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15 双子の兄ヴァレルは取引を持ち掛ける


 少しだけ、時間を撒き戻して―――。

 ヴァレルと士官が切り合いを始めた頃。


「アストリアスの奴、ガキが構えるまで待ったな―――間抜けが。だから、てめえは、まだまだなんだよ」


 男は舌打ちして、嘲るように笑った。傍にヘルガがいるなど気づいていないかのように、完全に無視している。


―――何よ、こいつ!


 ヘルガは腹が立ったが、怒りをぶつける術を奪われていた。兵士は、今も自分たちに銃を向けている。


―――最悪だわ。


 全く、理不尽極まりない状況だと思うが、同時に、それを招いたのは自分だと、悔しさに唇を噛み締める。この男の行動を、どうして予測できなかったのだろう。自分の間抜けさに、吐き気がした。


「実力だなんて、笑わせないで。貴方は、部下を使って、脅してるだけじゃない」


 ヘルガの反論を―――唐突な殺意が射抜いた。

 男の顔から、先ほどまでの気だるい表情が掻き消える。代わりに出現したのは、残酷な殺戮者の顔だった。褐色の双眼が、まるでモノを見るような目つきでヘルガを見る。


「おまえ、何も見えていないな。感性が鈍すぎる」


 興味をなくしたかのように、感情の一切を削ぎ落とした冷酷な声が告げる。


「死に方くらいは、選ばせてやる。このまま黙って死ぬか、戦って、オレに殺されるか。部下には手は出させないから、言錬技術でも、剣でも好きに使えよ」


 男の言葉が、まるで蛇のように心と身体を締め付ける。ヘルガは生まれて初めて、本物の恐怖というものを知った。


 全身が凍りついたかのように痺れるのを感じる。足がガクガクと震えていたが、それが自分のものだ実感できなかった。喉が乾いて舌の奥の方が痛い。心臓の鼓動が段々大きくなり、他の音を押し潰していくのが判る。


―――もう、怖いのは嫌!


 このまま抗うのを止めてしまえば、楽になれる。そんな考えが、ヘルガの心を侵食していった。心を貪る闇は、視界まで奪い、目の前から光が消えてしまう―――。


 しかし。ヘルガは、どうしても諦めることができなかった。


―――私は意地を張っているだけ―――そうかも知れない。


 だけど『女である自分』にこだわるから、私は私でいられるのよ。

 誰かに守られるのではなく、自分の足で歩きたい。

 だから―――負ける訳には、いかないわ。


「……貴方も、判らない人ね」


 恐怖に抗いながら、ヘルガは絞り出すように声を出した。


「貴方と私は、意見が対立した訳じゃない。貴方が一方的に、私を侮辱したのよ。だから―――」


 自分の言葉が、どのような結末を招くのか。そんなことは、もう考えなかった。ヘルガにとって重要なのは、先のことではない。今、この瞬間の気持ちなのだから。

「私は、自分のプライドに賭けて、貴方に謝罪と、侮辱の言葉を取り消すことを求めるわ」


※ ※ ※ ※


 再び時間を巻き返して―――

 ヴァレルが最後の一撃を見舞った直後。


 頭の数センチ上で止まったままの剣。士官は真っ直ぐに、ヴァレルを睨んだ。


「どうして、殺さない? 私に情けを掛けたつもりか?」


「そうじゃねえよ―――」


 ヴァレルは、うんざりした顔で目を反らす。その瞬間、何気ない仕草で視線を走らせて、銃を構える兵士たちの動きを確認した。彼らは今も微動だにせず、照準を定めている。


「あんたを殺ったら、監獄行き決定だろが。それに、死体は人質にならないからな」


「人質だと……これ以上、私に恥を掻かせるつもりか?」


 恥の上塗りをするくらいなら、剣の方に身を投げて命を捨てる。士官の碧の目が、そう告げていた。


「少しだけ、話をさせてくれないか」


 ヴァレルは、マナの光を持続したまま、士官をじっと見つめる。

 そして、声の音量を落として、士官に囁いた。


「アストリアス―――土下座でも何でもするから、オレたちを助けて欲しい」


「私が、君を助けるだと? ふざけないでくれ」


 士官は疑わしいという顔をしながら、何かを感じたのか、ヴァレルに合わせて音量を落とす。


「オレは本気だぜ」


 ヴァレルは真顔で応じた。深い青の瞳が、真っ直ぐに士官を見る。


「これだけ無茶苦茶やったんだ、自分の罪は認めるさ。だから、さっき投降しようとしたのだって、半分は本気だぜ。だけど―――オレが投降したら、ヘルガが、妹が、殺される」


