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路地裏の便利屋は、世界を『10ミリ』調律する  作者: ルツ


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王都の路地裏、10mmの静寂

王都アルカディア。空を突き刺すような白亜の塔がそびえ立ち、広大な城壁に囲まれたこの街は、まさに世界の中心と呼ぶにふさわしい活気に満ち溢れていた。朝から晩まで市場には声が響き、馬車が石畳を叩く音は止むことがない。

 だが、その華やかな中心地から一歩離れた、路地裏の突き当たりに、その店はひっそりと存在していた。

『カンタの便利屋。困りごとなら何でも。報酬は適正価格で』

 看板と呼ぶにはあまりに古びた木の板には、少し掠れた文字でそう書かれている。

 俺――カンタは、店先の小さな椅子に腰掛け、路地裏を通り過ぎる人々をぼんやりと眺めていた。王都の下町において、便利屋という仕事は意外にも需要がある。猫の捜索、重い荷物の運搬、あるいは酔っ払いの介抱まで。俺はそれらを淡々とこなすことで、日々の糧を得ていた。

 この世界には、「ギフト」と呼ばれる異能が存在する。

 この国の貴族たちが持つギフトは、大地を揺るがす『大地の支配者』や、瞬く間に傷を癒す『聖女の慈愛』といった、万人が羨む一級品の異能ばかりだ。彼らはその力で国を治め、富を独占し、圧倒的なカーストの頂点に君臨している。

 対して、俺のギフトは【物体を10mm動かす】というものだ。

 たった10ミリ。センチメートルで言えば、たったの1センチだ。しかも、周囲1メートル以内の範囲で、かつ、自分の視界に入っているものに限るという、これでもかというほど制約だらけの無能ギフトだった。

 周囲からは「ゴミギフト」「皿洗いくらいにしか使えない」と陰口を叩かれることも珍しくない。だが、俺はこの力に満足していた。この地味な力こそ、俺が望む平穏で静かなスローライフを支える、最も適した道具だったからだ。

 その日、俺はいつものように、昨晩の残りのシチューを温め、今日の予定を考えていた。昼過ぎには近所の露天商が壊れた天秤の調整を頼みに来ることになっている。精密な調整であれば、俺のギフトは誰にも負けない。

 まさにその時だった。

「あのっ! お願いです、助けてください!」

 切羽詰まった少女の声が、静かな路地裏を切り裂いた。

 視線を向けると、そこには息を切らして駆け込んできた一人の少女がいた。上質な生地で仕立てられた制服は、一目でこの下町のものではないとわかる。エプロンの胸元には、王都でも指折りの権力を持つ名門貴族家の紋章が誇らしげに刺繍されていた。

 貴族家の使用人だろうか。彼女は地面に膝をつきそうな勢いで、俺の目の前まで駆け寄ってきた。

「おや、貴族のお嬢さんじゃないか。どうしたんだい? ここは便利屋だけど、落とし物なら役人に届けるのが一番だぞ」

 俺は椅子から立ち上がり、彼女を落ち着かせようと努めた。しかし、少女の瞳には絶望に近い光が宿っている。

「ち、違います! 落とし物なんですけど……ご主人様に献上するはずの、極めて貴重な『月光草』が入った袋を……道中のどこかで落としてしまったんです!」

 月光草。その名前を聞いて、俺の眉がぴくりと動いた。

 その薬草は、魔法使いの魔力を安定させ、さらには毒を中和する効果もあると言われる超高級薬草だ。市場に出れば一株で、この下町の長屋がいくつも買えるほどの価値がある。そんな貴重な品を、一介の使用人が紛失するなど、あってはならない事態だ。

「……もし見つからなかったら、私、クビだけじゃ済みません。ご主人様の怒りに触れたら、この王都で生きていくことも……っ!」

 少女は必死の形相で、俺の手をぎゅっと掴んだ。その震える手からは、彼女がどれほどの重圧を背負っているのかがひしひしと伝わってくる。

 俺はため息をついた。心の中では、「帰って寝たい」という叫びが上がっていた。けれど、目の前で泣いている少女を放っておくことは、俺の美学に反する。俺の目標はスローライフだ。騒がしい日常は嫌だが、誰かに助けを求められて背を向けるような生き方はしたくない。

「わかった。落ち着きな」

 俺は店内の棚から、探偵業務の際に愛用している真鍮製の虫眼鏡を取り出し、懐にしまった。この虫眼鏡は、単に細部を見るためだけではない。俺の能力を最大限に活かすための補助具だ。

「道を通ったなら、必ずどこかに落ちているか、誰かに拾われているはずだ。案内してくれ。俺が、その袋を『見つけ出して』やるよ」

 少女――エマと名乗った彼女は、わらにもすがる思いで頷いた。

 俺は看板を裏返し、『外出中』の札を掛ける。

 これが、俺の平和な日常を少しだけ騒がしくする、最初の一歩になるとは、その時は微塵も思っていなかった。

 王都の街並みを歩きながら、エマは通ってきた道を事細かに説明した。

 貴族街から中央通り、そして商業エリア。どの場所も人通りが多く、落とした直後に誰かに拾われた可能性が高い。しかし、俺には確信があった。たとえ誰かに盗まれたとしても、10ミリの奇跡があれば、どんな場所からでも奪い返すことができる。

 俺は歩きながら、道端の小石をこっそり10ミリ動かし、その隙間に隠れた硬貨や、ゴミの下にある鍵などを見つけ出していく。エマは俺のそんな行動に全く気づいていない。

「ここです。この角を曲がって……あ!」

 エマが立ち止まり、青ざめた顔で指をさした。

 そこは王都の境界線、貴族街とは対照的に、どんよりとした空気が流れるスラム街の入り口だった。ゴミと腐敗臭が混ざり合い、人の気配もまばらな場所。まっとうな人間なら近寄らない場所だ。

「ご主人様のお屋敷へ向かう近道だったんです……まさか、こんなところに……」

 エマの顔には深い絶望が浮かんでいた。だが、俺の意識はすでに切り替わっていた。スラム。そこは力こそが法という場所だが、同時に「隠し事」には最適の場所でもある。

 俺は虫眼鏡を指で弄び、周囲を鋭く走査した。

 路地裏の木箱の影、瓦礫の山。俺の視界は、獲物を狙う鷹のように周囲を網羅する。1メートルの範囲内であれば、俺にとって世界は透明なパズルだ。

「大丈夫だ。袋は……ここからそう遠くないところにある」

 俺は自信ありげに微笑み、一歩を踏み出した。

 スラムという閉鎖的な空間で、俺のギフトが真価を発揮する時がやってきたのだ。

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