18 クレイ船長とアルペリオ
ヴァレルとヘルガが立ち去ってから十分ほど後。
アストリアスは応急手当てを受けて、医務室に運ばれた。二人の兵士も別の仕事を始めたのか、戻って来てはいない。
他に誰もいなくなった部屋で、アルペリオは寝息を立てていた。
不意に扉の開く音がして、コツコツと靴音が近づいてくる。
アルペリオは不機嫌な顔で目を開いた。
「てめえ、いい加減にしろよ! 面倒臭えことを押しつけやがって。俺を呼び出したのは嵌めるためか?」
陸走船白鳥号の船長クレイは、灰色の目に揶揄うような笑みを浮かべる。
「そうか? 私には、貴殿が楽しんでいるように見えたが」
「クレイ―――てめえとは一度白黒つけておく必要があるな。前にも言っただろう、オレはガキが嫌いなんだよ」
アルペリオは椅子から起き上がると、煙草を取り出して火をつけた。
クレイが嫌な顔をする。
「ここは、禁煙だったはずだが」
「うるせえな。堅えこと言うなよ」
煙草の煙を肺一杯に吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「ところで―――本当の用件は何だ? てめえは偽善者だが、ガキの尻を追い回すほど酔狂でもねえだろう?」
「貴殿は話が早くて助かる」
クレイはニッコリと笑った後、不意に真顔になる。
「メルカーナ教団の武闘派がクランベルクに侵入した―――確認が取れただけでも、十人前後の集団が八。おそらく、総数は二百人以上に上るだろう」
アルペリオは驚く様子もなく、もう一度、煙草を大きく吸い込んだ。
「諜報軍の二課の連中は、遊び呆けていたのか? 制服組から情報を貰うなんてな。オレの担当だったら、情報ソースごと、なかったことにするがな」
「貴殿の過激な意見はさておき―――情報を持ってきたのは二課だ。こういう類の仕事に関して二課のアリス少佐は、貴殿よりもよほど勤勉だよ。今まで貴殿の耳に入らなかったのは、カイエ・ラクシエルが、そう命じたからだ」
カイエ―――クランベルクの創設者の名前だ。
アルペリオは顔をしかめて、舌打ちする。
「カイエには言いたいことが山ほどあるが……今はやめておくか。それよりも―――クレイ。白鳥号の乗客にも、教団のパトロンが紛れ込んでいただろう?」
「そうだ。彼らの方も今は泳がせている」
そういうことか。アルペリオは二本目の煙草に火を着けながらクレイを見据えた。
「ここまでオレに話したんだ。もう動いて構わないってことだよな?」
クレイは半ば呆れた顔で頷く。
「気に入らない相手が目の前を通ったのだ。貴殿なら、絶対に足を掛けるだろう?」
「当然だ」
もう話は終わりだと、アルペリオは立ち上がった、
「少しは面白くなってきたな―――やり方は、オレの好きにさせて貰うぞ。カイエには、よろしく言っておいてくれ」
クレイを残したまま、アルペリオは部屋から出て行こうとする。
「まだ用件は終わっていない」
アルペリオは、面倒臭そうに振り向く。クレイの目が静かに、こちらを見ていた。
「もう一つ話がある―――エストランダ中尉のことだ」
「ああ、アストリアスの馬鹿のことか。奴にも言っておいてくれ。糞真面目なだけじゃ、オレの部下は勤まらないってな」
軽口で応じて再び歩き出そうとするのを、クレイの射抜くような視線が止める。
「そうではない。貴殿が負わせた傷について、話を聞きたいのだ」
「大した怪我じゃないだろう。この程度のことで、上層部の奴らは始末書を書けとでも言ってるのか?」
「それも違う―――」
アルペリオは、次第に苛立っていった。
「クレイ。てめえは、何が言いたいんだ? もっと、はっきり言えよ」
「判った―――」
クレイは頷いて、言葉を続ける。
「貴殿の実力であれば、部下を止める程度のことで、相手に外傷を負わせる必要などないだろう? 普段であれば傷一つ付けることなく、中尉の動きを止めていたはずだ」
そんなことかと、アルペリオは鼻で笑った。
「できるのと、やるのは違う。オレは、奴に思い知らせてやりたかったんだ」
