第61話:二月へ殺意をこめて
あまりの寒さにマフラーに首を埋める。
本来なら家で引き込もってぬくぬく漫画でも読んでいたい土曜の朝。
残念ながらそうもいかないので、アクビをしながら指定された試験会場に向かう。学校を通して近所の学習塾で行われる模試に申し込んだのだ。
さすがにボチボチ受験対策をしないとまずい。今年の共通テストはあまりの難易度に先輩方は涙したらしい。俺はというと、翌日の新聞の問題をチラ見して、あまりにわからなすぎて逆に笑ってしまった。
「はぁ……」
ついたため息は白く染まって曇天の灰色に溶けていった。
試験会場に入り、指定された席につく。氷のように冷えた体が、強すぎる暖房で一気に暖められた。
人心地つくと同時に眠気が襲ってくるが、ひりついた空気に気合いを入れ直し、腕時計を外して、机の上に置く。
消ゴムと筆記用具を数本用意してから、カバンを机の下にしまう。ポケットに入れておいた受験票を取り出して、机の上に置いたら、隣の席の人と目があった。
銀千代だった。
「おまえ!」
ガタっと椅子を揺らして思わず立ち上がると、銀千代は俺を見て、口を「あ」と開いた。
「わー」
なにが、わーだ。
今朝、「これからドラマの撮影なんだ」とか言ってたくせに案の定ついてきやがった。
こいつが隣にいると色々と面倒くさい。
試験中わからない問題で頭を悩ませていると答えを教えてこようとするから、シャレにならないのだ。ありがた迷惑というやつである。
小学生の時にカンニングを疑われて先生に雷落とされてからやらなくなったが、共通テストの時とかにそれをされたらやばすぎる。
「ふざけ……」
「お久しぶりですね!」
「おひさ、し、は?」
「すごい偶然! こんなことってあるんだ!」
「ん?」
目を絞らせてよくよく見てみる。
「あっ」
こいつ、金千代、じゃなかった、金音だ。長いまつげに艶やかな黒髪。目鼻立ちが似ているから見間違えてしまった。銀千代にそっくりな彼女の従姉妹である。
「最後に会ったのいつでしたっけ? 八月? 九月? ……そう考えるとそんなに経ってませんね。でもゆーくんさんと同じ塾だったなんてすごい偶然。これからちょくちょく会う機会増えるかもですね」
「いや俺は外部受験だよ。今回はたまたま」
「あ、そうなんだ。それはちょっと残念ですね」
しょんぼりと肩を落とす金音。
なんだろう、すごく、かわいい。
くそ、こいつら一族は男を手玉にとるのがうまいのだ。油断せずに心を強く持とう。
「あれ、そういえば今日は銀千代ちゃんどうしたんですか?」
周囲を見渡しながら、金音は首を捻った。
「あいつなら仕事だよ」
「さすがですねぇ。最近地上波のレギュラー決まったみたいですよ」
会場のピリピリとした空気が金音のやんわりとした雰囲気に柔らかくなっていくのを感じた。
そんな雑談を交わしていたからいつの間にか教壇に試験官が立っていて「はい、静かにして」と注意を受けてしまった。金音は可愛らしく俺に小さく舌を出した。あざとかわいい。
試験用紙が配られて、試験官の「はじめ」の合図で解答をはじめる。
「ふっ」
わかんねぇ。
模試というものは、ある程度勉強してから臨むもので、ノー勉じゃあ、意味がないんだなぁ。
相田みつをみたいな詩を考えていたら一時間目の英語が終わっていた。
「どうでした?」
「難しかった」
「ですねぇ」
金音と試験の合間合間で会話をした。
彼女の第一志望は国立で偏差値の高いところだった。まだ行きたいところも具体的に決まっていない俺とは天と地ほども差がある。最近、周りが先に行きすぎているような気がしてなんだかすごく劣等感を感じてしまうのだ。
