表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強獣人に転生したのに女王様エルフに調教されるオレの話  作者: ねこ丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/37

第三十三話 似合うのう


 目を開けた時、最初に見えたのは見慣れぬ木目の天井だった。


 朝の光が、窓の布越しにやわらかく差し込んでいる。強すぎず、まだ少しだけ眠気を引きずったような色だ。いつもの自宅よりも少し狭く、だが人の手入れの行き届いた部屋の匂いがする。清潔な布の匂い。乾いた木の匂い。ほんのかすかに、階下から上がってくる焼いた肉の匂いまで混じっていた。


 そこでようやく、ルシアは自分がどこで寝ていたのかを思い出した。


 エリナの家だ。


 壊れた自宅を離れ、しばらく泊めてもらう話になった。その流れのまま、必要なものを持ち込んで、一晩ここで休んだのだった。


 隣に気配がある。


 ルシアがそちらへ顔を向けると、グランはもう起きていた。いや、ずいぶん前から起きていた顔である。腕を枕代わりにして寝台へ横になったまま、こちらをじっと見ていた。


 目が合う。


 グランの口元が、ほんの少しだけ動いた。


 ルシアはその顔を見た瞬間、起き抜けのぼんやりした頭がすっと冴えるのを感じた。


「言っておくが」


 声はまだ少し朝のかすれを含んでいたが、言葉自体ははっきりしていた。


「ここに泊めてもらっておる間はやらぬぞ」


 グランが少しだけ眉を寄せる。


「毎回それ言うな」


「毎回言わねばならん顔をしておるおぬしが悪い」


 ルシアは半身を起こしながら言った。寝起きの乱れた髪をかき上げ、布を肩へ引き寄せる。エリナの家にいる以上、好き勝手は許されない。いや、そもそも好き勝手にしてよい場などそうないのだが、少なくともここは絶対に違う。


「きちんと世話になっておる間ぐらい、節度を持て」


 グランは不満そうな顔をした。あまりに分かりやすい不満顔で、ルシアは逆に少し笑いそうになる。


「ちょっとぐらいいいだろ」


「よくない」


「一回ぐらい」


「よくない」


「少しだけ」


「何度言わせるのじゃ」


 ルシアがぴしゃりと言うと、グランはしばらく黙った。目だけはこちらを見ている。言葉を重ねても無駄だと分かった時の顔だった。


 やがて、ふう、と鼻から息を抜く。


「分かった」


 素直といえば素直である。ルシアが決めた線を、本気で越えに来る事はあまりない。その代わり、納得した訳ではない顔を隠しもしないのだが。


 ルシアはその返事に、ほんのわずか肩の力を抜いた。


「うむ。それでよい」


 その瞬間だった。


 グランが身を起こし、ひょいと顔を寄せてくる。


 避ける暇はなかった。


 ぺろり、と頬を舐められる。


「なっ」


 ルシアの目が見開く。驚きと、少し遅れてくる熱で、頬が一気に赤くなるのが自分でも分かった。


 当のグランは、やる事だけやって満足した顔で戻っていた。


「これで我慢する」


 真顔で言う。


 ルシアは数度、口を開いて閉じた。怒るべきか。呆れるべきか。あるいは褒めるべきか。咄嗟にその全部がぶつかって、言葉が一瞬まとまらない。


 だが、ここで必要以上に怒ると、かえって面倒になるのも知っていた。


 この男は、頭ごなしに叩くより、許容できる範囲を明確にして、その中で収まった時は少し褒めた方が扱いやすい。少なくとも今のこれは、完全に止めた線を越えてはいない。ぎりぎりだが越えてはいない。


 ルシアは頬へ手を当て、わざと咳払いを一つした。


「……うむ。えらいぞ」


 言ってから、これでよかったのか少し迷う。


 だがグランの顔は明らかに機嫌がよくなった。目元の不満がすっと消えている。


「だろ」


「調子に乗るな」


「乗ってねえ」


「乗っておる」


 寝台から降りながらルシアが返すと、グランは喉の奥で小さく笑った。


 それから二人は、朝の支度を整える事にした。


 客室はそう広くないが、二人で動くには十分だ。窓を少し開けると、朝の空気が入る。外ではすでに店の前を掃く音が小さく聞こえ、どこか遠くで人の話し声もする。エリナの家と店は、朝が早いらしい。


