17. 当たり前だ馬鹿野郎
『フォンテ様、森の泉に人の子がいるのだ』
「人の子?」
ゆっくりお風呂を楽しんでいると、曇りガラスの扉の向こうからナールに呼びかけられる。曰く「髭の生えた人の子と、鉄の鎧を着た人の子」らしいが、ナールは「子ども」じゃなくても人なら「人間」「人の子」と言うのでちょっとややこしい。お風呂から出てもいるようなら対応するから放っておいていいかな。
『何やら押し問答しておるのだ。入るだの入らんだの』
それはいかん! 殺人現場かもしれない。私の泉をそんな風に使うのは許さない。急いで出ると、確かに髭の生えた人の子と、鉄の鎧を着た人の子が騒いでいた。おっさんやん。
「いけません陛下。思いとどまってくださいませ」
「しかし長年の儂の悩みが解決できるやもしれんのだぞ?」
「そんなことをしたら女神様の逆鱗に触れます」
「でもこんなチャンスないぞ」
「もし女神様の逆鱗に触れた際は、陛下だけが犠牲となっていただけるなら良いのですが」
「お主は本当に不敬よな」
髭の生えたおっさんが、鎧を着たおっさんに止められている。髭の方は「陛下」と言われている。もしかして、どこかの国の王様か。よく考えたらこの森がある国って名前調べたことなかった。森自体の名前はないって部分しか興味がなかったので調べなかった。鎧を着たおっさんは真顔で陛下を軽んじている。仲良しか。似たような光景、オアシスでも見たことあるなぁ。それはエレフの父と宰相のやりとりだ。国の偉い人ってこんなに緩いの。入る入らんとは何の話だろう。ナールに聞いても「そこまで聞いてなかった」ので続きを聞くしかない。
「恐れながら陛下が水浴びなどしたら、泉が汚れると思います。私が女神様が怒り狂います、やめましょう」
「当たり前だ馬鹿野郎」
「えーでも腰痛と痔が治るかもしれんし」
「ナール、あの髭面を追い払ってください」
ナールは「承ったのだ!」と玄関に向かった。窓から見ていると、輝いた火の玉が泉から上がってきた。2人の目の前に来ると、ナールはいつもとは違う声色で話し出す。
『其方は神の怒りに触れたり。死ぬまじくば今やがてここより去ね』
誰だその口調。多分、神の怒りに触れたので死にたくなければ消えろって言いました。陛下は驚いて尻餅をついた。その拍子に痛めている腰に衝撃が加えられたようで、悶絶している。鎧を着たおっさんも驚いたようで目を少し見開いた。額に汗が滲んでいるので、焦ってはいるんだろう。
「貴方様が……ここの泉の女神様でいらっしゃいますか?」
鎧を着たおっさんが恐る恐るこう言った。声が掠れている。
『否。我は女神の眷属なり。其方を退くる命令を受けき』
ナールに顔はないが、今の言葉が陛下と呼ばれたおっさんに向けられたことは2人も分かったようだ。陛下は佇まいと正し、「大変失礼いたしました」と頭を下げた。恐らく王族が頭を下げている。鎧を着たおっさんは陛下より深々と頭を下げている。額が足に付きそうな体勢のまま微動だにしない。
『ナール、仕方ないので許してあげてください』
念話で伝えるとナールは「分かったのだ」とちょっと残念そうだ。
『慈悲深き女神に感謝せよ。其方は許されけり。頭を上げよ』
ナールってこういう口調も出来るんだ……いつも「~のだ」っていう感じだからちょっとびっくり。いつもの方がかわいい。
『されど、少しにもなめきことせば、命はあらずと思え』
よく分からないけど、「命はあらずと思え」は脅しだな。なんかしたら殺すってことですね。
