第42話:Shine On You Crazy Diamond 5
さっき蹴られたばかりの左頬が痛い。加えて言えばこないだ骨折した右手も痛い。もうなんか全身痛い。俺の存在も痛々しいし。
まあ、でも、もし利き腕が使えたら、地面に転がっていたのは雑司ヶ谷くんの方だったから、ヨシとしよう。俺の封じられた右手を解放したらチリも残らなかったし。
「……」
空しい妄想はやめよう。
立ち上がろうと左手に力を込めたとき、
「トワさんッ!?」
天使が立っていた。
「ええっ、なにしてんの!?」
違う、花ケ崎さんだ。チア部の姿が余りにも可愛すぎてびびってしまった。すらりと伸びた細い足に健康的な汗。手にボールを持っている。片付けに来たらしい。角度的に……もうちょっとでパンツが見えそうだった。
「……いや、べつに」
もう、ちょい。
「別にじゃないでしょ!? 酷い怪我してるのに!」
スカートを押さえられた。ちきしょう。
最近道いく女性がみんな可愛く見える。マスクのせいかと思ったが、おそらく銀千代が俺に付きまとわなくなって、女の子に対する耐性が無くなったからだと考えられる。
「そんな大ケガで倒れてるなんて、普通じゃないよ!」
「いや、地質調査をしてるとこなんだ。気にしないでくれ」
「なにバカなこと言ってんの! 保健室いくよ!」
喧嘩に負けた恥ずかしさを誤魔化すために嘯いたけど通じなかった。花ケ崎さんは背後のチアリーディング部のメンツに「そういうことだからっ!」と声をかけて、俺に肩を貸してくれた。
恥ずかしいからほっといて欲しかった。お節介やきの花ケ崎夏音だ。
断ろうと思ったが、体を密着させられた。
「!?」
柔らかかった。
運動してきたばっかの花ケ崎さんの肌は汗で湿っていて、少しだけべたついたが、むしろそれが良かった。可愛い子は汗くさくないからスゴい。なんの匂いだこれ。洗い立ての洗濯物の匂い? いや、制汗スプレーの香り? スゲーいい香り。部屋にまくから教えてくれないかな、と考えていたら、あっという間に保健室についた。
「センセーいま見回りに行ってるみたい。水質検査? とかしてんだってさァ」
保健室には誰もいなかった。花ケ崎さんは俺をベッドに寝かせると、パイプ椅子を広げてそこに腰を下ろした。
「部活……いいの?」
「いいの、いいの。たまにはサボらせてよ。アタシ、部長になってさー、プレッシャーヤバイんだよね」
花ケ崎さんは歯を見せて笑った。
「ねぇ、それよりトワさんに聞きたいことあるんだけど」
「あー……」
目をそらしたら、手を握られた。逃れられそうにない。西日が保健室の白いカーテンを透過して、室内を薄いオレンジ色に染め上げている。
「銀ちゃん、どうしたの?」
聞かれると思ったよ。
ノーコメントを決め込みたいところだが、ここまで真剣な瞳を前に誤魔化すことはできそうにない。
「どうしたんだろうね……」
「昨日、……今日と、おかしいよ。いつもの銀ちゃんじゃないみたい。トワさんとあんまり会話してないし、裕太とばっか話してさ」
雑司ヶ谷くんの下の名前は裕太だ。
消毒液の匂いが鼻をついた。
「それに、こんな近いのに、銀ちゃんが来ない」
手のひらがカタカタ震えている。
花ケ崎さんは契約により、俺の二メートル以内に近付くと銀千代に削除される事になっていた。彼女は命がけで俺の介抱をしてくれているのだ。
「昨日の朝さ、銀ちゃんがアタシに訊いてきたんだよ。「ゆーくん、って裕太くん?」って意味わかんなくない? なにがあったの?」
うちのクラスで名前に「ゆ」がつくのは雑司ヶ谷くんぐらいだ。銀千代は銀千代で失った記憶を取り戻そうと必死なのだろうか。
「なんかさ、銀千代、俺のこと忘れたみたいで……」
「忘れ……?」
言葉を咀嚼するように花ケ崎さんは一瞬無言になって、
「はぁ!? なにそれ、意味わかんない。ジョークだよね? な、なんでそんなことになったの?」
俺とまったく同じ感想を呟き、下唇をかんだ。
話さざるを得ない感じだった。仕方ない。俺だって現状をまだ飲み込めていないのだ。
閉めきられた窓の向こうで、バットにボールが当たる音が響いた。
成り行きを聞き届けた花ケ崎さんは「そうだったんだ」と小さく呟いて俯いた。しばらく気まずい沈黙が流れる。時計の針の音が何回かして、絞り出すように花ケ崎さんが呟いた。
「トワさんの怪我は大丈夫なの?」
