17 ヘルガの戦いの結末
ヘルガが恐る恐る目を開けたとき、ヴァレルはまだ生きていた。
ほっと息を吐くと、アルペリオの視線に気づく。ようやく、こちらに振り向かせたのだ。
「回りくどい言い方だな。時間稼ぎでないのなら、要点を纏めて話せ」
ヘルガは覚悟を決めて、達観したような笑みを浮かべる。
「知覚系技術に、心象伝達という技があることは、貴方なら知ってるわよね? 貴方がヴァレルを殺したら、私は、その視覚情報を、心象伝達で放射するわ―――肉親である私の感情を、付け加えてね」
心象伝達は五感で受けた情報を相手に伝える技だが、外的な情報を、そのまま伝達するだけのものではない。使用者のイメージという触媒を使うことで、情報は脚色されるのだ。肉親の殺害現場を見るという悲劇の情報は、ヘルガの情緒によって、よりショッキングに書き換えられて、外部に放射される。
「今ならまだ、陸送船の乗客が近くにいるはずよ。悲劇好きの貴族は、私のイメージを受け取って、何て思うかしら? 諸外国の有力者たちが抗議してきたら、クランベルク軍だって無視できるとは思えないわ」
反応を測りながら言葉を続けたが、アルペリオの表情は変わらなかった。
「おまえ、心理学部の学生だろ? 机上の空論としては上手い説明だが、ここは軍の施設だ。実戦用の対抗技術障壁を突破して、学生ごときの心象伝達が伝わるはずがないだろう?」
ヘルガも、このくらいの反論は予想していた。自分も軍人の娘なのだ、対抗技術障壁の存在くらいは知っている。
「だから、私自身の断末魔の叫びを利用するのよ―――貴方がヴァレルを殺した瞬間に、私も自殺して、その思念を断末魔の叫びと一緒に放つ。そうすれば対抗技術障壁なんて、簡単に突破できるわ」
人間が生命体である以上、その思念は死の瞬間に最大限に増幅される――これは感覚の話ではなく、言錬技術の専門家たちが長年研究をし、危険な臨床実験の末に辿り着いた結論だった。
そもそも知覚系技術とは、マナによって意識を拡散させて、相手の五感に働きかける能力であるから、イメージを伝達する媒体は、マナそのものなのだ。断末魔の叫びにより増幅された思念は、強力な魔力と化して、対技術障壁すら貫通する。
もっとも、対技術障壁の方も魔力から創られており、より強力な障壁であれば思念を遮ることは可能だ。
しかし、対技術障壁とは空間全体を遮断するものだから、維持をするだけでも大量のマナを消費する。ここが軍の施設とはいえ、重要な機密を扱う区域以外に、断末魔の叫びを遮断できる強度の障壁を張ることは不可能だろう。
今、彼らがいるのは、観光客の入出国手続き行う部屋だ。とても機密情報を扱う場所とは考えられない。
「状況は理解できたでしょう? だったら、具体的な取引の話をしましょう。まずは、ヴァレルを開放して―――ヴァレル、今すぐ武装技術を解きなさい」
有無を言わせぬヘルガの口調。ヴァレルは一瞬考えた後、赤い光を掻き消した。
「それから、剣を鞘に仕舞って。この施設を出るまで、絶対に抜かないこと」
今度の指示にも、素直に従う。ヘルガは内心で、小さく息を吐いた。
「さあ。ヴァレルを開放して頂戴。私たちは一緒に、この施設を出て行く。
それで全てが終わり。ここでは、何の事件も起きなかったわ」
「よく考えてある―――」
アルペリオは、ヴァレルの喉元に手刀を突き立てたまま、ゲラゲラと笑い出した。
「しかし、だ。オレが、ガキどもに舐められたままでいるよりも、ブチ殺して犯罪者になる方を選ばないと、どうして言える?」
「そんなの、簡単よ。貴方が、我がままな子供なんかのために、無意味なリスクを犯すとは思わないわ」
半分はハッタリだった。この男が理屈や道理を無視して、暴挙に出ないという保証はない。先ほど、いや、今でもアルペリオが宿している殺意は、本能的な脅威だった。
「―――よく判った」
言葉が終わると同時に、アルペリオは見えない速度で動いた――いや、ヴァレルは意識を集中していたから、残像だけは捉えることができた。
アルペリオは手刀を解くとほぼ同時に後ろに跳ぶと、足が地面に着く前に、ヘルガの方へ向き直っていた。
―――糞!
