敵と味方と男と女
乾いた風が吹き抜けるザリシャグラード。
地上に残された人々を収容するシャトルは、日ごとに便数を減らしていた。
ニューホライズンを周回する地球往還船も大半が旅立ち、残りは僅かだ。
全てを収容しきれないのははじめから分かっていた。
ただ、希望を捨てずに待っていた人々の間には、諦観の空気が漂っていた。
「殺伐とした光景だな」
「……全くね」
ザリシャグラードの両軍緩衝帯中間に設けられた事務所の中。
地上に降りていたエディは、暖房の入っている室内で書類に目を通していた。
膨大な量で積み上げられているザリシャの難民リストだが、それらをシリウス政府へ引き渡す準備中だった。
――立会人か?
――そうよ?
前日の午後。ザリシャに入っていたエディの前に現れたのは、シリウス軍の機動突撃軍団という組織に所属するバーニー少佐だった。
――ちょっと無茶言って入り込んだの
――へぇ 無茶ねぇ
――いま、着々とシェルパイロット養成中よ?
――知ってるよ。 数ヶ月前に遭遇した
――じゃぁ、やっぱりそうだったんだ
――なにが?
バーニーは上目遣いで笑ってエディを見た。
――連邦軍の中に騎士道精神溢れるシェルパイロットが居るって聞いてたの
――そりゃ……
エディは窓の外を指さした。
黒いスタジャンを着込んだテッドがそこに立っていた。
操り人形をシンボライズしたVFA-501のステッカーを背中に貼ってるテッドだが、そのマークの下にはダークグレーに揺らめく炎のイラストが入っていた。
――ブラックバーン……
――そう言う事だな
ニヤリと笑ったエディは窓辺に立って外を眺めた。
その隣にはバーニーが並んで立った。
その肩を、エディはそっと抱き寄せた。
敵味方の男女が肩を抱いているシーンに、周りは見て見ぬフリをする。
両軍の関係者も居るが、この二人がただ者では無い事を知っている者ばかりだ。
――自分の身を焼き滅ぼしかねない黒い情念って?
――いや、誰にも見えない情熱だと当人は言ってたな
――ふーん
――どうした?
――やっぱり私の手元に置きたいわ
――それは無理だ
あいつもサイボーグだ……
――――――ニューホライズン ザリシャグラード駐屯地
2248年 10月 30日 1100
「順調?」
「あぁ。どっちにしろ収容しきれねぇ」
黒いスタジャンを着込んだテッドの前に、純白のスタジャンを着ている女が立っていた。ピエロのマークを左肩に付けたその女は、ニコニコと楽しそうに笑っていた。
「しかし……」
「へん?」
「あぁ。調子狂う」
テッドも気まずそうに笑っている。その眼差しの先にはリディアがいた。
地球側の事務官とシリウス側の事務官は、全部承知で目を反らしている。
テッドとリディアは、まるで夫婦の様にぴったり並んで立っていた。
「この前、訓練中のシェルに遭遇したぜ」
「あぁ、聞いた聞いた。アレは義勇軍の志願兵ね」
「けっこう居るのか?」
「うーん」
僅かに首を傾げたリディアは何かを思い出そうとしている。
「アッチはキャシーの管轄だから」
「……マジか」
頭を抱えてテッドは唸った。
その姿を見ていたのか、事務方の所にいた赤い髪の女がやって来た。
「相変わらずなのね」
「あぁ。幾つになっても……」
こっそり逃げようとしたテッドの襟を赤い髪の女が掴んだ。
「どこ行くのよ」
「あー いや。中にだな……」
「ふーん」
腕を組んで傲岸に笑っているその女はニコリと笑ってリディアを見た。
「アンタもこっち来れば良いじゃ無い。ねぇ、リディア」
「そう言うけどな」
「まぁ、勝手に死なないでね」
「……解ってるよ。姉貴」
サザンクロス攻防戦の前に会ったきりだった姉、キャサリンがそこにいた。
「しかし、まさか姉貴までそっち側にいるとはなぁ」
「仕方が無いでしょ」
「あの黒衣のシルエットもそうだけどさ」
「なに?」
「姉貴のあのマークは誰が考えたんだ?」
リディアとキャサリンは顔を見合わせて笑った。
「ウチのメンツにデザイナー崩れさんが居るの」
「デザイナー崩れ?」
「そう。ソフィーは元広告屋なんだって。イラスト描きだったそうよ」
「ソフィー?」
名前とイラストが一致しないテッドは首を傾げる。
その姿を見たリディアは、指を折って数えながら説明を始めた。
「ボスはバーニー。鳴り響く鐘のマーク。サブキャプテンのサミーはアラブ系で、マークは交差した刃。いつも飲んでるハンナはハニーって呼ばれててワイングラスのマークね」
リディアに続き、キャサリンも説明し始めた。
「マリーはハイヒールとルージュ。ソフィーは青い鳥。アニーは流れ星。ディアラマークはサンディ。彼女はどこかの貴族崩れだそうよ」
キャサリンの目がもう一度リディアに注がれた。
「ピアノと音符はアニー。横笛と音符がヘリ―。ヴァイオリンに音符はエリー。あの三人は三つ子だって」
「そう言えば、エリーがアンタにありがとうって言っといてくれって」
