7 双子の兄ヴァレルの意地
船長にバレてしまった以上は、自分も白鳥号から降ろされてしまっても仕方がない。
それどころか、陸走船を海上の船と同じと考えるなら、船上では船長の権限は絶対だった。
たとえ死の捌きを受けても、誰も文句は言えない。
しかし、たとえ死の宣告を受けたとしても、ヴァレルは命乞いをする気はなかった。
剣を抜いた以上、死ぬ覚悟はできている――鞘から抜かなかったとはいえ、武装技術を発動させたのだ。船員たちを殺す気などサラサラなく、重傷にならない程度に手加減したつもりだったが、そんなことは言い訳にしかならない。
「わかりましたよ、クレイ船長。全部説明します。でも、その前に、こちらの質問に、一つだけ答えて貰えますか?」
この台詞は、クレイも意外だと思ったのか。灰色の双眼が、微かに笑みを浮かべる。
「良いだろう。ただし、一つだけだ」
判っていますよと、ヴァレルはニヤリと笑みを返した。
「クランベルク国籍の陸走船の船長には、クランベルク軍の将校がなると聞いたことがあります―――クレイ船長、貴方は『剣匠』ですか?」
突然、クレイは大きな声を上げて笑った。静かだと感じていた彼のものとも思えない、迫力のある笑い声だ。
「失礼―――ヴァレル・マグナス殿、貴殿は面白いな。しかし、その質問には意味がないことくらい、知っているだろう。確かに私はクランベルク軍に所属しているが、『剣匠』というのは、他国が勝手につけた呼称だ。自分が『剣匠』だと名乗る者は、クランベルク軍にはいない」
「その言葉だけで十分ですよ。上級剣士殿」
もちろん、クレイが、自分が剣匠だと言う筈がないことは判っていた。たが、たかが呼称とはいえ、剣匠を自身よりも上の存在だと思うクランベルクの人間ならば、敬意を払って、わざわざ『上級剣士殿』と言い直させる。ヴァレルは、さっきの船員たちから、それを聞きだしていた。
少なくともクレイは、『剣匠』と呼ばれる存在を、自分より上の存在とは思っていない。
「では、こちらの質問に答えて貰おうか」
ヴァレルの意図に気づいているようだったが、クレイは無反応だった。
「判りました―――貴方の部下がさぼっているのを、オレが見つけて挑発した。彼らが、思惑に乗って来たから、武装技術で痛めつけた。それだけですよ」
悪びれる様子もなく、ヴァレルは言い切った。
「武装技術の使用が、抜剣以上の行為だと言うことは、理解しているかね?」
「勿論です。船上法違反の罰は、どんなものでも結構です。ご自由に捌いてください。ですが、その前に―――」
これは賭けだった。
「部下である船員が乗客に対して非礼を働いた。どんな理由があろうと、こっちも事実です。クレイ船長、上官である貴方には、オレに対する罰とは相殺をしないで、監督者としての責任を取って頂きたい」
船員の罪を、自分の刑罰と引き換えにするつもりはない。ヴァレルが望んでいるのは、そんなことではなかった。
「なるほど。貴殿の見解は正しい。部下たちには厳罰を与えるとともに、私自身も責任を取らせて貰おう。その方法も、提案があるのだろう?」
「ありがとうございます、クレイ船長」
ヴァレルは、嬉しくて叫びたい気持ちを堪えた。クレイという男は、本当に良く解っている。
「それじゃあ、剣で責任を取ってください」
封印された愛剣を、ヴァレルは再び、鞘ごとベルトから引き抜く。
「抜剣はしなくて、良いのだな―――判った。了承しよう」
クレイは距離を置くために少し下がると、自分も鞘ごと剣を引き抜いた。鞘の上からでも、切っ先が僅かに曲がっているのが判る細身の長剣。ヴァレルの剣とは違い、鞘の部分は幾重にも革が巻きつけられており、中枢結晶体が埋め込まれているか、見えなかった。
クレイは髪を束ねていた紐を解くと、その紐を使って、鞘と柄が外れないように縛りつけた。解かれた長い金髪が、肩に掛かる。
「髪が目に入ったなんて、言い訳はしないでくださいよ」
「挑発するのは結構だが。相手を間違えると、愚か者だと思われるぞ」
クレイは準備が終わると、ゆっくりとした動作で、剣を正面に構えた。切っ先を少しだけ下に向けている。どこまでも静かな構えだ。
「さあ、始めるとしようか」
その言葉が終わった瞬間に、ヴァレルは動き出した。
クレイとの距離を一気に詰めながら、右のわきに剣を構える。ヴァレルの指先から中枢結晶体にマナが伝わり、鞘のままの剣は、真紅の炎のような光を帯びた。船員たち相手のように手加減をしたものではない、全力の武装技術の発動する。
――クレイは抜剣は無しだと言ったが、武装技術は禁止しなかった。
自分の思惑を知った上で、クレイは止めなかった。
――本物の上級剣士殿だな。
その確信とともに、ヴァレルは体重を掛けて――殺すつもりで剣を突き上げる。
次の瞬間。
ヴァレルは鳩尾に、クレイの肘を叩き込まれる。銀色の柄の剣は、鞘ごと天井に突き刺さっていた。
「嘘だろ……」
言葉の後半は、呻き声になった。ヴァレルは身体を折って、床に崩れ落ちる。
昔、クリスが言った言葉が、謙遜ではなかったことを、ヴァレルは知った。肘を叩き込まれた瞬間まで、ヴァレルには、クレイの動きを捉えることができなかった。
―――あいつが、謙遜なんてする筈がないか。
痛みさえなければ、自分は笑っていた筈だ。余りにも一方的な敗北に、不思議と清々しささえ感じる。
「……ホ、ホント……最高……じゃ……ないか」
無理やりに声を出して、必死になって顔を上げる。唇の端から、血が滴り落ちる。ぼやける視界には、クレイが剣先を下に降ろして立っているのが見えた。
「ヴァレル!」
高い声色が、クレイの背後で叫んだ。直後に、倉庫の扉から、誰かが飛び込んでくる。
ヴァレルを庇うように身を投げて、彼に覆いかぶさったのは、同年代の少女だった。