第42話:Shine On You Crazy Diamond 6
翌朝、家の前に銀千代が来ることはなかった。昨日で愛想つかされたのだろうか。まあ、それならそれで構わない。
一人で歩く通学路はいつもより広く見え、望んだはずの孤独に、仄かに白く染まるため息をつく。
街路樹が紅葉で色づき始めていたが、それを共有できる友人がいないのが、少しだけ寂しかった。
朝があまりに冷えるので、今日はマフラーを巻くことにした。一昨年の冬に銀千代がジェバンニが如く一晩で編み上げたものだ。秋がひっそりと死んでいく。
教室について、ドアを開ける。
銀千代はすでに来ていた。まあ別に朝一緒に行く約束はしていない。
隣の席の雑司ヶ谷くんが机に座り、しょうもない冗談を投げ掛けているらしい。銀千代はそれを口許を隠した作り笑いで受けていた。
俺は二人に近づき、「おはよう」と素知らぬ顔で朝の挨拶を投げ掛けた。
「お、おはよう……」
毒気が抜かれたみたいな表情で雑司ヶ谷くんが返してくれた。はじめ呆気にとられていた銀千代は目を半月状にし微笑んで、「おはよう!」と元気よく返事をしてくれた。
「銀千代、ちょっと話せないか?」
鞄を自分の机のフックにひっかけながら訊ねる。
「あ、うん」
銀千代は少し照れたような頷いた。
雑司ヶ谷くんがほぞを噛んだような顔を浮かべていた。ケヒヒ……いい気味だ。と心の中で嘲笑を浮かべる。
「なにかな?」
正面から見つめられる。
「……」
しまった。
雑司ヶ谷くんの妨害しか考えてなくて、そのあとなに話すか全く考えてなかった。
無言になった俺を銀千代はクエスチョンマークを浮かべ見返してきたが、「あっ」と声をあげて、「アレなら場所変えようか!」と手を叩いた。アレってなんだよ。
「そ、そうだな」
「うん。じゃ、行こっ!」
と彼女は椅子から立ち上がり、機嫌良さそうに歩き始めた。
一人だったらスキップでもしそうな軽い足取りだった。
二人揃って教室から出ると、後ろ手で閉めたドアの向こうから歓声があがった。鈴木くんやら、花ケ崎さんやら、クラスメートが茶化しているらしい。
「な、なに?」
振り向いて戸惑う銀千代に「恥ずかしいから行こう」と歩を進めるように促す。
廊下は人混みに溢れていた。
「あの、でも、どこへ……」
目的地もなくぶらつくのも限度がある。
「そうだなぁ」
と、なにも考えずに返事をしたら、「そうだ!」と銀千代は指をならした。
「誰にも聞かれたくない内緒話を出来る場所を知ってるんです!」
「ん?」別に内情話をしたいわけではない。
「シッチーに教わったんだけどね、最近校舎にカメラとか盗聴機とかがすごいたくさん見つかってるらしくて」
仕掛けてんのお前だけどな、と、喉まででかかったが飲み込んだ。
「だからね、とっておき!」
意気揚々な銀千代の後に続くと、現れたのは屋上へ通じる扉だった。
アイドルしている沼袋七味と金守銀千代が学校側に相談し、学校にいるとき二人で集まれるよう屋上を開放してもらったのだ。いちいち鍵を借りに行くのが面倒なので、沼袋は合鍵を作り、それを一本銀千代に譲ったらしい。意外とアウトローな女だ、沼袋七味。
「ダンスの練習とか、シッチーとよくやるんです。校舎内だと人が集まってきちゃうから」
と銀千代が屋上のドアを閉めて言った。青空が広がっていた。薄く広がる雲が風に流されていく。冷たい空気につんと鼻先が傷んだ。
晩秋の空はすんでいて、吹き抜ける風は冷たかった。もうすぐ冬が来るらしい。冬は嫌いだ。寒いから。
「そ、それでお話ってなんですか?」
銀千代が耳まで赤くして聞いてきた。しまった。寒いらしい。
「ごめん、なんか雑司ヶ谷くんがムカついたから、なんも考えずに呼び出しただけなんだ」
「え」
素直に謝った、雑司ヶ谷くんの名誉のため昨日の体育倉庫の裏でのやりとりは黙っておいてあげよう。
「な、なにそれぇ」
けらけらと笑いながら銀千代は体をくの字にした。ツボにはまったらしい。「あはは」と涙が出そうなほど笑っている。
銀千代の一人笑いはしばらく続いた。十秒くらいだろうか、
「あー、もぉう」
しばらくして、笑い疲れたのか、銀千代は口許を右手で覆って、フェンスに軽くもたれ掛かった。かしゃんと乾いた音が響いた。
「嫉妬してくれたんですか?」
「いや……」
否定しようとして、
花ケ崎さんに言われたことを思いだし、素直になることにした。
「そうだな。たぶん嫉妬だ」
「っ」
ストレートな反応に呆気にとられたのか、銀千代の顔がじんわりとピンク色に変わっていった。誤魔化すように俺に背中を向けた。
「嬉しい……」
ぼつりと呟く。折り目がきっちりついたスカートが風になびいている。
「なんだろう、わたし、すごく今ホッとしてる。安心したの。やっぱりあなたが【ゆーくん】なんだなって思って」
「最初からそう言ってるじゃん」
