
「……そう」
自分から振っておいて、ちぃくんの口から名前が飛び出てきて私の気持ちはまた落ち込む。
言いたい言葉ならいっぱいある。
会いたい。
明日も、会いたかった。
楓花なんて呼ばないで。
どうしてあんなところにキスマーク……びっくりしたよ。
恥ずかしいけど、もっとキスして欲しかった。
もっと今日も一緒に居たかった。
明日はおにぎり持って行くの、楽しみにしてたのに。
ねぇ……どうして、えっちしようとしてくれないの?
こんなこと思ってるの、私だけ?
――ほんとに、本当に。私のことが、好き?
『ことちゃん?』
頭の中でなんのまとまりもなく溢れだした言葉を一言も漏らすわけにはいかないと思って、ぎゅっと目を閉じていたら耳元でちぃくんの呼ぶ声が聞こえて、ハッと目を開けた。




