3.ユーミル
ミスティルテインの拠点、街のはずれある年季の入ったレンガ造りのお屋敷は随分と寂れた印象をもって私を出迎えてくれた。
入口の門は錆びついて半開きのうえ蝶番も壊れているし、庭の草は伸び放題荒れ放題とまでは言わないが長く手入れされていないことは容易に見て取れる。
庭にある噴水は水こそ枯れていないものの、濁った雨水が溜まったであろうものに苔が生えておりお世辞にも綺麗とは……いや、取り繕うのはやめよう。
廃墟と言われれば納得するような有様だった。
本当にこんなところが拠点なのだろうか。
そう疑っているとアラクネがあらましを説明してくれた。
もともとこの家のあたりがロズウェスタの発展の中心となっていたのだという。
しかし時間が立つに連れて市場を拡張する必要が出てきた結果、すでに住宅の密集しているこの場所ではそれがかなわないため中心地が次第にずれていった。
その結果街外れになってしまったこの屋敷で当時の住人は新しい街の中心にできた屋敷へと移り住んだのだという。
しばらくは別荘として使われていたが次第に使われなくなり放置されていたところを、今のミスティルテインのリーダー、ユーミルが譲り受けて使っているのだそうだ。
この有様なのは人が少なくて管理の手が回っていないだけらしい。
アラクネに案内されて中へと足を踏み入れると、そこそこ住みやすそうな空間としてなんとか成立していた。
中の方はなんとか手入れされているようだ。
「この時間ならユーミルは執務室でしょう、こっちよ」
そう言って先導するアラクネについて廊下を歩く。
窓から差し込む陽の光が赤く染まり始めていた。
程なく突き当たった扉の前でアラクネは一度足を止める。
そうして唐突に彼女はノックをするでもなくドアを開き私を招き入れた。
部屋の中は調度品が少なく質素な、悪く言えば寂しい印象が強い。
机の上だけに積み上げられたほんと書類の束だけが僅かに生活感を感じさせていた。
大きな執務机の奥に座っていたフードを目深に被った人影は、私達の来訪に気づいて腰を上げた。
「やあ、そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「相変わらずねユーミル」
「アラクネ、ノックぐらいはするべきだと思うよ」
「この程度の来訪で? 貴方には必要ないでしょう。紹介するわリーシア、彼がユーミル、私達のリーダーよ」
そう紹介されたユーミルはフードを脱ぐつもりはない様子だった。
薄い布の隙間から覗く片目がこちらを見て優しく微笑む、そこに敵意や害意のようなものは見受けられないが、同時にほんの少しの胡散臭さが混ざっていた。
「フードを被ったままですまない、少々顔を晒したくない事情があるものでね」
「別に構わないけど」
「そう言ってくれると助かる。さて、それでは話をしよう、お互いのために」
そう言って彼は私達をソファへと促すのだった。
話を聴き終えた私は、現状のミスティルテインという組織がユーミルという能力者に大きく依存している組織だと判断していた。
その一つが彼の持つスキル、事象推測にある。
確定した未来を見通せるほど万能ではなく、可能性の高い未来を推測できるというものであるらしい。
現状のミスティルテインは各地で集めた情報をユーミルに収束し、その情報から彼が推測した未来を元に行動しているという。
私とアラクネの出会いもその推測が元になっているのだそうだ。
ユーミルの目的はその自分中心の状態から脱却し、自分が居なくても機能する組織にすることであるらしい。
アイゼルネに対抗するための戦力、情報確保のためのライン作り、あちこちへ出向く足、そうしたものを整えることが目下の目的だという。
私の勧誘は対抗力の強化のため。
筋は通っているし特に疑うことはないように思える……。
「こちらから提供できるのはアイゼルネの情報だね、たぶん……今このアールセルム大陸においてアイゼルネの情報を一番持っているのは私達だと思う」