「わかってはいたんです。夏音ちゃんの話とか聞いて。だけど、やっぱり太一くんはイメージと違くて、だから色んな人と話をするようにしてたの。でも、どうしても【ゆーくん】が見つからなかった」
「……」
銀千代はくるりと振り返り、フェンスを後ろ手で掴んで、続けた。
「家や鞄、スマホの中とか、どこ行ってもあなたの痕跡がありました。カメラロールは太一くんの寝顔でいっぱい……」
撮影許可してないのにね。
「だけど、あなたがゆーくんだって、どうしても信じられなかった。イメージが先行してしまっていたのかもしれません。理想が、高くなりすぎていたのかも……その度に修正しようと試みましたが、うまくいきませんでした」
「あれは、まあ、そうだな」
こいつの中で、俺は空前絶後の超絶怒濤で、銀千代を愛し銀千代に愛されたイイ男。IQ300で身長180センチの年収五億だからな。そんなの無理に決まってる
「私が好きになった人はどんな人なんだろうってずっと自分に問いかけてたんです。だけど、今日、やっとわかりました」
銀千代の手にはいつの間にか小瓶があった。
「あなたです」
カラフルな錠剤が入ったそれは、一見するとお菓子入れのようにも見える。
何かに陶酔するようなうっとりとした表情で小瓶を胸に抱いた。
「おまえそれ」
ポールの持ってた薬瓶だ。
記憶障害に効くとか言っていたが、実際はどうかわからない。
「なんであなたが好きだったのか、私はちゃんと思い出したい」
はっきりとした語調で彼女は俺を見つめた。
「なんでそんなもん持ってんだよ」
「一昨日、ポールから電話があって……そのときは仕事で出られなかったですけど、折り返したら、帰国する前に、くれました。あなたがこれを受け取らなかったってことも教えてくれましたよ」
「なんで受け取らなかったか、わかるだろ」
銀千代は小さく頷いた。
「もちろんリスクは承知です。だけど、私たちは天才なんです。ミスなんてありません」
記憶を失っても自信過剰は変わらないらしい。微笑みながら瓶の蓋を開ける。
「私はあなたを知りたい。どうやって一緒に生きてきたか、育ってきたか、何を思ってきたのかを……。気持ちに嘘はつけません。好奇心が、いや、心があなたを求めている。だから、どうか、思い出させてください」
ジェリービーンズが、何粒か彼女の手のひらの上に転がり、カラカラと音をたてた。
「……っ」
それを口に含もうとした銀千代の右手を、俺は掴んでいた。アスファルトに色とりどりの薬がパラパラと転がっていく。
「なんで、……止めるんですか?」
「……」
ほとんど衝動だった。
何でかはわからない。
ただ、彼女のつけていた髪留めが、いつか俺がプレゼントした蝶のデザインのものだったから、焦ることはないと思ったのだ。
「相変わらず思い込みが激しいやつだな。こんなもん必要ないってポールにも言ったんだけどな」
「今の私には必要ですよ」
「いらねーよ。何度も言うけど、どんな状態であろうと金守銀千代は金守銀千代なんだよ。たとえお前が俺だけを忘れてたとしても、それが今のお前なんだから、なにかを曲げてまで変わろうとする必要はない」
「私が、私の魂が思い出したいって言ってるんですよ。あなたとの思い出を……感情を……全て」
「そのためになにか失うかもしれないなら、そんな選択肢は取るべきじゃないんだ、そもそも」
その薬だいぶ怪しいし、
「お前との過去は俺が全部覚えてる。知りたいのならいくらでも教えてやる。それに思い出なんてものは、これから作ればいいだけの話だろ。どうせいつも近くにいるんだ」
「……っ」
銀千代の手から残ったジェリービーンズを奪い、秋の朝の青空に向かって、投げつけた。利き腕は骨折して使えなかったので、左手で投げた小瓶は存外回転かかって、中身を辺りにぶちまけた。カラフルでキラキラと輝いて綺麗だった。
「幼馴染みってそういうもんだろ」
屋上のアスファルトの上に瓶は落下し、ガシャンと音をたててくだけ散った。下に落ちなくてよかったと密かに安堵する。
「うっ」
銀千代は俺の言葉を聞いて、貧血を起こしたかのようによろけた。
「おい、危ねぇぞ!」
あわてて彼女を支える。
北風に奪われていた体温が、彼女の温もりで少し戻ってきた。柔らかくて、心臓の鼓動を感じた。
「ああ、やっぱり……かっこいい」
銀千代の声が囁くように、優しく鼓膜を刺激した。
「全ての行動が、言動が、銀千代の心を揺さぶるの。やっぱり、気持ちに嘘をつけないよ」
少女は小さく呟いて、
「え……」
ゆっくりと俺から離れた。正面から見る瞳は力強く、浮かべる笑顔はいつものそれだった。
「銀千代、お前……」
俺が言葉を紡ぐより先に、彼女は穏やかな笑みを浮かべて、絶対不変の心理を語るみたいに、言った。
「ゆーくん、愛してる」
また暇になったら続き書くかも知れませんが、一旦終わります。
読了ありがとうございました。




