第10話(最終話):言葉の壁は超えた、ただし着地点はコテコテの関西だった件
「うう……っ、なんで、なんでこうなるのよぉ……!!」
私は水浸しからケミカル、そして今やアラビアンナイトの異国情緒までミックスされた自分のワンルームの真ん中で、ついに頭を抱えてボロリと涙をこぼした。絶望である。完全なる、大気圏突破レベルの絶望だ。
「私の二十九歳の婚活の結末がこれ!? 理想の条件を全部詰め込んだら、言葉の通じない外国人を部屋に密輸しちゃうなんて……! やっぱり、私に結婚なんて、一生無縁だったのよぉぉぉ!!」
「ひ、人間! ユリア、泣くな! 泣かないでくれぇ!」
私のガチの涙に、ドヤ顔をしていたカパ吉がガタガタと緑色の体を震わせて慌てふためき始めた。
「す、すまん! 俺の魔力配分がおかしかったのだ! だが、皿の水ももう干からびる寸前、多分、多分次が本当に最後の魔法になる! どうしたらいいんだ、ユリア!?」
「どうしたらいいって言われてもぉ……(グスッ)」
私が涙を拭っていると、グレーのスウェットを着た曾祖父ちゃん――川田鉄二一等兵が、ワンカップの日本酒をちびちびと舐めながら、のんきな声を上げた。
「それなら、ユリアちゃん。この異国の王様も含めて、みんなで一緒にここで住めば良いんじゃないかい? 賑やかで楽しそうだぞ!」
「……ひいおじいちゃん。お酒でまた脳みそまで酔っ払ってるわけ?」
私は唖然として曾祖父ちゃんを睨みつけた。
今の令和の時代に、都内の狭いワンルームマンションで、河童と、日本兵の亡霊(ド変態)と、アラブの石油王と同居!? どんな新手のリアリティショーよ!
しかし、カパ吉にはもう、迷っている時間は残されていなかった。
「背に腹は代えられん! 鉄二さんのアイデアを採用するぞ! ユリア、俺を信じろーーーっ!」
カパ吉はダッシュで洗面台に向かうと、蛇口から皿へとたっぷりと給水した。皿の水がシュワーッと沸騰し、今までにない黄金のスピリチュアルな輝きがワンルームのワンルームに満ちていく。
深夜1時前。近所迷惑も顧みず、河童はキッチンシンクの上で両手を大きく広げ、現世での最後の魔力を振り絞って大声で唱えた。
「我が水神の最後の奇跡よ! 我々四人が、言葉の万里の長城の垣根を軽々と超えて、幸せに平和な、未知なる共同結婚生活を営むのだーーーっっっ‼️‼️‼️」
ドンッ!!!と、目に見えない衝撃波が部屋を駆け抜けた。
私は思わず目を瞑り、身構える。……しかし、数秒経っても、部屋の景色も、石油王の姿も、特に何も変化は起きていなかった。
「……ハァ。やっぱり何も変わってないじゃない。言葉が通じないまま――って、あれ?」
ふとテーブルの上を見ると、私がさっきコンビニで買ってきたばかりの、数百円の安いパックの日本酒が、いつの間にか見覚えのある『ピンク色のラベルが輝く、眩い高級シャンパンのボトル』に変貌していた。
「ま、まさかのピンドン……!? ドンペリニヨンのロゼじゃん!! 一本何万すると思ってるのよ!?」
驚愕する私。しかし、カパ吉は洗面台の横で皿の水を完全に使い果たし、「真っ白な灰」のようになってピクリとも動かなくなっている。
「……はぁ。ピンドンに変わっただけで、後は変化なしか。結局、言葉は通じないま――」
私がそう呟きかけた、その時だった。
それまで戸惑った顔で部屋を見回していた純白のターバンの超絶イケメン石油王が、不意に私の前に進み出て、ニカッと白い歯を見せて微笑んだ。
そして、そのハンサムなクチビルから、驚天動地の言葉が滑り出してきたのだ。
「皆さん、お晩どす。私はムハンマドと申しますぅ。……いやぁ、河童さん、それにそっちのけったいな日本の兵隊さん。そして――My sweet honey✨ これから、どうぞよろしくお願いしあそばせ?」
「…………は?」
私、カパ吉(白い灰状態)、鉄二一等兵の三人の思考が、完全に停止した。
今、このアラブの、総資産数兆円の若きイケメン富豪の口から、信じられないイントネーションの日本語が聞こえた気がする。
ムハンマドさんは、仕立ての良い白い衣装をひらひらと揺らしながら、テーブルの上のボトルを指差して「あー、アカンよ!」と急にオネエのような口調でパタパタと手を振った。
「こんな高級なドンペリ、もっとキンキンによぉ冷やさないと、ちっともうまないわよ! あら、バカラのグラスはどこやろ? この部屋、なんや狭くてバカラが見当たらへんわぁ」
部屋のキッチン収納を勝手にガラガラと開け始める石油王。そして、ワンカップの空きガラスを見つけて「アカンわ、風情がなさすぎる」とため息を吐くと、最後に私の方をチラリと見て、親指と人差し指で小さな隙間を作ってみせた。
「それにしても、アンタ。顔はシュッとしてて綺麗やのに、あんまり乳はないんやねぇ。ほんま、アカンわぁ」
「…………」
私たちは、ただただ唖然として、そのコテコテの関西弁を喋るアラブ人を見つめるしかなかった。
なんだこいつは。一体、全体、何が起きてるのよ。
私は、天を仰ぎ、深夜の静寂を引き裂くほどの声量で叫んだ。
「なんでアラブ人がァァァ!!! コテコテの関西弁なわけぇぇぇぇぇーーーーーーっっっ!!!!!」
カパ吉の「言葉の壁を超える魔法」は、確かに大成功した。国境も、万里の長城も超えた。ただ、カパ吉の脳内にある日本語のデータベースがバグっていたせいで、石油王の言語回路が『京都と大阪がブレンドされた謎の関西弁オネエキャラ』として固定されてしまっただけなのだ。
こうして、二十九歳独身OLの川田ユリアのワンルームで、
生意気でポンコツな河童(カパ吉)と、
ビルマ戦線から蘇った、おっぱい大好き栄養失調のひいおじいちゃん(鉄二一等兵)と、
油田を数個持っている、関西弁で私の胸のサイズをディスってくるアラブの石油王との、
世界で一番喧しい、謎の共同生活、未知の結婚生活(?)が、堂々と幕を開けるのであった。
――川田ユリアの本当の婚活ロードは、まだ始まったばかりである。
(第一部・完)