「そうね……」
確かにそうだろう、そして組織のそれは私個人の情報収集能力を大きく上回るに決っている。
だが、組織に属しての活動と言うのは、個人で動き依頼も選べる冒険者とはまた性質が異なるはずだ。
「リーシア、君の実力はアラクネから聞いている。協力してくれるのであれば、ここに用意してある資料を提供したいと思う」
そう言ってユーミルが提示したのは紙の束だった。
おそらくそこにはアイゼルネについての様々な情報が記されているのだろう。
「大したものではないんだがね。基本的にアイゼルネに対抗する組織であるため内部で情報共有は必須だから」
共有資料だよ、とユーミルは付け加える。
さて、それを私はどう受け止めるべきなのか。
秘匿するような資料がないと見るべきか、それともまだ話せないことがあるのか……まあ、敵の情報を仲間に教えないなんていうのはおかしな話だから前者か。
自分をどの程度の戦力と置くかもこの話では大事だろう。
さすがの私でも軍を相手に戦えるとは思わない。
エウリュアレでの戦いの時だって、アイゼルネの倒敗兵の大半は私の手によるものではなく、相手側の術者の触媒に使われて消えた形だ。
一部の術の使い方によって大きな範囲に影響を与えられるとはいえその出力回数は限られてくる。
個人としては破格の戦力であっても、世界的に見て決定的な戦力ではない、そしてそういった存在は特殊運用が基本となるだろう。
少し考えた末、私は協力してもそこまで重度な問題は出ないだろうと判断を下した。
「いいでしょう。貴方達に協力するわ、どこまでできるかはわからないけれどね」
「ありがとう、千騎の兵を得た気分だよ!」
「ただし、条件があるわ」
私の言葉にユーミルは続く私の言葉を静かに待つ。
私は少しだけ頭のなかで文章を組み立ててから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「組織の一員ではなく、あくまで協力者という立ち位置を今は取らせてほしいという事。それから私が納得出来ないような作戦であれば手を貸さない事もある、それでも構わない?」
「……なるほど、何かするのであればきちんと納得できる説明をしろという事だね、アラクネがいるから大丈夫だとは思うが心に留めておこう」
こちらからの条件をあっさり飲んだユーミルは手元の紙束を渡してきた。
これは後でじっくり目を通すことにしようと腰に下げた革袋の中へ入れておく。
その後の話し合いは比較的円滑に進み、私は現状ミスティルテインが進めている拠点作成のために協力することとなった。
まだする事があるからというユーミルの邪魔にならないよう部屋をあとにした。
廊下はすっかり薄暗くなっており、魔術で明かりを生み出して足元を照らす。
こういうところをランプ片手にネグリジェで歩いたりすると雰囲気あるんだろうなぁと思う。
そういえば今日はここに泊まるのだろうか?
そんな疑問が鎌首をもたげたが、アラクネの足取りからするとどうやらそのようだ。
二階にあがってすぐの部屋は少々埃っぽかった。
「とりあえず今夜はここに泊まりましょう。それで、今後はどうする?」
「どうするって私に聞かれてもなぁ、アラクネとしては何かプランは無いの?」
ウィルヘルムならまだしも、来たばかりの国での行動に対してプランがないかと聞かれても正直困る。
「そうね……無難な所であれば、仲間に紹介がてら手伝いに回るというのが一つかしら。その場合最初はロズウェスタ北にあるフローズヴィトニル建造地でゴルディオスに会うとか」
「ふろーずヴぃとにる? ごるでぃあす?」
「ああ、その説明がまだだったわね。フローズヴィトニルは今ミスティルテインで建造中の移動拠点、大型の硬式飛翔船よ……まだ建造を開始したばかりで完成のめどもついてないけど」
「大丈夫なのそれ?」
見切り発車過ぎない?
必要だからってことなんだろうけど、もしかしてお金がない一番の原因それなんじゃない?