ヴァレルはヘルガとの約束を無視して、剣に手を伸ばす。しかし―――。
ヴァレルの右手が柄に届く前に、アルペリオはヘルガに向かって頭を下げていた。
「済まなかったな、お嬢ちゃん。オレの発言を取り消し、非礼を詫びよう」
右手の指を軽く揃えて、掌を上向きにして胸の前で組む。格式ばったポーズは、一瞬前の彼がやるとは想像もできなかったが、実際に見ると妙に似合っていた。
ヘルガは顔をしかめて、疑わしげな表情をする。
「何故、今さら謝るのよ。取引は成立したのだから、貴方には、そんなことをする理由がないわ」
「うるせえな。謝罪をしろと言ったのは、てめえだろ―――オレは謝罪をしたんだ。お嬢ちゃんは、どうするんだ?」
褐色の目が、ヘルガを見据える。殺意は消えていた。少なくとも、表情から伺うことはできない。
「判りました」
ヘルガは、アルペリオの方に一歩踏み出した。そして右手を差し出すと、アルペリオがその手を取る。
「申し遅れました。私はジェノベーゼ海軍将校ガーランド・マグナスの娘、ヘルガです」
古典的な名乗り方の意味に気づいて、アルペリオが応える。
「クランベルク公国諜報軍大佐、アルペリオ・スティングレイだ」
最低限の儀礼しか使わない台詞に、ヘルガは眉をしかめたが、そのまま続ける。
「アルペリオ・スティングレイ大佐。私、ヘルガ・マグナスは、貴方の謝罪を受け入れ、裁きの女神キルギスの名に誓って、全ての罪を水に流しましょう」
古くから大陸に伝わる和解の儀式だ。ヘルガの言葉が終わるまで、アルペリオは恭しく頭を下げていた。
不自然過ぎる光景を、ヴァレルは立ち尽くして見つめながら、アルペリオが何を仕掛けても対応しよう
と、神経を研ぎ澄ます。
「それじゃ、終わりだな」
儀式の言葉が終わると、アルペリオが言った。
ヘルガの返事を待つことなく、背を向けて兵士たちを見る。
「おい。役立たずな貴様らには似合いの仕事だ。この二人を局舎の外まで案内してやれ」
二人の兵士は銃を肩に戻して、慌てて駆けてくる。
アルペリオは、大きな欠伸をすると、再び踵を返してヘルガの方を向いた。
「そういうことで、後は好きにしな」
ヘルガと擦れ違うようにして脇を通り過ぎると、先程まで座っていた椅子のところに戻る。
身体を投げ出すようにようにして椅子に寝転がると、アルペリオは目を閉じて、すぐに寝息を立て始めた。
ここまで来て、ようやくヴァレルは緊張を緩めることができた。即座に、もう一つの気掛かりに向かう。
「アストリアス!」
近づいてきた兵士たちは、すでにアストリアスの傍らにいた。
一人が屈み込んで、傷の様子を確かめている。
「中尉のことなら、心配いりませんよ。今は意識がありませんが、命に別状はありません」
士官の鳩尾の側に穿たれた傷。兵士は慣れた手つきで止血用の布を宛がう。全く慌てた様子も、緊張感もない。
「いつものことですよ。大佐は、殺すのも生かすのもプロですから」
ヴァレルは少し呆れた顔をする。しかし、とりあえずは一安心だ。
「さあ、行きましょうか。貴方たち二人は、私が案内します」
アストリアスの手当てを同僚に任せて、もう一人の兵士が促す。
「そうだな―――」
ヴァレルはヘルガを探して、視線をさ迷わせる。
ヘルガはアルペリオの側にいた。椅子で寝息を立てる姿を見つめて、深く頭を下げる。
「アルペリオ大佐。それでは、失礼します」
ヘルガは、あの男との邂逅によって、何を失い、何を得たのだろう。ヴァレルは複雑な表情で思いを巡らせる。
そして無言で頷くと、兵士に言った。
「悪いな。オレもちょっと挨拶してくる」
ヴァレルは戻ってきたヘルガと擦れ違い、アルペリオの前に立った。目を閉じたままの男を、深い海の色の目が、挑発するように見る。
ヴァレルは小声で、囁くように言った。
「どうして、オレたちを殺さなかったんだ。あんたなら、知覚技術を阻むなんて、簡単なことだろ?」
ヴァレルの問いに、相手は本当に眠ってしまったのか何も応えなかった。
予想通りの反応だと、ヴァレルは苦笑する。
―――そうだよな。答えは、自分で決めれば良い。
「ヴァレル。早くしないと、置いて行くわよ!」
ヘルガの顔は、さすがに疲れていた。しかし、少なくとも声の方は、いつもの明るい調子に戻っている。
「置いて行くって。おまえの荷物を持つのも、結局オレだろう?」
「だったら、荷物ごと残して行くから、後はよろしくね」
「仕方ねえな。すぐ行くよ―――」
ヴァレルは最後にアルペリオを一瞥すると、ヘルガの後を追った。




