13 双子の妹ヘルガの喧嘩
一、一切の武器について、公国内では封印をしない。自己責任により保持すること。
二、マナ・アートの使用についても自己責任を前提に許可する。
三、入国した外国人の生死その他、安全について、クランベルク公国は一切の責任を負わない。
通常、都市に外部の人間を迎え入れる場合、武器に封印を施すことは勿論、大抵は退出時に返却することを条件として武器を取り上げてしまう。治安維持のための当然の処置だ。ヴァレルたちの故郷、ジェノベスタの王都クオリネスティでも、それは同じだった。
「これって……どういう……」
言いかけたヘルガの横で、ヴァレルは、おもむろに誓約書にサインをした。
「ヴァレル!」
咄嗟にヴァレルの袖を掴むが、もうサインは書き終わっていた。
「いい加減にしなさいよ! なんで、いつも、いつも、勝手な事ばかり……」
ヴァレルは、不思議そうな顔をした。
「書かないのか? それじゃ、入国できないだろ」
「わかったわよ! 書けばいいんでしょ」
半ば自棄になって、サインを書きなぐり、隣に控えていた別の兵士から、自分の鞄を受け取る。ふと気づくと、ヴァレルが隣から消えていた。
「あんたも、クランベルク軍の人間なのか?」
ヘルガは、声がした方向を見る。
ヴァレルが話し掛けていたのは、場違いな格好の男だった。
鋲を打った革のジャケットにラフなパンツ。大きく開いたシャツの胸元からは、棘模様のタトゥーが見える。黒い短髪と顎髭。藪にらみの褐色の目。頬がけた顔つきは、荒々しいという言葉がピッタリだ。
周りの人間が作業をしている間、男は肘掛け椅子に踏ん反り返って、欠伸をしていた。部屋に入った瞬間、ヘルガは男の異彩が目についたが、関わりたくないタイプと判断して、無視していたのだ。
―――あの馬鹿!
男は蝿を見るような目で、ヴァレルを見た。
「黙れ。オレは忙しいんだよ。ガキは大人しく、菓子でも食ってろ」
ドスの利いた低い声。特別威嚇している訳ではないが、相手を威圧する力を感じる。
しかし、ヴァレルには効かなかった。
「生憎、キャンディーを忘れてね。あんたが奢ってくれるのか?」
男の目が、一瞬だけ鋭さを増した。そして、すぐに嘲笑の色に染まる。
「おまえが、白鳥号で喧嘩を売った糞ガキだな」
無言のヴァレルに、男は低い声で続けた。
「クレイから、忠告されてないのか―――船を降りたら、もう客じゃない。詮索好きは、早死にするぜ」
ヴァレルは、正面から男を見据えた。
「ホント、安い脅しだな。地元のチンピラから、ゲップが出るくらい―――」
ヴァレルの言葉が途切れたのは、いきなり後頭部を殴られたからだ。
「あんた、何、馬鹿やってるのよ!」
ヘルガはヴァレルの襟首を掴んで、下から引っ張った。
「痛えな、ヘルガ! オレは、こいつに用が―――」
文句を言うヴァレルを無視して、ヘルガは背を一杯に伸ばし、顔を覗き込む。
「良・い・か・ら。こっちに来なさい!」
ヘルガはヴァレルを連れて、男の前に進み出た。白けた顔をする男に対して、ヴァレルの頭を強引に下げさせると、自分も深く頭を垂れる。
「この者が、無礼な態度を取りまして、大変申し訳ありません。私から、きつく叱っておきますので、どうか、この場は収めて頂けませんでしょうか?」
男は値踏みするように、ヴァレルとヘルガを交互に見た。
「好きにしろよ。絡んできたのは、そっちだ。オレの方は、そのガキに用はない」
「ありがとうございます」
ヘルガは、もう一度、深々と頭を下げた。それから、ヴァレルの身体を引き摺るようにして、荷物を置いたままのカウンターに戻ろうとする。
「あんたねえ、約束を忘れたの? 舌の根も乾かないうちに、何をやってるのよ」
小声で囁きながら、安堵の息を漏らす。このまま、事態は収拾すると思っていた―――
男の言葉が、聞こえなければ。
「オレに喧嘩を売るくらいだから、少しは骨のある馬鹿かと思ったが―――くだらねえ。女ごときに尻を拭かれる、根性ナシか」
「ちょっと、待って!」
ヘルガはピタリと足を止めた。細い肩が、小刻みに震えている。
「……貴方、今、何て言ったの?」
ゆっくりとした動作で振り向くと、ヘルガは毅然とした顔で男を見た。
ヴァレルは無駄だと知りながら、咄嗟に口を挟む。
「おい。ヘルガ、落ち着けよ」
「あんたは、黙ってて!」
案の定。ヘルガは制止を無視して、男の方へスタスタと足早で向かう。青い目が、男の目を真っ直ぐに捉えて、離さない。
「ヴァレルの態度も最悪だったけど、貴方も同レベルね。女性を蔑視する訳を、恥ずかしげもなく言えるものなら、是非とも、聞かせてもらえないかしら?」
ヘルガは捲くし立てながら、男との距離を詰めていった。
そして、椅子に凭れる男の目前に立つと、腰に手を当てて、踏ん反り返るような姿勢になり、相手を見下ろした。
「私が世界で一番嫌いなのは、自分が偉いと錯覚して女を見下す男よ。そういう男だけは、絶対に許せないわ!」
普段のヘルガは、どちらかというと穏便な方だった。ヴァレル以外の人間に対して、怒りを顕にすることは稀であり、大声を出すのも、友達とふざけて歓声を上げるときくらいだ。だからこそ、たった一つだけ、自分が譲れないことに対してだけは、誰よりも激しく反応する。
「おまえら、死ぬほど面倒くせえな」
男は呆れた顔で、ヘルガの後方に視線を向けた。ヴァレルが、太々しい笑みを浮かべながら、近づいてくる。
「そっちのガキは、どうしてもオレと戦いたいみたいだな。だがな―――ガキの我がままを聞くほど、オレは暇じゃないんだよ」
男が右手を上げて合図をすると、今まで様子を伺っていた兵士たちが、即座に反応した。
カウンターの左右に立つ二人が、肩からマスケット銃を下ろして、ヴァレルとヘルガに照準を定める。赤い髪の士官は、カウンターを飛び越えて前に出ると、銃の斜線と平行して走り出した。
「さてと。おまえの相手は、オレ以外にはありえないよな―――こっちも、始めようか。お嬢ちゃん?」
男は椅子から立ち上がると、ヘルガを逆に見下ろした。褐色の双眼が、舌なめずりするようにヘルガを見る。
「冗談でしょ? 口論をしたくらいで、市民を拘束するつもりなの?」
ヘルガは鼻で笑おうとしたが、男の低い声が遮った。
「いや。抵抗するなら、この場で射殺する。オレは、ガキの理屈に付き合う程、暇じゃないって言ってるだろ」
「そんな横暴。軍の上層部が、許すはずないわ!」
尚も食い下がるヘルガを、男は、つまらなそうな目で見た。
「残念だったな。クランベルクじゃ、兵士の状況判断が全てに優先される―――って、いい加減にしろ。そろそろ、黙れや!」
怒気を込めた大声が、ヘルガを黙らせる。
男は残酷な笑みを浮かべて、満足げに言った。
「万が一、ここから生きて帰れたら。次からは、相手を見て喧嘩を売るんだな」