「で、その建造指揮をとっているミスティルテイン一の技術者が、ゴルディオス・ベイルンベチュア。伝説の名工とまで謳われたドワーフの製作者なの」
「伝説の名工……それは、ちょっと興味あるなぁ……」
ものづくり見るのは好きですよ、ええ。
アラクネの言葉にそう答えつつ、剣を手入れする道具一式を取り出す。
すっかり習慣化してしまった寝る前のスペル・キャストの手入れをするつもりだった。
鞘から抜いた剣の刀身に塗ってある古い油を拭紙で丁寧に拭き取り、刀身に打ち粉をかけては拭いを繰り返す。
細かい傷は消えないけれど、十分に綺麗になったところで錆が出ていないか確認、今まで錆びたことはないからゲーム由来の武器はある程度補正が効いているのではないかと考えている。
最後に油塗紙で拭紙の時と同じように丁寧に刀身に油を塗っていく。
この時べたつくほどに塗らないように注意。
最初はぎこちなかった作業も、半年間続けるうちにすっかりと慣れてしまった。
「その剣、随分大事にしているのね」
「私にとってはとても大切なものだからね」
なにせ、もはや会う事もできないだろう私の相棒が作ってくれたものなのだ。
彼女が作ったのはただのデータだったかもしれないが、こうして存在してしまっている以上、軽く扱うことなど私にはできない。
言い換えれば形見と言っても過言ではないのだから。
「ちょっと妬けるわね」
「……は?」
時々アラクネはよくわからないことを言う、妬けるって何に対してだろうか。
そんなことを考えながら、油を塗り終える。
塗り残しがないか、塗りすぎている部分がないかを再度確認し私はそっとスペル・キャストを鞘へと収めた。
「剣もいいわね」
「何が?」
「手入れとか、そういったものを見ているとなんか良いなぁって思うのよ。私のコレは自動修復されるから」
そう言って彼女は自分の武器であるアラクネウェブを軽く手で触る。
「便利でいいと思うけど? というか、武器に愛着を持つようなタイプには見えなかったけど」
「長く使っていれば自然と愛着も沸くものよ、手入れという行為はその愛着に対する証明のようなものだと思うわ」
「……なるほど、一理あるかもしれないわね」
確かに、手入れというものを考えるとき、常に最良の状態を整えいつでも使えるように確認しておくという行為は、道具に対しての愛情を示す行為と言えるだろう。
私の場合、思い入れの強さがそういった行為に繋がっているのは確かだ。
「あとは、そうね……その剣を手入れしている時のリーシアはなんだか綺麗なのよ」
「……綺麗?」
「不思議な雰囲気を纏っているというほうがいいかしらね。剣の手入れをしていながらどこか遠くを見ているような表情と、今にも消えてしまいそうな空気を纏っていて……動きは穏やかで。なんというか、エウリュアレでおじゃましていた時から思っていたけど、居心地がいいのよね」
「なんだか、恥ずかしいなぁ」
何度も何度も繰り返した動作で、手入れの上手い下手はさておき動きが自然と洗練されてきていたというのはあるかもしれない。
けれど人からそのストレートにその評価を受けるというのはなんともこそばゆいものがあった。
「そういえば、まだ聞いたことは無かったわよね。リーシアがその剣……スペル・キャストだっけ? を大切にしている理由ってなんなのか聞いてもいい?」
「そろそろ寝るのにいい頃合いの時間だと思うけど?」
なんとなく恥ずかしくて、ついでに迂闊なことを話してしまわないか心配でやんわりと話をそらしてみようとしたが、アラクネはそれぐらいで話を逸らされるほど容易い相手ではない。
わかっているのだ。
「寝る前に聞く話にはちょうど良さそうに思うのだけどどうかしら?」
この通りである。
私は仕方なく、話してはまずそうな部分を頭のなかでリストアップし言葉を選びながら話し始めるのだった。
アラクネも私のことをある程度知っている以上、その話が神代の出来事であることは理解しているはずだ。
かつての仲間、その中でも相棒と呼べる存在であったエレオラ・バーミリオン、そんな彼女がはじめて作った剣がスペル・キャスト。
その後多くの冒険をともにする、私の手にあり続けたもう一つの相棒である剣だ。
「本来、鍛冶師はまず自分の剣を最初に作るのよ。あの子はそれをうっちゃって最初に私の剣を作っちゃったの」
「随分と大切にされていたのね」
「どうかな……」
互いにとって大切な相棒であることは間違いないとおもうけれど、それ以上のことはわからない。
そしてそれはもう、永遠にわからない。
ぽつぽつとアラクネに昔のことを語って聞かせながら、次第に意識は微睡みへと落ちていった。