「大丈夫。安静にしてればすぐ治るって医者か言ってた」
「安静……にしてないじゃん」
「……結果的にね」
「……ねぇ、トワさん、これでいいの?」
花ケ崎さんは正面から俺をじっと見つめてきた。いまにも涙がこぼれそうな、熱がこもった瞳をしていた。
「アタシはヤだよ。いまの銀ちゃんも、……もちろん可愛いけど、なんか元気ないもん。ずっと、我慢してる感じ」
「そう言ったって精神的なもんだから俺らができることなんてなにもないだろ」
「……「ら」じゃないよ。私たちじゃどうしようもないけど、トワさん……いや「ゆーくん」ならきっと違う」
「俺も同じだよ。どうすればいいのかなんてわからない。このまま見守ってるのが正解なんじゃないか?」
そもそも銀千代が無くしたのは俺の記憶だけだ。そんなことがあるなんて思いもしなかったが、現実として起こっているのだから、認めよう。
「そんな、そんなことないよ! 記憶喪失とか正直アタシにはよくわかんないし、治療法とか、知んないけどさ。だけ ど、このままじゃよくないってことは絶対言えると思うの!」
「じゃ、どうしたらいいんだよ」
「どうって……」
「俺がなんかしたら記憶が戻るか?」
「わからない、わからないけど、だけど……」
花ケ崎さんは俺の手を強くギュッと握った。
「アタシは、二人はお似合いだと思うんだ……っ!」
手のひらから確かな温もりが伝わってくる。
「だから、銀ちゃんとトワさんには辛い顔してほしくないの……」
「もし銀千代の記憶が戻ったってそれが幸せとか限らないだろ」
「幸せに決まってる!」
「なんで言い切れるんだよ」
「だって……っ」
「アイツの幸せとかそんなんアイツにしかわかんねぇだろ!」
「幸せだよ、そんなの、決まってる、決まってるじゃん……!」
花ケ崎さんは言葉を詰まらせて、言った。
「銀ちゃんはトワさんの横にいる時が一番可愛いんだもん……」
「……」
泣かれた。女の子を泣かせてしまった。しまった。
花ケ崎さんは鼻をすすって手首で目尻をぬぐい、
「トワさん、泣いてるの?」
と呟いた。
「は……?」
俺ェ……?
何を言っているのだろう。泣いているのは自分のくせして……と思ったら、自分の顎からピシャリと滴が落ちた。
「……」
そんなつもり無かったのに、俺は泣いていたらしい。なんでだろう。
べつに、辛いことも悲しいこともないはずなのに。自分の精神状態が把握できないなんて、はじめてかもしれない。
「ふふっ」
花ケ崎さんは嬉しそうに鼻をならして、
「アタシと一緒だね。現状がもどかしくて泣いちゃうとことか」
ほんとうに、なんで、俺は。
急に恥ずかしくなってきた。
耳が熱い。目元をぬぐう。
慌てる俺を見て、花ケ崎さんは朗らかな笑顔を浮かべた。
「あー、なんかすっきりした。ごめんね、トワさん。アタシ、ずっとモヤモヤしてたの。話せて、何て言うか、モヤが晴れたよ」
「ああ、えっと、俺も、ごめん」
「さてとぉー、部活行かなきゃ。部長の辛いところね」
花ケ崎さんはおどけるように笑いながら、立ち上がった。
「トワさん、ねっ、素直になるってスッキリするでしょ?」
鼻をすすり、閉じたパイプ椅子を壁際に寄せながら花ケ崎さんはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「……ごめん、花ケ崎さん、テンパッて俺、よくわかんないこと言っちゃって」
結局、物事が一番客観的に見えていたのは彼女らしい。
「アタシもおんなじだからいいよ。あー、わっ、目が赤ぁ。めっちゃ変になってるよぉ」
保健室の洗面台の鏡で自分の顔を眺めながら花ケ崎さんは続けた。
「それよりさ、トワさん、こないだの芋洗のライブみた?」
前髪を手櫛で整えている。
「いや、その時にボコられてたから」
「あ。そうか。ごめん。あ、でも、見たほうがいいよ」
「もう終わったじゃん」
「知んないの? オンラインライブだから、一週間はアーカイブ配信してるんだよ。絶対見たほうがいいよん。心がさ、震えるから」
「そうなんだ」
「んじゃあ、アタシは部活戻るね。トワさんはぁー、安静にぃ。アタシが泣いたことばらしたらァ、トワさんも泣いたことばらすからぁ」
顔をあげて花ケ崎さんはヒラヒラと手を振った。保険の先生がすれ違うように戻ってきたが、「急患一名でーす」と茶化すように去っていった。
