16 双子の妹ヘルガの賭
「私は、自分のプライドに賭けて、貴方に謝罪と、侮辱の言葉を取り消すことを求めるわ」
ヘルガが叫んだのは、このときだった。
アルペリオはヘルガの話など聞いていなかった。殺意に満ちた褐色の目が、彼女の頭越しにヴァレルたちを見据える。
「ほう。兄貴の方まで来たか―――お嬢ちゃん、おまえは後回しだ」
ヘルガの肩を叩いて押し退けると、ヴァレルたちの方に進み出る。
ヘルガは肩に残る感触に目を見開き、その場に立ち尽くした。
「大佐―――」
アストリアスはヴァレルの剣に追い立てられる格好で、アルペリオに対峙した。碧色の目に、もう迷いはない。
「このような事態となり、申し訳ありません」
アルペリオは、冷酷な笑みで応じた。
「無様だな。人質に取られるくらいだったら、舌を噛んで死ね―――何なら、オレが殺してやろうか?」
突然、アルペリオは嘲るような笑い声を上げた。
「なんて、オレは茶番に付き合う気はねえよ―――アストリアス。裏切りの代償を払う覚悟は、できているんだろうな?」
アルペリオは、ヴァレルたちの思惑など見抜いていた。しかし、ヴァレルにとっては、これも予測の範囲だった。
―――だったら、次の手を打つだけだ。
ヴァレルは入れ替わって前に出ようとするが、アストリアスが身振りで制する。碧色の目は、揺らがずにアルペリオを見ていた。
「大佐がどう思われようと、仕方がありません」
言葉が強く響く。
「しかし、私は軍を裏切ったつもりはありません。エストランダ家の誇りに賭けて、今でも最良の選択をしたと―――」
唐突に言葉が途切れた。アストリアスは身体を折るように崩れ落ちる。
ヴァレルは一瞬、何が起きたのか判らなかった。
「―――馬鹿が。これ以上面倒な理屈に、付き合えるか」
アルペリオは、吐き捨てるように言い、血が付いた指先を舐める。
「アストリアス!」
ヴァレルは反射的に駆け寄ろうとするが、どうにか思い留まった。
「それが正解だな」
アルペリオは値踏みをするようにヴァレルを眺める。
「だが、さっきのオレの動きが、おまえには見えなかったんだろ? そんな程度で、勝てるとか思ってるのか?」
「さあね―――ホントは、見えていたかも知れないぜ」
ヴァレルは喋りながら必死に次の手を考えていた。早回しの展開に、思考が摩擦熱を上げる。
アルペリオは見透かすように目を細めた。
「おまえが嘘つきかどうか、試してやろうか?」
「そいつは、有り難いね」
ヴァレルはギリギリの選択を迫られていた。一手でも間違えれば、命はないだろう。
―――ホント、面白いな。
しかし、今はヘルガの命まで懸かっている。緊張感を楽しんでいる訳にもいかなかった。
自分とアルペリオとの距離をミリ単位で計りながら、ヘルガの立ち位置を確認する。
―――ヘルガ!
ヴァレルは思わず叫びそうになる。
このとき、ヘルガは振り返って、アルペリオの背中をじっと見た。
ヘルガの顔は憔悴し、青冷めていたが、海の色の目には強い意志が宿っている。
「いい加減にしてよ!」
ヘルガは叫んで、アルペリオの方へにじり寄った。
「勝手に動くな」
アルペリオは振り返ることなく、腹に響く低い声で告げた。
「―――それ以上近づいたら、殺す」
ヘルガは足を止めるが、それは、恐怖のせいではなかった。
「やれば良いじゃない!」
甲高い声で、思いを叩きつける。
「殺すとか、死ねとか、そんな言葉ばかり使って。語彙が足らない馬鹿な子供みたい」
ヘルガは、自分が危ない橋を渡っていると、自覚していた。まるでヴァレルみたい―――だから、同じように、覚悟はできている。
「ホント、貴方は子供と同じね。デリカシーを知らない子供の図々しさで、相手のプライドを平気で傷つける」
話を続けながら、視界の端のヴァレルに気づく――今にも飛び出しそうな顔だ。
ヴァレルには悪いとは思ったが、今さら後戻りするつもりはない。
「でもね―――貴方は、確信犯というほど、強かじゃない。ただ、相手の気持ちが想像できないだけ。知らずに相手を傷つける愚か者だわ!」
ヘルガが話をしている間、アルペリオは表情一つ変えなかった。
ヘルガの台詞が途切れると、アルペリオはヴァレルを見据えたまま呟く。
「それだけ言えば、満足だろう? そろそろ終わらせるか」
アルペリオの右手が横に小さく動く。
ヴァレルは、それを見逃さなかった。
「ヘルガ、伏せろ!」
叫ぶと同時に、自分を狙う銃の射線上と、アルペリオの身体が重なるように位置を変える。
―――やれるだけ、やってやる!