 ルシアは鏡代わりの磨いた金属板を覗き込み、髪を整える。寝癖を指でほどき、ざっとまとめる。その横でグランは、服を着ようとして途中で止まっていた。


「おぬし」


「ん?」


「きちんと服を着よ」


「着てる」


「半分しか着ておらん」


 上は通している。だが前が開いたままだ。下も雑だ。どこへ出しても問題ない姿に整えるには、ルシアが見ておく必要がある。


 結局、ルシアが近づいて前を引き寄せ、紐を結び、襟元を整える。


「じっとしておれ」


「してるぞ」


「腕を上げるな」


「上げてねえ」


「今上げた」


 グランは素直に従っているようで、微妙に動く。大きな体を相手に細かいところを直すのは、妙に手間がかかった。だがそれも、ルシアにはもう慣れた作業だ。


 一歩下がって全体を見る。


「うむ。これならよい」


「別にそんなに変わらねえだろ」


「変わる。少なくともエリナの家の中ではきちんとしておれ」


 そう言ってから、ルシアは自分の服の乱れも確認した。問題ない。少なくとも階下へ降りて恥ずかしいところはない。


 二人で一階へ下りると、すでに食卓の準備は整っていた。


 エリナが、店側とつながる扉を半分開けたまま、卓へ皿を並べているところだった。朝の光が窓から差し込み、磨かれた食器の縁へ細く光を引いている。


「おはよう」


 エリナが振り返る。


 寝起きの気配はない。もうとっくに起きて働いていた顔だ。髪もまとめてあり、服もきちんとしている。こういうところは市長とよく似ているのかもしれない。やる時は迷わず切り替わる。


「おはよう」


 ルシアが返す。


 グランは一瞬だけ卓の上を見て、それから言った。


「肉あるな」


「あるわよ。朝からそれが最初なの?」


「大事だぞ」


「知ってる」


 エリナは呆れたように笑い、それからルシアを見た。


「よく寝れた?」


「うむ。久しぶりに、屋根や壁が壊れる心配をせずに寝た気がする」


「それはよかった」


 ルシアは卓につきながら、周囲を見渡す。


「市長はまだ帰っておらんのか?」


「うん。向こうで泊まりだって」


 エリナは当然のように答えた。


「市庁舎で、そのまま倒れるように寝る事もあるし、寝ないまま朝になる事もあるよ」


「大変じゃな」


「ちょくちょくある」


 その言い方が軽いので、かえって重みがあった。慣れているのだろう。市の長の妻として、そういう夜があるのも日常に組み込まれている。


「嫌ではないのか」


「嫌な時もあるけど、仕方ない時もあるでしょ」


 エリナはパンを切り分けながら肩をすくめた。


「向こうも遊んでる訳じゃないしね」


 その返しに、ルシアは小さく頷く。理解できる物言いだった。


 朝食は、卓の見た目からしてはっきり分かるほど分かれていた。


 グランの前には肉だ。焼いたもの、煮たもの、朝にしてはかなりしっかりした量が並んでいる。対してルシアとエリナの前には、温かな汁物、焼いた卵、やわらかいパン、少量の肉と野菜。普通の朝食である。