 ヴァレルの真剣な眼差しを、士官は食い入るように見つめた。


「そんなことはない。君たちが素直に投降するなら、我々は、命を奪ったりはしない。クランベルク軍が、無抵抗の者を処刑するなど、ありえない」


 ヴァレルは悲しげに笑って、首を左右に振った。


「アストリアス。あんたの言葉は信じられる。あんたという個人ならば、な。だけど―――オレの後ろにいる男が、ヘルガを殺すことを躊躇するとは思えないぜ」


 ヴァレルに促されて、士官は背後に視線を走らせる。

 五、六メートル後方で、ヘルガと男が対峙していた。こちらを向いている男の褐色の双眼には、無慈悲な殺意が宿っている。そして、何よりも、二人を包んでいる異様な空気が、ヴァレルの言葉を肯定していた。


「―――そんなはずはない。アルペリオ大佐は、確かに厳しい方だが、投降した者を殺めるなど……」


「本当は、あんたも同じ考えなんだろ―――アルペリオ大佐か」


 ヴァレルは士官の言葉を遮って、真っ直ぐに問い掛ける。


「あの男が、人を殺すのには、理由なんていらない。そうだろう?」


 士官は、ヴァレルの意図を理解した。その上で、可能性を否定できないことに気づく。そして、そう考えてしまった自分を忌々しく思った。


「―――万が一、そのような事態になったとしても。私の手で、必ず止めて見せる」


「判っているさ。あんたを疑うつもりはない。だけど、あいつは大佐ってくらいだから、あんたより階級が上だよな? 軍は上官の命令が絶対だろう」


「たとえ、軍規違反になろうとも構わない。私の名誉に賭けて誓おう」


 士官の碧色の目が、正面からヴァレルの目を捉える―――この男は本気だ。それが、よく判った。


「だけどな、アストリアス。銃を持っている二人が、あんたと同じだとは限らないんだよ」


 ヴァレルは、ゆっくりと言葉を区切りながら、士官に迫った。


「もし、万が一という事態が起きて、奴らがヘルガを殺そうとしたとき。あんたが阻止しようとするのに対して、相手は三人で、しかも飛び道具つきだ。もし、止められなかったとしても、誰も……オレもヘルガも、あんたを責めたりしないさ……」


 ヴァレルの話が終わってから数秒の間。

 士官は、ヴァレルの顔をまじまじと見ながら、何かを考えていた。

 それから、一度目をギュッと閉じると―――再び目を開けたとき、士官は決意していた。


「私は、何をやれば良いんだ?」


 ヴァレルは、さらに音量を抑えて、最大限の感動を言葉に込めた。


「ありがとう、アストリアス―――まずは武装技術を解いて、人質役を頼む。そして、もしアルペリオ大佐が、ヘルガを殺そうとしたら―――」


「待て。その前に、もう一度聞きたいことがある」


 士官は毅然とした態度で、ヴァレルに告げた。


「妹君の安全を確保できた暁には、君は投降する。それは嘘ではないのだな?」


「ああ、アストリアス。オレを信用してくれ」


 ヴァレルは笑顔を返しながら―――内心では、もう次の手を考えていた。マスケット銃の兵士は良いとしても、あの男、アルペリオ大佐に、人質など通用するのか?


―――ダメな可能性の方が高いと、考えるべきだろうな。あいつが牙を剥いたとき、どうやって対処するか。そいつを、先に考えておかないとな。


 今の瞬間まで。アルペリオ大佐は、ヘルガに手を出していない。ヴァレルの直感が予想した通りだが、しかし、その理由までは、測り知ることはできなかった。


「それじゃ。アストリアス、行こうか」


 ヴァレルの言葉に、士官はマナの水色の光を消すと、サーベルを鞘に戻した。そして、ヴァレルが赤い剣で促す方向―――アルペリオ大佐とヘルガの元へと歩き出す。


 ヴァレルは、アルペリオを右に、兵士たちを左にした横向きの姿勢を取ると、両側を警戒しながら、士官を追い立てるように進んだ。その間、頭の中では、高速回転で思考を巡らせる―――ヘルガとアルペリオは、口論をしているようだ。


「私は、自分のプライドに賭けて、貴方に謝罪と、侮辱の言葉を取り消すことを求めるわ」


 ヘルガが叫んだのは、このときだった。


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