25 双子の兄ヴァレルの悪ノリ
数分後。騒音を聞きつけた銀月館の客と従業員たちが、何事が起きたのかと、ゾロゾロと集まってきた。一人取り残されたレベッカは、遠ざかる馬車の後ろ姿を、呆然と見つめている。
駆けつけてきたロザリアが、レベッカの様子に気づいた。
「―――レベッカさん! 何があったの?」
身体を揺すられても、レベッカは全く無反応だ。ロザリアは心配になって、何度も声を掛ける。
「―――ねえ、レベッカさん。しっかりしてください!」
レベッカは、ようやくロザリアに気がついて、呟くように応えた。
「ちょっと、格好良いかも……」
場違いな台詞と、照れるような笑顔―――ロザリアは深くうなだれた。
※ ※ ※ ※
ヴァレルは車輪馬を、二区画ほど東に走らせた。辺りには他の馬車の姿はなく、道を行き交う人の姿も疎らだ。
風の中を突き抜けて走る感覚が心地良くて、ヴァレルは、久しぶりに乗る車輪馬に心が躍った。
そんな自分は子供じみていると、自覚はしている。しかし、同時に、自分の気持ちに従って何が悪いんだと、開き直ってもいた。
「なあ、アッシュ。道案内を頼むぜ」
ヴァレルが振り向かずに叫ぶと、御者台のアッシュは、憮然とした顔をする。一応は客だからと、敬語を使うかどうか考えたが、そんな考えは放り捨てた。
「いい加減にしろよ。僕がいつまでも、従順だとは思わないでくれ!」
「―――何だよ。おまえ、猫被ってたのか?」
「仕事だから、礼儀は尽くすさ。でも、君には、必要ないだろう」
ヴァレルは、面白がるように笑った。
「良いね、そういうの―――それじゃ、アッシュ。『不死者の宴』まで最高速で突っ走るには、どのルートを行けば良いんだ?」
「あのなあ―――君は、そんなことも知らないで、僕から車輪馬を強奪したのか?」
アッシュは呆れ果てた顔をする。無計画で無謀な自信家―――アッシュが一番苦手なタイプだった。
「それでもさ、アッシュが走らせるより速いだろ? クランベルクの路地を知り尽くした御者のアッシュに、オレの技術が揃えば、『不死者の宴』までなんて、あっという間だろ?」
―――へえ。一応は考えているんだな。
アッシュは一瞬感心したが、すぐに思い直す。この少年―――ヴァレルは、思いつきで行動して、後から理屈をつけているだけだ。
「なあ。このまま、ずっと直進するのかよ?」
催促されて、アッシュは意地の悪い考えを浮かべた。
ヴァレルが言ったように、アッシュはクランベルクの路地という路地を知り尽くしている。ルートは勿論、道幅から石畳の状態、時間帯別に、どの道が混んでいるかまで。
「―――二つ目の十字路を左に曲がって、またすぐに右だ。そこからの道は狭いから、壁に擦らないように、気をつけてくれよ」
「了解!」
アッシュの琥珀色の目が、ヴァレルの背中を疑わしげに見つめる。
―――せいぜい、お手並みを拝見させて貰おうか。
真っ直ぐ走らせるだけなら別だが、車輪馬を自在に旋廻させるには、経験が必要だった。不慣れな者が曲がろうとすると、意図した以上の大回りをして、壁や建物に激突してしまう。そういうアッシュも、御者になるための修練をしている間、何度か痛い経験をしていた。
馬車にはヘルガが乗っており、彼女まで巻き添えにするのは躊躇われるが。そもそも、アッシュは自分の車輪馬を傷つける気はなかった。いざとなったら、車輪馬に飛び移って、ヴァレルの代わりに操舵を握るつもりだ。
アッシュが言った二つ目の十字路に差し掛かろうとしていた。普通なら、数十メートル手前から減速して曲がるものだが、ヴァレルは全く減速しなかった。
「ヴァレル! すぐに減速するんだ。このままじゃ―――」
アッシュが叫ぶのを尻目に、ヴァレルは余裕たっぷりに応える。
「慌てんなよ。そんなことより―――」
目前に迫る十字路。ヴァレルは一瞬、後ろに振り返った。
「―――振り落とされないように、しっかり掴まっていろよ!」
馬車ノーブレーキで、路地から飛び出す。交差する通りは思いの外広く、互いに距離を保ってはいたが、少なくはない人と馬車が行き交っていた。
ヴァレルは操舵を左に切ると同時に、全体重を同じ側に掛ける。馬車は車輪を滑らせながら、他の馬車と馬車の間に滑り込みながら、九十度向きを変えた。しかし、加重に引っ張られて、馬車は通り沿いの建物の方へ横滑りする。
「―――言うことを聞けよ!」
ヴァレルは強引に捻じ伏せるようにして、操舵にマナを込めた。車輪馬は弾かれるように急加速して、再び前に動き出す。
「もう、ふざけないでよ!」
後ろからの声に、アッシュが反射的に振り向くと、ヘルガが馬車の車体に押し付けられるように、ひっくり返っていた。タイトなスカートから白い腿が顕になる。
アッシュは顔を真っ赤にして、慌てて背を向けた。
―――僕が悪いんじゃないぞ。全部、ヴァレルのせいじゃないか。
心の中で悪態をつきながら、自分が何もできなかったことに、さらに腹を立てる。今のスピードのまま動かれたら、車輪馬に飛び移るのは至難の技だった。
―――このままじゃ。馬車も、後ろのコも、無事じゃ済まないよな。
アッシュは、何か方法がないかと、必死に頭を働かせる。馬車に二回目の急制動が掛かったのは、このときだった。逆向きの慣性が、馬車を襲う。
「キャャャャャ!!」
ヘルガの叫び声が聞こえたが、すぐに静かになった。馬車の車体が通り沿いの建物に擦れる寸前で、ヴァレルは再び急加速して、強引に車体を立て直す。
今度、馬車が飛び込んだのは、馬車二台で擦れ違うには狭過ぎる路地だった。民家と思われる二階建ての建物が、通りの左右から張出すように建ち並んでいる。道の狭さのせいで、馬車がさらに加速したように感じられた。
「おい、ヴァレル。危ないから、もう少しスピードを落とせ!」
ヴァレルは聞こえていないのか、全く反応しない。
「―――ヴァレル! ヴァレル! ヴァレル!」
あらん限りの大声で叫ぶと、ようやくヴァレルが右手を上げて応じた。
「うるせえな、聞こえてるよ―――頼むから、もう暫くは黙っていてくれ」
スピードを落とす気など、まったくない。
「そうかよ―――だったら、僕だって!」
アッシュは覚悟を決めて、御者台の上に立ち上がった。
「―――できるさ!」
バランスを取りながら踵で台の上の硬い部分を探ると、アッシュは思い切り御者台を蹴って前に跳んだ。