「そういう風に考えた方が楽なのは判る。だが、戦友として忠告しよう。自分を誤魔化して得られる慰めなど、我々が望むべきものではない―――アルペリオ。貴殿が苛立つのは、あの双子が原因だ。あの娘の姿に、昔の面影を重ねて―――」
この瞬間、アルペリオの目の色が変わった。褐色の瞳が、まるで地獄の業火のように赤く燃え上がり、激しい怒りを撒き散らす。同じように殺意を宿しているというのに、ヴァレルたちに見せた冷酷な殺戮者の姿とは、まったく違う生き物に見えた。
「クレイ、剣を抜け―――それとも、このまま弄り殺しにしてやろうか!」
クレイの灰色の目に、哀しみが浮かぶ。
「すまない、私の失言だった……」
言葉とは裏腹に、クレイは腰に下げた長剣へ手を伸ばした。切っ先だけが緩やかにカーブした細身の刀身。幾重にも革を巻き付けた柄に、いつでも抜けるように手を掛けながら、アルペリオを見据える。
「人が何に対して怒りを覚えるか。それを知ることで、相手を理解するができるというが―――私は、貴殿の心に語り掛ける言葉すら知らない青二才のようだ。ならば、せめてこの剣で語るとしよう」
灰色の双眼は、アルペリオを正面から見据えて、一点で静止する。クレイは本気だった。
鞘に収まったままの剣から、眩いばかりの金色の光が止め処なく溢れ出していた。
アルペリオの褐色の目は、野獣が咆哮を上げるかのように本能的に威嚇する。
両手が空中から何かを掴むように動いたが、その手の中は、まだ何も見えなかった。
まるで、空気そのものが軋み声を上げるような緊張感だ。どちらかが、少しでも動けば、生と死による結末を迎えるまで止まらないだろう。
「―――くだらねえ。オレは降りるぜ」
アルペリオは、突然自制心を取り戻したかのように言った。クレイが放った死を厭わない本物の戦慄が、激情に冷水を掛けたのだ。
クレイは剣の柄から手を放して、静かにアルペリオを見る。
「貴殿を巻き込んだことは、私の失態だと思っている。しかし、今さら後戻りをする気はない。そうであろう?」
「そこまで言ったら奢り過ぎだろ。オレは、てめえの部下じゃないんだ。何をどうするかは、自分で決めるぜ」
アルペリオは新しい煙草に火をつけると、クレイにも差し出した。
「おまえもやるか?」
「部下には内密、ということであれば」
アルペリオはニヤリと笑って、煙草の箱を投げる。
クレイが煙草に火をつけて、一服吸うのを待ってから、アルペリオは続けた。
「なあ、クレイ。オレは、あのガキどもに拘っているように見えるか?」
アルペリオの言葉から、苛立ちは消えていた。
クレイは黙って、煙草をふかしながら、アルペリオの言葉に耳を傾ける。
「拘っているとか、そんなんじゃねえんだ。奴らを放っておけば、自分から火の中に飛び込んで、三日と経たずに土の中だ。だから、オレは、その前に死の恐怖ってやつを、骨の髄から思い知らせてやりたい。それだけだ」
クレイは頷いて、微かに笑みを浮かべた。
「私も、あの二人を面白い存在だと思っている。見ていて、飽きないからな」
「そうだな。生意気でムカつくが、離れて見ている分には面白い―――ああ、判っているさ。そういう馬鹿なところを、オレは記憶の中の屍と重ねて見ている」
だから、自分が死ぬことを想像すらしないやり方に腹が立ち、今度こそ救ってやりたいという気持ちと、死んだ奴に似た者に対する憎しみの両方を抱えてしまうのだ。
アルペリオは皮肉げに笑おうとしたが、うまく笑えなかった。
「そこまで判っているのなら、貴殿に何も言うことはない。差し出がましい真似をして、本当に済まなかったな」
「おいおい。てめえが殊勝なことを言うなんて、気持ち悪いな」
アルペリオは揶揄うように笑うと、床に煙草を投げ捨てて、靴の裏で踏んで火を消す。
クレイは嫌な顔をするが、アルペリオは気にする素振りも見せない。
言葉にこそしなかったが、アルペリオはクレイに感謝していた。
クレイは自分の中にあったモヤモヤとして不可解だったモノを、はっきりと自覚させてくれたのだ―――
認めてしまえば、やりようがあると。