保険の先生は「誰かに殴られたの? 喧嘩?」と頬にガーゼを貼ってくれた。関係なしに全身がボロボロだった。
イジメを疑われるのが面倒なので、保険の先生の詮索から逃げるように帰宅し、俺はお風呂に入ってご飯を食べた。口内が少し切れているからか、ステーキが血の味した。それから、自室に戻り、ベットに仰向けになった。
アーカイブ配信。ライブ配信のあとで放映される収録映像のことだ。
公式サイトから、銀千代からもらったチケットのIDとパスコードを入力する。
無観客のオンラインライブ。
千葉の県民ホールで行われたそれはおよそアイドルライブとは思えない厳かな演出から始まった。
スモークがたかれ、暗闇に一筋の光が射すように、スポットライトが舞台を映し出す。
光の下にいたのは銀千代だった。
「さぁ、みんな集まって! 芋洗ライブがはじまるよぉう!」
ちびまる子ちゃん風に始まったライブは、そこからがすごかった。無観客ということを忘れさせるほど熱気が銀千代の号令で溢れだす。
光と音の融合というか、ライブ演出が一級品で、花ケ崎さんが「すごかった」と称賛するのも頷けるものだった。オンラインという特性を生かしたライブは創意工夫がされていて、ツイートを後ろのバックスクリーンに写したり、メンバーの弾ける汗が写るほど、ギリギリまでカメラがよったりと、まるで自分が舞台上に立っているような心持ちになるものだった。
MCも、メンバーの関係性が分からない俺にも楽しめるものになっていたし、なにより統率のとれたダンスは目を見張るものがあった。
邦楽の未来を明るく照らす、そんなライブだった。
「最後の曲となりました」
あっという間の二時間だった。
はじめは寝っ転がって画面を眺めていた俺も、いつの間にか正座になるほどの素晴らしい出来だった。
ステージ上に立った銀千代は疲れを見せないケロっとした表情でマイクを握っていた。
「なんか色々あったけど、やっぱりライブは面白いから好きです」
アイドルをやっている銀千代を見るのも久しぶりだったが、ここまでキラキラしているとは思わなかった。
「どんなに辛くたって、好きな人の笑顔を見たら、頑張れるのが銀千代だから、銀千代を愛してくれているみんなもきっとおんなじだと思います」
コールもレスポンスもない、淡々としたものだったが、そのぶん、歌声がストンと胸に落ちるようなそんなライブだった。イヤホンから息遣いすら聞こえてきそうだった。
「芋洗坂もそう。みんなが幸せになれたら、この世に不幸なんて言葉を生まれないのにね」
当たり前のことをポエムっぽく言って、銀千代は笑った。
「私たちが笑えばきっとみんなが元気になってくれると思うから。辛いことがあって挫けそうな人は私たちを見てください。きっと笑顔になれるはずです。その笑顔を見させてくれたら銀千代はきっと笑顔になれます」
ちょっと何いってるのか途中でわからなくなったが、なんか、良いこと風のことを言っているっぽい。
「もし、それでもくじけそうになったら良いことだけを思い出してください」
アンパンマンのパクリかな。
「私たちを思い出してくれたら、この世に不幸はなくなるはずだから。だから、最後の曲も笑顔で聞いてください。私の、私たちの大切な曲です。愛愛ゆー愛」
イントロが流れ始める。
相変わらずメロディはどっかで聞いたことあるようなやつだし、歌詞は流行っているJ-POPを繋ぎ会わせたような糞っぷり。
会いたくても会えなくて、好きだから君の名前を呼んで、震えて、深夜二時に桜の花びら舞っちゃって、人波に流されながら光さすほうに翼を広げて飛び立っちゃう感じのしょうもない歌詞だ。
ランダム再生してて流れたらスキップする程度の曲だったが、なぜだろう。ライブで聞いたら、ものすごく染みた。
「……」
胸が震えた。
心が震えた。
銀千代の歌声が、俺の全細胞を揺さぶった。
ああ、そうだ。
たまには素直になろう。
やりたいようにやろう。
なんでそう思ったのか、わからない。わからないから、俺はただなんとなくやってみようと思ったのだ。
もしかしたらこの感情を自暴自棄というのかもしれない。
もう、なんでもいいから、俺の思いだけをぶちまけようと、ただそう思ったのだ。受け取ってくれなくても構わない。秋の夜はセンチメンタルな気持ちなるもんなのだ。
ライブを見終わって、すこし感傷に浸ってから、俺は寝ることにした。
だって、眠かったから。
次で締めます。お手を拝借。