そんなこんなで全ての試験が終わり、最悪な気分のまま帰り支度をはじめる。
全然解けなかった。でもまあ、あれだ、自分ができないということを自覚することが大切ともいうし、無知の知という点で俺は受験生としての第一歩を踏み出したと言っても過言じゃあるまい。
「簡単すぎて模試の意味ねーよ、これ」
「問題集解いてる方がよっぽどましだったったな」
周りのガヤがやかましいが、所詮虫の戯言、オレの心には響かない。さっさと帰って勉強はじめよう。
「あ、ゆーくんさん、一緒に帰りましょうよ。駅まで一緒ですよね?」
目が合った金音が声をかけてきた。断る理由もないので一緒に歩き出す。周りでガヤガヤうるさかった人たちが金音を見て、鼻の穴を大きくした。女子と触れ合いがない人生を歩んでいるのだろう。若干の優越感。
試験会場から外に出ると、一気に寒気にまとわりつかれた。
「さむぅ!!!」
二人して身を縮ませる。北風が町から温度を奪っていく。
「あ」
白い粒が視界にちらついていた。寒い寒いと思っていたら、雪が降っていた。
「わっ、雪ですよ!」
金音が嬉しそうに手を合わせて、
「積もるといいですね!」
笑顔を浮かべて呟いた。
「そうだなぁ」
と曖昧な同意をしつつも正直積もってほしくなかった。登下校がものすごくめんどうになるからだ。早く溶けろ、なんて思いながら歩いていると、どこからか「ガーガー」とアヒルの鳴き声のようなやかましい音が響いた。
なんだろうと思って音がする方をみたら、銀千代がキックボードで走行しながら、真っ直ぐこちらに向かってきていた。まさしく暴走である。
見なかったことにしたい。
「あっ、銀千代ちゃん……」
金音が小さく手をあげた瞬間、キックボードが段差に引っ掛かって、浮き上がり、勢いそのままこちらに向かって突っ込んできた。
「うおっ!」
粉雪が舞う。
「あぶない!」
顔面にぶつかると思った瞬間、金音はなんとかそれをしゃがんでかわした。当たっていたら間違いなく無傷ではすまされないスピードが出ていた。
地面に二三回バウンドして、最後は重心がずれたらしく、キックボードは横に倒れた。乗っていた銀千代も地面に倒れこんだが、
「いたたた……」
すぐに起き上がった。
「ゆーくん、怪我しちゃった」
第一声を受け、呆気にとられていた意識が帰ってくる。見た限り怪我なんてしていなかった。
「おまえ、……大丈夫かよ。……なにしてんだよ……」
降り乱れた髪を手櫛で戻しながら彼女は正面を向いた。
「お仕事終わったから、ゆーくんと一緒に帰ろうと思って飛んできたんだ!」
「撮影夜までかかるって言ってなかったっけ?」
「予定は夜までだったけど、NG出さなきゃ巻きで終わるよ。銀千代、演技するの得意だから!」
にっこりと歯を見せて笑い、倒れたままのキックボードのハンドルを握り、起こした。
「つか、危ないだろ! 事故ったらどうするんだ。安全運転を心がけろ!」
「び、びっくりしました……」
金音が胸を押さえながら、息をはいた。故意かどうかはさておき少なくとも大事故の一歩手前だったのは確かだ。
「銀千代ちゃん、おひさ……わっ!」
ぶぅん、と音がして、キックボードが金音の顔面めがけて飛んでいった。咄嗟に頭を下げることで金音はそれをかわした。凄まじい動体視力と反射神経だ。
「雪で手が滑っちゃった」
ちろりと舌を出して、俺を見つめてくる。狂気しか感じなかった。
どぐしゃあん、と音がして、キックボードが向こう側のブロック塀に当たって壊れていた。
「あぶねぇだろ! バカ!」
「銀千代ちゃん、いったいな……」
