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【あっけない肩透かし、いや肩透かしとはあっけないものなのだよ】
着古したセーターをほどいていくみたいにお狐さまとの関係も壊していく。それがいいのだろうか? するすると、あっけなく、何もかも。それがいいのだろうか? この次の恋はマフラーくらいの大きさでもと思い、結局はコースターくらいになりそうな予感。それすら、叶わないのかも。恋という単語を口にすることの恥ずかしさは高校生のときのそれとは大違いで、むしろ恥ずかしいのではなく、ハシタナイとさえ思う。魔法にかかっていたんだ。その魔法は、唐突に解ける魔法だ。レジでお釣りをもらった瞬間に、あるいは、エンターキーを強く押し込んだ瞬間に、あるいは、枯れた枝を切り落とした瞬間に。そんなとき、解けてしまったりする。それはたんなるタイミングであって引き金ではない。たまたま、ということ。
自分でも手に負えないほどの加速で突っ走っていた。めまぐるしく遠心力が働いて、走れば走るほど中心にいるお狐さまとは距離ができてしまった。不思議だ、と思っていたあのころ。でも当然のことだ、と思ういま現在。あのころの僕たちは、したたかに美しい夜景のようだったのに、いまではあまりにも平坦で平凡な景色に成り下がっている。ため息とともに握ったカップは、予想になく不規則に割れ、手のひらから薄く血がにじんでいる。後悔? ではないと強がって、でも結局のところ、そこにはたどり着くことになる。素直に認められないことの愚かさ。持ちあわせていない素直に認めてしまえる勇敢さ。自覚はあるのに。自覚はあるからこそ。
離れることだけは決まってる部屋の近くで、連日さわがしく忌々しい音をさせている工事から逃げる。逃げる。逃げる。公園に行く。広い公園に。ああ静かだ。のどかと言ってもいいくらいだ。草の香りがやけに落ち着く。わっ、短い声がして見てみると縄跳びをしてる女の子たち。僕もあのくらいのころはよくやってたなあ。すみっこのほうで、は、は、は、と規則正しいリズムを刻んでいるのは劇団か何かの発声練習かなあ。それが習わしであるみたいに男の人は白いタオルを頭に巻いて、女の人はピンクのタオルを首にかけて。広いスペースではフリスビーを器用に投げる女性。うまく投げるもんだなあと思い、うまくキャッチするもんだなあと犬にココロのなかで拍手を送る。フリスビーが投げられてその何度目かのとき、やけに強い風が吹いてフリスビーがこちらに流されてくる。犬は、風をものともせず駆けてくる。ものすごい勢いで、僕に向かって。どうするのがいいのかわからないながら、僕は片膝をつき、犬を迎える姿勢をとった、ただカラダの形の上でだけ。気持ちが固まってないところに犬は、僕のちいさい胸へと飛び込んできて、僕はきちんと受け止めてあげられず、背中から芝生にしたたか打って倒れ込む。寝転び、犬に顔を舐められながら大空を見上げる僕に、
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
フリスビーの女性の声がして、
「はははは… はあ」
力なく返事みたいなものを僕がした。
何かの拍子に、何かのきっかけが降ってくる。たまにある。そんなことが。スーパーの、やけに薄いあのビニールをピッと引っ張った瞬間だったり、同じクラスの、ちょっといいかもと思ってた女の子と理科の実験の時間にふと目が合った瞬間だったり、池のかえるがげこっと鳴いて、カラスがつられてアーとやって、道ばたのかわいい草が風にそよぐその一連の流れを眺めたときだったり、あるいは、知らない犬が飛び込んできて背中から倒れ込んだ瞬間だったり。
日々、着々と怠りなく、材料集めは滞りなく進んでいた、気がつかなかったことだけど。それでも進展がないと思われたのは、材料は材料のまま切り分けられることも、適所に配置されることも、組み合わされることもなかったから。ゴン、と、ギャシャ、が合わさったような音が表から聞こえてきて、それが工事の再開の合図でもあるみたいに騒がしくなったあのときに、すべては終わっていたのかもしれない。
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ものすごく暑くなったと思ったら、次の日、工事は休みだった。




