第22話 わだち
「于鏡殿、もう少し進んだ方が良いのではありませんか? またいつ降り出すかも知れず、この機に距離を稼ぐべきでしょう」
呼延吹は言ったが。
「お気付きになっていないようですが、もう日が落ちます。今のうちに野営場所を確保した方がよろしいと思います」
于鏡はそう返した。
于鏡は呼延吹を追っていたが、雨でぬかるんだ道を兵車で進むのには限界があった。彼は途中で兵車に見切りを付け、無理を押して騎乗にて進むことにした。
それでも遅きに失した于鏡だったが、どうにか軍を見付けたとき、彼等は何かに追われるように撤退をしていて、呼延吹自身は騎馬を率いて敵部隊に突撃しようとしていた。
于鏡は、その敵に見覚えがあった。
彼はすぐに騎馬隊の進路を遮り、呼延吹に撤退を促した。彼女は敵討ちの証である兜に拘ったが。
「相手の目的も同じく兜でしょう。兜一つのために、死闘をされるおつもりか?」
于鏡の言葉で納得し、敵を釘付けにするように睨み合ったのち、静かに軍を引いた。
呼延吹は于鏡の言葉を聞いて、一度、空を見上げ。
「ああ──。ずっと薄暗かったので、時が流れていることを失念していました」
と、言った。
「僭越ながら、もう一つお忘れのことを申し上げると、兵の疲労は既に限界を遙かに超えております。おそらくこれまでは敵討ちという志で、その意気を保っていたのでしょう。ですが、それもここまでです。今ここで休まなければ、もう満足な行軍は不可能でしょう」
于鏡はそのように付け加えた。
呼延吹は俯くようにすると。
「確かに、無理をさせました。そして忘れていました」
そう言ったあと。
「兵は十分に休ませてあげて下さい」
下を向いたまま告げた。
しかし于鏡は。
「いえ、出発は日の出前を考えております。雲が晴れれば、星の出てるうちでもいいでしょう」
「それでは兵は満足に眠れぬではないですか」
「はい。これは私の経験則で異論もあるとは思いますが、極度に疲れが溜まった状態で長く眠ると、起きたときに体の動きが悪くなり、却って行軍に支障をきたすことがあると見ております。今はまだ敵地ですので、少なくとも謳国へ入るまでは、少し短めの睡眠で進みたいと考えている次第です」
そう言葉にした。
于鏡は自分のと言っているが、それは呼延枹と二人で出した経験の答えであろうと、呼延吹は思った。
呼延吹も、かなり疲労が蓄積していたのもあるが──。今は、兄が最も頼りにした男を、自分も頼りにしようと思った。
百鈴たちが荷車の場所まで戻ると、袁家軍の小隊が、それを調べているところだった。
「やはり、あなた方の荷でしたか。国軍の物のようなので、そうではないかと考えていたのです」
隊長の女はそう言った。
第三輜重隊は、袁家軍の小隊と共に、袁家の根拠地を目指した。
道すがら、何が起こったのかという話を袁勝は女から聞いていた。
しばらく進むと、また戦闘の跡が濃くなった。
あちこちで袁家軍の兵が、味方と思われる遺体を集めていた。あとで運ぶつもりなのだろう。
そして一際大勢が集まってる所があり、小隊はそこで離れた。
百鈴は、兜を渡していないのが謎だったが、どうせ袁家に行くのだからと気にしなかった。
袁家に着くと、そこにも爪痕は残っていて、袁家の兵達はその後始末に追われていた。
袁勝たちが手続きをして、指定された場所に荷を降ろす。
いつもは、袁勝や馬豹の後ろにくっついて確認作業などをしている百鈴だったが、このときは彼等に丸投げして自分は荷下ろしの方を手伝った。
日々重労働を熟す輜重隊員だったが、流石に実戦のあとは疲れも多く、また軽めとはいえ傷を負った者もいたので、百鈴としては彼等の負担を減らしたかった。
作業も終わり、一息入れてるところに道中で見た一団が帰ってきた。
何やら重々しい、沈痛な気配が漂っている。
「なんだろう──」
百鈴は独り呟いたが。
「きっと兜の持ち主のご遺体ですよ」
近くの者が声を拾い、勘良く答えを出した。
「そうか──」
百鈴は納得すると共に、袁家はどうなるのだろうと思った。
百鈴の実家は商家で、彼女が幼い頃は祖父が切り盛りしていた。だが、突然に亡くなって、父がそのあとを継いだ。百鈴自身は何も知らぬ子供であったから、その辺りの記憶はないが、両親や姉の話だと相当に苦労したという。
実家と袁家では比較にならないと理解しているが、ならば尚のこと大変だろうと想像した。
「百鈴」
馬豹に呼ばれ袁勝の元に行くと。
「俺は本営からの用向きがあるので残るが、お前達は隊を率いて南の朱布の町へ行け。今からなら日が落ちる前に着くはずだ」
言って袋を馬豹に渡し。
「明後日の朝に九門への帰路に就く予定だ。それまでは休息とする。これで食事を取れ、酒も一杯だけならいいだろう」
袁勝はそのように言って立ち去った。
馬豹が導く形で第三輜重隊は袁家の塞を出た。
向かう朱布という町は、袁家の邑では一番大きな所で、袁家軍と共に発展した城下町のような位置づけであった。
道中、隊員たちは雑談をしながら荷車を押していた。
百鈴も馬を引いて歩いていたが、会話には加わらず、ひとり戦闘のこと考えた。
──また逃した。
そういう認識が浮かぶ。
何がまたなのかというと──。
百鈴が最初に馳せ違った女、あれは騎馬隊、そして敵軍全体の指揮官でもあっただろう。それと遣り合って、一太刀あびせたが、仕留めるまでには至らなかった。そしてそれは、賊徒の首領と戦ったときや、奇襲してきた謳国の騎馬隊のときもそうだった。
あと一歩、足りないのだ。
仮に自分ではなく馬豹が戦っていたら、きっと彼等を打ち倒して話はもっと早く済んだであろうと、百鈴は思わずにはいられなかった。
──もっと強くならないと。
百鈴は人知れず強く思った。
しかしながら、彼女の挙措は存外と雄弁で、それを見た隊員たちは。
──あぁー、軍曹はまた燃えてるわー。
と、丸わかりであり。
馬豹との立ち合いは、きっと激しくなるだろうとの予感を持った。
輜重隊は、予定通り町に到着した。




