8 双子の妹ヘルガの誤算
肩まで伸ばした髪は、癖こそないがヴァレルと同じ色。目の色も同じ。淡い薔薇色の襟付シャツと、大きなリボンの付いたフレアスカート。裾から覗くのは、黒革のショートブーツだった。
少女は、ヴァレルの身体にしがみついたまま、肩越しに振り向いて、クレイを睨んだ。
「クレイ船長! 貴方に、こんなことを頼んだ覚えはないわ! 私は、ヴァレルを止めてって、言ったのよ」
クレイが乗客との昼食会を抜け出してまで、倉庫に現われた理由がわかった。少女が、ヴァレルたちが倉庫に入って行くのを見て、
「ヘルガ・マグナス嬢」
クレイは手を前に出して、レディに対する一礼をする。
「私の止め方が悪かったと、貴方が言うのであれば、事前に説明しなかった非を詫びよう。しかし、ヴァレル殿の負傷は、剣の捌きに基づいた結果だ。その行為自体を詫びる気はない」
「ヴァレルに怪我をさせたことは、謝らないって言うのね……クレイウォルフ・ヘーベルタッシェ。私は、貴方を許さない!」
「……ヘルガ……やめろ……」
ヘルガが、何をしようとしているのか。彼女の性格を知り尽くしたヴァレルには、良く判っていた。自分の双子の妹は、道理や理屈など全部無視して、クレイに決闘を挑もうとしているのだ。
「……お、おい」
「あんたは、黙ってて!」
ヘルガは、指先だけで小さな印を結ぶ。俗に『魔術』と呼ばれるマナ・アートの四系統の一つ、言錬技術。彼女は、言錬技術を発動させるのために、詠唱すら必要としない上位の使い手だ。
しかし―――。
「えっ……」
ヘルガの意に反して、言錬技術は発動すらしなかった。
「申し訳ないが、打ち消させて貰った」
クレイが真顔で応えた。
ヘルガは、一瞬だけ呆然としてから、肩を震わせて立ち上がる。
「魔力の力場ね。だったら、別のやり方をするだけよ」
ヘルガは、左腕を真横に突き出して、手を広げた。何もない空中から、細身の剣が現われて、彼女の手の中に納まる。刀身に彫刻された蔦模様。防護用に鍔の張り出した柄の中心部には、鮮やかな赤い宝石が輝いていた。
ヘルガは床を蹴って、真横に飛ぼうとした。その足を、ヴァレルは掴んで、何とか押し留める。
「ヴァレル、何をするのよ。手を放しなさい!」
「……それは、オレの台詞……だ。こいつは、オレの獲物だろ……」
ヘルガの足を掴んだまま。ヴァレルは痛みに歯を食いしばりながら、無理やりに身体を引き起こそうとする。唇の端から、いや口の全体から、ボロボロと音を立てるように血がこぼれ出した。
「ヴァレル!」
ヘルガは剣を放り出して、ヴァレルを抱かかえた。
「ごめん……ヴァレル……」
クシャクシャの顔から、大粒の涙がこぼれ落ちる。身体を動かされて、鳩尾が痛んだが、ヴァレルは何とか、呻き声を出さなかった。
「ヘルガ・マグナス嬢。兄上の手当てを、任せても構わないな?」
「……はい、クレイ船長。そして……先ほどの非礼をお詫びします」
「その必要はない。貴方は、兄のために剣を抜いただけだ。それもの剣の捌きの一つだ」
クレイは、倉庫の奥で今も倒れている船員たちに近づき、何事かを呟いた。淡い光が、船員たちを包んだかと思うと、一瞬で掻き消える。
「もう、立ち上がることくらいできるだろう。さあ、貴様たち、今すぐに持ち場に戻れ。処分は追って伝える」
船員たちは慌てて起き上がると、逃げるように倉庫を後にした。
それを確認してから、クレイは双子が蹲っている脇を通り過ぎて、扉に向かった。
「それにしても、貴殿たちには、困ったものだな。ガーランド・マグナス提督の苦労には、敬服する思いだ」
「クレイ船長……」
何とか声が出せるくらいには、痛みが治まっていた。ヴァレルは、ヘルガの肩を借りて身を起こすと、クレイの背中を見た。
「オレの処罰が、まだでしょう?」
「ヴァレル、もう良いでしょう……」
「駄目だ。自分がやったことには、責任を取らなきゃ」
クレイは振り向いて、じっと二人を見た。
「良い心掛けだな、ヴァレル殿。しかし、捌きは、もう終わっている」
「そんな筈はないだろう! オレは、船上法の捌きなんて受けていない……」
「捌きのやり方は、船長の権限で決定した」
「だからって……」
尚も食い下がろうとするヴァレルに、クレイは再び背を向けて、歩き出す。
「良いか、船長の権限は絶対だ。貴殿には、自分に罰を下す権利はない」
ヴァレルがやりかねないことは、見透かされていた。
うなだれて、歯軋りする。まだ傷が痛んだ。
「ヴァレル……」
「ああ、判ってるよ。今はもう、追い掛けて行く気力もないし」
ヴァレルは大きく息を吐くと、ヘルガに身を預けるようにして目を閉じた。




