8(終)
「海防艦だ!」
「迎えに来てくれたんだな。」
遠くに、見知った艦があった。近隣の島同士を結んでいるもので、これまでも何度もこの島へやってきていた。
「加藤、早く。座礁しないよう、こっちからも近付こう。」
「ああ、そうだな。」
吉野の言葉に頷く。だが、加藤はもう限界が来ていることを分かっていた。
海防艦の姿に、張り詰めていた糸がぷつんと切れる。もう大丈夫だという安心感が、加藤の体から力を奪い取った。
ぐらりと体が揺れた。
「加藤!」
あ、落ちる。
そう思った時には、すでに体は水面へと叩きつけられていた。
立っても足が届かないほどの深い海は、加藤の体が沈むのに十分すぎた。
穏やかに凪いでいるはずの海も、海岸では様相が違うらしい。波はあっという間に、加藤の体を海の底へと引きずり込む。
浮いては沈み、沈んでは浮く。
そうしてゆっくりと、沖へ流されていく。
随分深いところにいるのだろうか。あるいは、海流の妙か。体が水面へ押し出されることは無い。
腹部から溢れた鮮血が、水に溶けて消えていく。
こうやって自分も溶けるのだと、加藤は悟った。
その奥に、手が見える。吉野が木舟から、必死に手を伸ばしているのだ。
岸からはすでに離れているから、加藤を追いかけて来たのだろう。何か叫んでいるようにも見えるが、音は水に包まれて聞こえない。
加藤はその手を掴もうとして、やめた。
無理に引き上げようとすれば、木舟の方が危ない。吉野は泳げるし、海防艦が拾ってくれるだろう。
だが、麻袋はどうだ。重みで沈んでいくのは目に見えている。もし中身が出てしまえば、もう回収は出来ない。
それは加藤にとって、最も避けたいことだった。
どうせ木舟に乗れたところで、助かりはしない。それならば、海に沈んでいこうと思った。
――自分の気持ちに正直になっても、誰にも責められないだろ。
長倉の言葉が、脳裏に響く。
彼の言う通り、死ぬ間際くらいは、許されるだろうか。こうして消えていけることに、どこか安堵していても、良いだろうか。死んでいった仲間たちに会いに逝けることを、喜んでもいいだろうか。長倉を殺してしまった罪を、今だけは忘れても許されるだろうか。
答える声は無い。加藤は少しだけ寂しさを覚えたが、それでも心は満たされていた。
吉野の手が、水面から消える。加藤を助けることを諦めたようだ。おそらくは、それが加藤の望みなのだと分かって。
それでいい。吉野には吉野のやるべきことがある。
海防艦に乗れたなら、祖国に帰れるだろう。故郷の土を踏まないまま死んだ、多くの仲間たちの代わりに。
吉野、どうか。
最後まで、役目を果たしてくれ。
少佐の想いを、仲間たちの声を、届けてくれ。
皆は確かにここにいて、生きていたのだと、彼らの愛する人たちに伝えてくれ。
あの手紙は、名もなき兵士たちの、生きた証なのだから。
加藤は明るくなっていく水の中で、ゆっくりと目を閉じた。
****
一九四五年八月十五日。
吉野が届けた遺書には、いずれも同じ日付が記されている。
その中に、加藤のものは無い。
完