陛下は頭を上げると、先ほどの様子が嘘のようにはきはきと話し始める。まず自分の名前はソーリス・ルクス・ランド=サディークで、サディーク国の王らしい、そうでしょうね。鎧を着たおっさんは国の騎士団長フィロス。騎士団長というかお目付け役というか。この森からサディーク国は離れているみたいだが、本や国民の噂から実際に女神がいることと、本当に「癒しの力」がこの泉にあるか確認しに来たらしい。「普通、わざわざ国王が自らそんなことをするかな」と聞いてもらったら、フィロスは深い深いため息を吐いて「私たちもそう思います」と言った。なるほど苦労人じゃねーの。で、もしその癒しの力が本当だったら、現在国で猛威を振るっている流行り病を治せないかと思ったそうだ。なんとこの森の近くの村では流行り病にかかる人はいるが少数で、死者が出ていない。理由を調査した結果、私までたどり着いたということだ。あの本がこんな大事に繋がるとは思わなかった。だから一気にレベルアップしたのかな。ナールはフェアリーサークルのことをよく知っているので、そのまま伝えてもらう。泉の水は持ち運べない、と。飲みたければここまで来るしかない。可哀想だが、あの瓶を渡すことは出来ない。特に人間には。他の方法があるとしたら、フェアリーサークルを作った風の妖精たちに協力してもらうくらいしかない。
「そんな……」
ナールから念話で「風の妖精のことを言ってもいいか」確認しされる。それはもちろん構わない。
『女神より神託なり。「大風の亀裂」なる風の妖精に会いに行くべし。風の精霊は人の言の葉に耳を貸す。真摯に話さば聞きもこそ』
待って、それ私の知らない情報。私が言ったことにされてるけど、それはナールの知識。けど、風の精霊のことを知っているナールが教えるならいいか。それにもしこの人たちが本当に真剣に悩んでいて、人に対して友好的であろう風の精霊が力を貸してくれるはず。泉から離れられない私より、よっぽど頼りになるはず……なんか、泉の「女神」として言ってて悲しくなってきたな。神ってあんまり凄くないよね。泉の女神だから? 大地の神だったら大地がある限り移動できるんだろうか。規模が違うから仕方ないけど、だいぶ羨ましい。
2人は「神の御慈悲に感謝いたします……!」と深々と頭を下げた。国王が自らそういう問題――エレフの父は身内だったから一応除外する――に動くなんて可笑しいけど、それ以上に半端な覚悟ではないって言っているみたいなものだから、大丈夫かなとは思う。それが人外に通用するかは別として。
ナールが泉に戻っていったのを確認した二人は、一掬いずつ泉の水を飲んでいった。「これはなんと……」とだけ言った2人は、そのまま去って行く。変なことが起きなきゃいいけど。
『我頑張った』
なので褒めろと言わんばかりに私の顔の高さまで下りてくるナール。ポーズだけは優雅に待っていた私は、よしよしと火の玉を撫でた。チカチカし始めたので、多分喜んでいる。あんな話し方も出来るんですねと言ってみると、威厳を感じさせるには理解しにくい表現をするといいと教わったと返ってくる。
「誰にですか?」
『風の精霊』
うーん、さっきのことがすごく不安になってきた。そんなこと教える精霊のところにあの深刻そうな問題を放り投げて良かったのか。終わったことなので、もうどうしようもないけど。
『フォンテ様だって時折話し方がおかしいのだ』
ナールからすると、ほぼ敬語なのに時々おかしいらしい。確かに「うるさっ」とか「当たり前だ馬鹿野郎」とか言ってる。なんなら私、今でこそ敬語にしてるけど、風の妖精あたりにはタメ口だった気がする。それはともかく、内心の声がうっかり、取り繕うことも出来ずにそのまま出てしまうと、そういうこともある。あんまり偉そうなことを言える存在でもないし、自分の感情本位で返事することを極力抑えるためには敬語くらいが丁度いい。
『む? フォンテ様は泉の女神様なのだ』
別に自分の力でなったわけでもないし、なんなら引継ぎ不足で知識不十分、手探り状態だ。だからと言って自信が付いたら威張るつもりはないけど、謙虚に生きたいよね。話し方だけで言ったらナールの方が偉い立場っぽい。まあ、私の前では「のだ」口調だから微塵もそんなこと思わないけど。




