31 キサラとヴァレル
――噂どころじゃない。あいつは本物の化物だよ!
オルテガの追撃を振り切るために、キサラは近くのフロアに飛び込み、教団の信徒と黒服の乱戦に紛れた。黒服を盾にすれば、オルテガとて、マナの大木を振るうことはできないだろう。
『不死者の宴』の中央を奥に真っ直ぐ伸びる廊下では、教団の魔術師ノクトフォールが、オルテガと対峙していた。魔術師が次の詠唱を行う時間を稼ぐために、巨大な盾を手にした二人の槍兵が、彼を守るように前に進み出る。しかし、すでに結果は見えていた。
オルテガは、まるで重機のように、馬車の残骸を大剣で薙ぎ払いながら前進していく。槍兵の盾と鎧は、メルカーナ神の加護を受けて燐光を放っていたが、相手がオルテガでは役に立なかった。大剣が一閃されると、盾ごと槍兵の身体がひしゃげて、不自然な角度に折れ曲がる。
――それでも、まったくの無駄死にって訳じゃないよ。枢機卿猊下が、きっと一矢くらい報いてくれるさ。
同胞がオルテガを仕留めることなど、期待してはいない。足止めできるだけで、もう十分だった。キサラは行き掛けの駄賃に黒服を殺しながら、廊下を奥へと向かう。
「――あたしが異教徒を一人でも多く殺すために、せいぜい粘っておくれよ」
槍兵の犠牲によって、ノクトフォールは詠唱を終えていた。今度は、オルテガの頭上にある天井付近に、数十本の氷柱が出現する。全長一メートルはある円錐形の氷塊は、ピシリと音を立てて、次々に落下した。
廊下を走るヴァレルの目に飛び込んできたのは、黒服と客が、カジノの所々で殺し合う光景だった。立て続けに響く銃声と、斬撃が奏でる金属音。白い大理石の壁と床に、赤い染みが浮かぶ。
「――何が起きているんだよ?」
ヴァレルは高速で思考を回転させて、現在の状況を把握しようとした。武装した客が、熱に浮かされたような目つきで襲い掛かる。対する黒服は、背中に他の客を庇いながら戦っていた。黒服の顔に、焦燥感が浮かんでいる――おそらく、客に紛れていた武装集団の襲撃を、彼ら黒服が阻止しているのだろう。
だったら、襲撃の目的は何だ? 金や怨恨など、ありきたりの理由は想像できるが、ヴァレルには、判断できるだけの情報がない。しかし、彼らが街のゴロツキなどではないことは、明白だった。
ヴァレルの前方、広い廊下の先には、破壊された馬車の残骸が転がっている。さらに前方では、天井から無数の氷柱が、一点に向けて降り注いでいるのが見えた。
「具現化系技術――いや、元素系技術なのか?」
ヴァレルは黒服の援護に回ることを考えた。客たちの中に、まだ武装集団が潜んでいる可能性はある。後ろから挟撃される、或いは、他の客を人質に取られたら、黒服たちの戦況は、もっと悪くなるだろう。
しかし、戦闘は五箇所で同時発生していた。いずれかの戦いにヴァレルが加担したとしても、状況が大きく変わるとは思えない。
先ほど、氷柱が落下した場所では、大理石の床に氷解が突き刺さっていた。半透明な柱に囲まれた中心部に、巨漢の男が立っているのが見える。岩を貫くほどの攻撃に耐えたことは、とりあえずは賞賛に値する。しかし、男が、どれほどの傷を負ったのか、今の位置からは判らなかった。
――マナ・アートを止める方が、先だな。
ヴァレルは意を決すると、氷の柱を目指して加速する。その刹那に、廊下を逆に走って来る女の存在に気づいた。
茨のように伸ばしたオレンジの髪と、薄紫色の目。黒いレザースーツに身を包み、左右の手には、一対の抜き身の剣が握られている。
付近のフロアから飛び出した黒服が、至近距離からマスケット銃を構えた。乾いた銃声――女は避けることもせずに、一瞬で黒服に迫ると、左右の剣を一閃させて、首を跳ね飛ばす。返り血を浴びながら、女は光悦感に浸るように、笑みを浮かべた。
女の剣が纏う淡いマナの燐光を見据えて、ヴァレルの青い目は、不敵な光を放つ。
「おまえも襲撃犯だな――先には行かせないぜ!」
走りながら自然な動作で、ベルトの左右に差した剣と短剣を引き抜いた。
当然ながら女も、ヴァレルの存在に気づいた。新たな獲物を求める野獣のように、女はグルリと赤い唇を舐めると、一気に廊下を駆け抜けて、ヴァレルに迫る。
立て続けに響く激しい金属音――左右同時に襲ってくる剣を、ヴァレルは左の短剣で片方を受け流しながら、右の長剣で反撃する。深紅の中枢結晶体が輝いて、二本の刀身を赤い光が包む。武装技術を使ったヴァレルの斬撃。しかし、女は軽々と受け止めた。
「坊や、やるじゃないのさ――黒服たちに比べれば、だいぶマシだね!」
見た目よりも数倍重い打撃が、見た目以上の速さで襲い掛かってくる――ヴァレルは間もなく、防戦一方になった。後退りしながら、必死に剣を避けるが、反応しきれずに肩と脇腹を浅く切られる。一旦、距離を置くために、ヴァレルは床を蹴って、後方に跳んだ。
「――あんた、結構強いよな」
息を切らせながら、青い目で女を見据える。劣勢は明らかだったが、ヴァレルの口元は笑っていた。思いがけぬ強敵の出現に、笑いが込み上げてくるのだ。
一瞬だけ、女は驚いたように目を見開いたが、すぐさま、野獣の笑みを浮かべた。
「坊やも大概だね――気に入ったよ! あたしは、キサラ・ゼルヴィアだ。殺されちまう前に、あんたの名前も教えておくれよ?」
「――ヴァレル・マグナスだ!」
ヴァレルは再び床を蹴って、女――キサラの間合いに飛び込んだ。
――もっと、強くだ――もっと、速く動けよ!