 グランは座るなり肉へ手を伸ばした。


 迷いがない。


 骨付きの肉を持ち上げ、そのまま食いつく。朝だろうと関係ないらしい。


 エリナが苦笑した。


「相変わらず気持ちいいぐらい食べるわね」


「腹減ってるからな」


「いつも言ってない?」


「いつも減る」


 ルシアは汁物へ口をつけてから、ふと真面目な顔になる。


「すまんな。気を使わせて」


 その言葉に、エリナは首を横に振った。


「いいよ。どうせ市長が戻るまで何かしてるつもりだったし」


「それでもじゃ」


「じゃあ、ちゃんと食べてくれたらそれで十分」


 ルシアは少しだけ表情を緩めた。


「うむ」


 それから隣を見て眉を寄せる。


「おぬしも礼ぐらい言わぬか」


 グランは肉を噛んだままエリナを見る。


「あんがと」


 言い終える前にまた噛む。礼は言った。だが雑だ。


 ルシアは思わず額を押さえた。


「まったく」


 口ではそう言う。


 だが、その視線はきつくなりきらなかった。呆れているのは本当だが、それ以上に、まあこんなものかと受け入れている色がある。


 エリナはその顔を見て、にやりとした。


「ルシア、どんどん奥さんらしくなってきたね」


 ルシアの手がぴたりと止まる。


「なっ」


「ほら、今の顔」


「違う」


「違わないでしょ。礼を言わせて、服を整えて、生活を見て」


「誰かが面倒を見ねばならんからな」


 言い返しながらも、声には少しだけ熱が混じった。否定しきれぬのだろう。エリナはそこを逃さない。


「それを世間ではそう言うのよ」


「勝手に言っておれ」


 ルシアはそっぽを向く。だが耳が赤い。しかも、完全に嫌がっている顔ではない。むしろ内心ではどこか嬉しいのが透けて見える。


 グランはそんなやり取りを聞きながら、特に何も言わずに肉を食べていた。だがルシアの耳が赤いのを見て、少しだけ口元が動いた。


 朝食を終えると、エリナは待っていましたと言わんばかりに立ち上がった。


「じゃあ約束通り、ちょっと手伝ってもらおうかな」


 ルシアが椅子から立つ。


「うむ」


 そして、エリナが持ってきた服を見た瞬間、足が止まった。


「……これを着るのか?」


 手に取ると、布地はしなやかで質が良い。露出が極端に多い訳ではない。だが、首元から肩にかけての開き方が普段の服よりずっと大きく、袖がまったくない。体の線に沿うように仕立てられていて、着れば否応なしに輪郭が出るのは一目で分かった。


 エリナは嬉しそうに頷く。


「うん。うちの新商品。ホルターネックっていうの」


「ほるたーねっく」


 ルシアは言葉ごと転がすように繰り返す。聞き慣れぬ名だった。


「首の後ろで留める形だから、肩から腕がすっきり見えるの。動きやすいし、きれいに見えるし、夏場にもいいでしょ」


「う、ううむ」


 理屈は分かる。だが、それと自分が着るかどうかは別の話だ。


 ルシアの戸惑いを見て、エリナはさらに笑顔を深くする。


「ルシア、スタイルいいから絶対似合うよ」


「そ、そういう問題では」


「あるの」


 即答だった。


「あと」


 少し声の調子を変えて、エリナは付け加える。


「グランも喜ぶと思うよ」


 ルシアの肩がぴくりと揺れた。


「そ、そうか」


 返事が早い。


 エリナはにこにこしている。勝った顔だった。


 ルシアは服を抱え、視線を泳がせ、それから妙にきびきびした足取りで奥へ消えた。迷っているように見えて、決めた後は早い。


 しばらくして、奥の扉がそろりと開く。


 ルシアが出てきた。


 普段とはかなり印象が違う。


 肩から腕がすっきり出ているせいで上半身が軽く見え、首筋の白さまで目立つ。だがいやらしいほどではない。むしろ線の美しさが素直に出る服だった。体に沿う仕立てのせいで腰や脚の形もきれいに見える。歩くたびに布が柔らかく揺れ、無理に飾っていないのに妙に目を引いた。