感謝される言われなんかねぇと思ったテッドだが、直後に『アッ!』と呟く。
あの激しい戦闘で偶然助けたンだっけと思い出したのだ。
「姉貴はなんて?」
それらがコールサインだと気が付いたテッドは説明を求めた。
キャサリンはリディアと顔を見合わせ笑った。
「私のコールサインはキャシーで、拳銃と薔薇。リディアはリディーと呼ばれてて、白百合の黒衣」
ハッと気が付いたテッドは、リディアのスタジャンのマークをしげしげと見た。
予想通り、シルエットの女性の肩口に蜘蛛のマークが入っていた。
ブラックウィドーと言う蜘蛛がいるのだ。
「リディアのやり方は文字通り蜘蛛よね」
「そうかな」
「とにかく逃がさないし、必ず絡め取って逃げ道を塞いで一撃で撃墜するから」
フッと笑ったテッドは、腕を組んでふたりを見ていた。
「いずれにせよ、あんまり遭遇したくねぇ」
その言葉が何を意味するのか。
リディアだってキャサリンだって分かっている。
正直に言えば、いまのテッドは二人掛かりで襲いかかっても返り討ちにされるレベルだった。エディによって徹底的に鍛えられたテッドの腕は、常識では計れない所まで来ていた。
「……手加減しないでね」
「だけど……」
「あなたの手に掛かって死ぬなら本望よ」
リディアはきっぱりと言い切った。
全く逡巡しない、強い生き方だとテッドは思った。
「なら、俺にも一切遠慮してくれるな。姉貴もだ」
「当たり前じゃ無い」
キャサリンはニコリと笑う。
「堂々と捕虜にして連れ帰るンだから、それまで死ぬんじゃ無いよ」
胸を張ってそうまで言い切られては返す言葉も無かった。
ただただ、テッドは笑いながら祈るしか無かった。
――戦場で遭遇しませんように……
――本気で殺し合う事などありませんように……
――どうか、生き残りますように……
「所で、テッドのエンジン、なにあれ?」
「あぁ、やっと配備が始まった新型エンジンだ。グリフォンMarkⅡって言う」
リディアはキャサリンと顔を見合わせ渋い表情になった。
どうやっても太刀打ち出来ない存在だと顔に出ていた。
「どうやっても追いつきそうに無いわね」
「だろ? まだ、あのエンジン背負えるのは俺以外だとエディと、あと二人だ」
「どれくらい凄いの?」
「自転車と車ぐらい違う」
笑うしかないテッドは、ほうと小さく息を吐いてぼやいた。
「エンジンが強力すぎて振り回されるンだ。正直、まだ慣れない」
本音を吐露したテッドは腰に腕を当てて下を眺めていた。
東洋系の若いカップルが手を繋いで受付に立っていた。
後ろには両親と思しき者が立っていて、涙を流し見送っていた。
「若い奴だけ地球に送り返すんだな」
正直、見てられない光景だった。
テッドの胸に突き刺さる思いは、悔しさと悲しさだった。
もっと早く何らかの手を打っておけば、或いはみんな助けられたのかも。
「テッド! そろそろ行くぞ!」
事務所を出てきたエディが声を掛けた。
「了解!」
そう答えたテッド。
直後に小さな声で「ねぇテッド」とリディアが呼んだ。
寂しそうに笑っているリディアの優しい声がテッドを振り向かせた。
リディアはシリウスの光を浴び、なにか神秘的な者に見えた。
「……また、逢えるよね?」
「あぁ。勿論だ。きっと逢える」
ギュッとリディアを抱き締めたテッドは、同じようにキャサリンも抱き締めた。
「ここの人達が奴隷にされない様に…… 頼む」
「わかった」
何も言わずに駆け出したテッドは、やや離れた場所に置いてあったシェルを起動させた。その隣ではエディがシェルの起動を進めていて、いよいよ最後の時が迫っているとザリシャの難民達に絶望的な表情が浮かび上がった。
「別れは済んだか?」
「エディはどうなんですか?」
「俺はとっくに済ませてある」
「じゃぁ、俺もです」
「そうか」
シェルのコックピットが閉まり、エンジンの咆吼が一際大きくなり始めた。
「ここの人達は……」
「来年後半まで細々と収容し続ける」
「人選は?」
「バーニーに一任した」
「そうですか」
メインエンジンに点火した2機は、ニューホライズンの空を駆け上がって行く。
地上にいた人々は、それを苦々しく眺めていた。
「俺たちは地球へ行く。俺はもう行った事があるが……」
「俺は初めてです」
「シリウス人の誇りを忘れるなよ」
「はい」
あの、いつもどこか殺伐としていたジョニーはもう居ない。
いつか必ずここへ帰ってくるのだと強く決意した男が居るだけだ。
大気圏の外へ出た2機は、誘導信号に従ってハルゼ―へと帰投する。
シリウスに築かれた文明は、やがて爆発期を迎えるのだった。
第4章 『 憎しみの果てに行き着く所へ 』はこれで終わります。
第5章 『 地球のラグナロクを嗤う男達 』まで少々お待ちください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