ヘルガはヴァレルの意図に気づいたが、逃げなかった。直立不動の姿勢で、指先で小さな印を結ぶ。背後で乾いた銃声が響いた瞬間、ヴァレルは身体を捻りながら右側に跳んだ――
マナで強化されたヴァレルの知覚が、空気を切り裂く弾丸の軌道を捉える。
一発は先ほどまでヴァレルが居た場所に、その先にはアルペリオの姿があった。
もう一発は――ヘルガを背中に庇うように向き直ったヴァレルの胸元に迫る。
―――正確に狙いやがる。おかげで、予測しやすいけどな!
ヴァレルは赤い光を放つ剣を横向きに構えて、弾丸を受け止めた。鉛の弾は、マナの輝きに突き刺さり、鈍い音を立てて落ちる。
「惜しかったな」
背後からの低い声―――
ヴァレルは反射的に前に跳ぼうとするが、それが無理なことに気づく。
アルペリオの手刀が、喉元にピタリと突きつけられていた。
「ガキの割には、頑張った方じゃねえか? 狙いは悪くなかった」
手刀とは逆の手で、弾丸を投げて弄ぶ。マスケット銃を撃った二人の兵士は、照準から顔を上げて、こちらを伺っていた。
「てめえら、ただじゃ済まさねえぞ。こんなガキに踊らされやがって―――おい、お嬢ちゃん。動くなって、言ったよな?」
「ヴァレル……」
ヘルガは悔しかった。ヴァレルが、自分を守るために、危険に身を晒したことが。その上、今まさに自分のせいで、ヴァレルは敗北しようとしているのだ。
泣きじゃくって、ヴァレルに駆け寄りたかった。もう、こんな馬鹿なことはしないで……私のせいで負けないで―――ヘルガは、自分の無力さを思い知った。
だけど―――。
「―――ねえ、取引をしましょう?」
背中から浴びせられた言葉。アルペリオは無表情な顔で応えた。
「おまえ、自分が何を言っているのか判っているのか? この期に及んで、おまえに何か残っているって?」
「まだ、私の命があるわ」
毅然と響く声に、ヴァレルが反応する。
「ヘルガ、やめろ!」
叫んでも、身体を動かすことはできない。ヴァレルは舌打ちし、何か手はないかと思考を走らせた。
「お願いだから。あんたは、大人しくしていて」
ヴァレルの視界の端に、ヘルガが睨んでいるのが見える。
海の色の目が、この男は私に任せたはずでしょうと訴えていた。
「もう一度言うわ。私の命を貴方にあげるから。その代わりに貴方はヴァレルを―――今、喉元に手刀を当てている子を、開放してくれないかしら?」
アルペリオは、詰まらなそうに応える。
「おまえ、取引って言葉の意味を理解しているか? そんなことをして、オレに何のメリットがある?」
「あるわよ。このままヴァレルを殺したら、貴方は無抵抗な市民を虐殺した罪で、軍を追われるもの。私との取引に応じれば、何も無かったことにしてあげるわ」
言葉は響かなかった。アルペリオは指先に力を込める。
「―――本当にそうなるか、試してやるよ」
ヴァレルの首筋に血が滲む。ヘルガは息を呑むと、一気に早口で捲くし立てた。
「そんなことをしたら、絶対に後悔するわよ! 貴方には、自分の判断で敵を排除する権限があるみたいだけど、今回だけは当て嵌まらないわ。私たちが脅威ではないって証明してくれる人が、沢山いるんだから!」
最後の部分は目を瞑って叫んだ。