金音が喋り途中にも関わらず、銀千代は彼女の腹部に向かって、ケンカキックをくりだした。明確な殺意だ。
「わっ!」金音は小さな悲鳴を上げながらも、肩から提げていた鞄を正面に持ち替え、盾にすることでダメージを無効にする。
「……」
突然の暴力に金音はなにも言えずに呆然としている。
「ぎ、銀千代、おまえ、なにしてんだよ?」
「雪で足が滑っちゃった」
にこりと微笑んで足を戻す銀千代。滑るほど積もっていない。
「ぼ、暴力はやめろよ」
「暴力? なにもしてないよ。さっ、ゆーくん、一緒に帰ろ! 今日は寒いからシチューだよ!」
ウチの晩御飯のメニューをなんで知ってるのか知らないが、それよりもこれはキチンといっておかないと不味いことになると俺は判断した。
「もうなんでもいいから、金音にちゃんと謝って二度としないって誓えよ」
「ぎ、銀千代ちゃん、私が悪いことしたなら謝……」
銀千代の貫手が槍のように真っ直ぐ金音の首筋に伸びた。首をそらすことでそれをかわした金音は続きの言葉が吐き出せず、口をパクパクしている。
「ゆーくん、なにいってるの? 金音? そんな人いないし、知らないよ。ゆーくんと銀千代だけがこの世界にいればいいから」
「……お前は何をいっているんだ」
「令和のアダムとイブになろ?」
ならない。
「あのさ、いい加減にしとけよ。人を傷付けてはいけないって何回も言ってるだろ!」
「ここには人間なんていなかった。一人もね」
なんかちょっと悟った風な険しい顔付きで呟いた。
「銀千代ちゃん、わた」
金音が喋ると同時に銀千代の鋭い廻し蹴りが彼女の腹部を掠めた。なんとか身をよじらせて、それをかわした金音が、叫ぶように、
「ちょ、ちょっと、まってく」
口を開けたところで銀千代の第二撃のショートアッパーが顎を完璧にとらえたかとおもったが、金音はなんとか首をそらし、
「銀千代ちゃん、話をっ!」
アッパーがチョップに変わり、金音の頭頂部にハンマーのように振り下ろされたが、金音は背面飛びすることでそれを避けた。
「……」
「……」
二人無言でみつめあう。
顔が似ているので、鏡のようでもあった。
「声だ……」
「……!?」
「銀千代は金音の声に反応して反射で攻撃するようになってるんだ。お前はもうしゃべるな!」
「……っ」
こくこくと頷く金音に向かって銀千代が攻撃体制をとって足を一歩前に進めたので、思わず銀千代の手をつかんだ。
「ゆーくんからお手手繋いでくれるなんて久しぶりだね!」
「いや、お前、まじで洒落になんねぇって……」
「ちょっと待っててね、いまあの淫売のくされ【コンプラ】を潰してくるから。ゆーくんと同じ酸素を吸うなんて絶対に許せないんだから」
スイッチが音じゃなくて酸素とかヤバすぎるだろ。
「暴力振るうなって何回も言ってるだろ!」
くそっ、力が強い!!
銀千代は俺の制止を降りきろうと、ジリジリ前に進んでいる。
「暴力じゃないよ、いわばこれは救済。正義の鉄槌だよ」
だめだ! 力じゃ押さえられない。
くそ!
なんとかして止めないと!
俺は銀千代の背後に回り、彼女を羽交い締めにして、叫んだ。
「金音、なにボケっとしてんだ! 俺が抑えているうちに逃げろ!」
「で、でも……」
「こいつが本気を出したら、俺なんかが敵うわけないんだよ! 走らんかい!」
「……」
金音は無言で俺に押さえつけられた銀千代を指差した。
「……もう、大丈夫だと思いますよ」
「え?」
力が抜けている。
銀千代を離すと、その場にくにゃくにゃと軟体動物のように膝から崩れ落ちた。
「ゆーくん、から、あつい、ばっく、はぐ……ふふ」
銀千代は恍惚とした表情を浮かべ、口から泡を吹いて、失神していた。