ヴァレルの高まった集中力は、自らの反応を追い越していた。意識に遅れる手足の動作を、もどかしく感じながら、必死に修正しようとする。
剣に埋め込まれた中枢結晶体が、ヴァレルの思いに応えて、深紅の輝きを増した。
それでも、キサラは余裕の顔で、ヴァレルの剣を捌いてしまう。
「マグナスって言ったらさ。確か、ジェノベスタの軍閥じゃないの?」
薄紫色の目が、値踏みするようにヴァレルを見る。ヴァレルは否定しなかった。
「だったら坊やも、あたしの獲物じゃない――クランベルクに賛同する貴族なんて、皆殺しにしてやるよ!」
キサラが本気になったのは、この瞬間だった。
一対の剣が、同時に加速する。剣の軽さを活かした素早い連打――しかも、ただ速いだけではなかった。まるで、各々が意思を持つ別の生き物のように、二本の剣はタイミングと高さを変えて、自在に襲い掛かってくる。
――ホント、やってくれるぜ。
ヴァレルは神経を研ぎ澄ませて、キサラの猛襲に反応した。剣と短剣と、反射神経を駆使して、絶え間なく続く連続攻撃を受け止める。しかし――。
キサラが、左右から高さの違う薙ぎ払いを同時に放ったとき、一対の剣の速度が、さらに増した。左の剣が再加速しながら、下向きに軌道を変化させる。
――面白い!
ヴァレルは、咄嗟に膝を折ることで、剣の高さを合わせるが――これが罠だった。
姿勢を崩したことで、僅かな死角が生じる。キサラは見逃さなかった。右の剣が、ヴァレルの短剣とぶつかる直前に、剣の軌道を九十度曲げて、薙ぎから突きへと変化させる。
左肩を、剣が直撃する。ヴァレルは咄嗟に、マナを集中させて防護壁を張ったが、完全に防ぐことはできなかった。肉を抉り取られた肩口から、赤い鮮血が噴き出す。
「あら、こんなモノなのかい?」
キサラの双眼が、嘲るように笑う――それでも、ヴァレルは止まらなかった。
「――喜ぶのは、止めを刺してからにしろよ!」
真紅の光を剣に集中させて、相手の剣を強引に押し退ける。そして、そのまま返しの剣を、至近距離に迫る女の脇腹へ叩き込んだ――刃が当たる瞬間、キサラの身体を淡いマナの光が覆う。マナの光は、まるで鋼の鎧のように、ヴァレルの一撃を完全に受け止めた。
「タイミングは悪くないけどさあ――坊やじゃ、力不足なんだよ」
ヴァレルの血塗られた肩に体当たりをして、反対側に駆け抜ける。キサラは振り向き様に、剣についたヴァレルの血を舐めた。
「シロウトの坊やにしては、良く頑張っているよ。さっきの精魂技術にしても、悪くなかったしね――あたしは、左腕を?ぎ取るつもりだったんだから」
剣や鎧にマナを込めて強化する武装技術に対して、自身の身体を流れるマナを制御する技術が、精魂技術だ。一撃必殺の威力を持つ武装技術による攻撃を防ぐために、有効な手段の一つではある。しかし、中枢結晶体を持たない人間の身体を制御することは、武装技術以上に困難だった。
海のように深い青の目が、真っ直ぐにキサラを見据える。
「――まだ、左腕は動くぜ」
ヴァレルは痛みを無視して、無理矢理に肩を動かした。片腕だけで戦える相手ではない――身体の一部が動かなくなることは、死を意味する。
「あら、そう――そんなに強がっても、意味がないけどねえ」
キサラの馬鹿にした声――ヴァレルは不敵な笑みを返した。
「キサラ、あんたの実力は認めるさ――だけど、オレは、もっと強い奴を知ってるぜ」
クレイ船長やアルペリオの相手をすることに比べたら、このくらいの劣勢など、タカが知れている。少なくとも、キサラの動きは、目で捉えることができるし、精魂技術を使わなければ、ヴァレルの攻撃を防げなかったのだ。
「クランベルクに喧嘩を売るのに相応しい力が、あんたにあるのか――オレが測ってやるよ」
ヴァレルの挑発に、キサラは憎悪の炎を燃え上がらせた。
「坊や、勘違いするんじゃないよ――今すぐ、殺してやる!」
野獣のような咆哮を上げて、ヴァレルに襲い掛かる。
ヴァレルは反射ではなく、意識を加速して、身体を反応させた。マナの光を帯びた互いの剣が、ぶつかり合って、光の破片を撒き散らす。