 ルシア自身は落ち着かぬらしい。


 手で首元を軽く押さえたり、裾を気にしたりしている。いつもの余裕は少し薄い。


 そのままグランの前まで歩いてくる。


「ど、どうじゃ?」


 問いかけた後、グランがすぐ何も言わなかったので、ルシアの顔に不安が差した。


「似合わぬか?」


 グランはまだ答えない。


 まじまじと見ている。


 その沈黙が長く感じられて、ルシアはますます落ち着かなくなる。エリナまで少し息をひそめた。


 ようやく、グランが口を開く。


「これ以上美しくなるな」


 真顔だった。


 飾り気も冗談もない。思ったままをそのまま口にした顔である。


 ルシアの頬が一気に染まる。


「な」


 声が途切れる。


 グランはさらに、少しだけ身を寄せるようにして小さく言った。


「我慢できなくなる」


「……馬鹿者」


 返すので精一杯だった。


 顔が熱い。耳まで赤いのが自分でも分かる。エリナは両手を腰に当て、わざとらしく天井を見た。


「はいはい、ごちそうさま」


 グランは平然としている。むしろ本気で褒めただけで、それ以上の意図を隠そうともしていない。照れているのはルシアだけだった。


 その空気を切り替えるように、エリナはぱんと手を打つ。


「じゃあ次、グランも着替えて」


「オレもか?」


「もちろん」


 エリナはどこからか別の包みを持ってくる。最初から用意していた顔だ。


 グランは受け取るなり、その場で脱ごうとした。


「馬鹿者!」


 ルシアの声が飛ぶ。


 エリナも一拍遅れて同時に叫んだ。


「ちょっと!」


 グランが不思議そうな顔をする。


「なんでだ」


「なんでもじゃない!」


 ルシアはずんずん近づき、包みをひったくるように持ち直した。


「こっちへ来い」


「ここでいいだろ」


「よくない」


「なんでだ」


「よくないものはよくない!」


 そのまま奥へ引っ張っていく。グランは抵抗らしい抵抗もしないが、納得もしていない顔だった。


 奥の部屋で包みを開くと、黒い上下の服が入っていた。


 素材は見た事のないほど滑らかで、だがしっかりしている。無駄な装飾はない。線がきれいだ。グランの体格に合わせて仕立ててあるのか、肩も胸も窮屈そうではない。


「着るのか」


「そうじゃ」


「面倒だな」


「我慢せい」


 ルシアは着方を確認しながら、必要なところだけ手を貸した。腕を通し、前を合わせ、形を整える。こうしてみると、グランの体は本当に大きい。少し整えるだけで服の印象がはっきり変わる。


 やがて着替え終わり、ルシアが一歩下がる。


 黒い服に収まったグランは、普段よりずっと締まって見えた。もともと無駄なく強い体だ。そこへ色の落ち着いた服が乗ると、荒っぽさが消える訳ではないのに、妙に整って見える。危うさを隠さず、その上で見栄えがする。


 ルシアは思わず見惚れた。


「……似合うの」


 ぽつりと漏れる。


 グランが首を傾げた。


「そうか?」


「うむ」


 ルシアはもう一度、今度は少しはっきり言う。


「かなり似合う」


 店へ戻ると、エリナが目を丸くした。次いで、胸の前でこっそり握り拳を作る。


「よし」


「今、何かしたな」


 ルシアが睨む。


 エリナは咳払いしてごまかした。


「グランのはスーツっていうの」


「すーつ」


「上下そろいの服って思えばいいよ。きちんとして見えるでしょ」


「見える」


 ルシアが素直に答えたので、エリナは満足げだった。


 そこへ従業員たちが一人ずつ出勤してきた。


 店の扉を開けた瞬間、皆の動きが止まる。


「えっ」


「うわ」


「すご」


 感想がそのまま口から漏れていた。


「ルシアさん、めちゃくちゃ似合ってます」


「グランさんもすごいですね」


「なんか別人みたいだ」


「いや別人ではないな。グランさんはグランさんだけど」


 口々に褒められ、ルシアは少しだけ顎を上げた。完全に平然を装っているが、機嫌がよくなっているのは分かりやすい。


 グランはほとんど変わらない。褒められても、そうか、程度の顔で立っているだけだ。


 やがて店が開く。


 朝の客、昼前の客、ふらりと立ち寄る常連。入ってくるなり、皆の視線がまずルシアとグランへ向いた。特にルシアへの反応は大きい。


「まあ、きれい」


「新作?」


「その服、すごくいいわね」


「あなたが着ると売れそう」


 褒め言葉が重なるたび、ルシアの目元が少しずつ柔らかくなる。最初は落ち着かなそうにしていたのに、昼を過ぎる頃にはかなり板についていた。姿勢も自然になり、視線を受けるのにも慣れてくる。


 グランも客から見られてはいた。


「そっちの服も格好いいですね」


「護衛みたいで映えるわね」


「いや、護衛というか、なんかもっと怖いけど」


 だがこちらは、本人がほとんど反応しないせいで、褒め言葉の勢いが続かない。グランはただ立ち、時々エリナに言われて荷物を運び、頼まれれば布を持ち上げたり棚を動かしたりする。それだけだ。だがそれだけでも店の中の空気が締まるので、エリナとしては十分以上らしかった。


 日が傾き、ようやく店を閉める頃には、ルシアも少し疲れていた。


 立っているだけのはずが、視線を集め続けるのは思った以上に神経を使う。だが嫌な疲れではない。似合うと褒められ、エリナが満足そうに何度も頷き、店の者たちまで喜んでいた。その空気がどこか心地よかった。


 夜になってから、市長が帰ってきた。


 扉が開き、少しだけ疲れをにじませた顔がのぞく。だが姿勢は崩れていない。帰ってきたというより、ようやく一区切りつけてこちらへ来られた顔だった。


「お手伝いありがとうございます」


 市長はきちんと頭を下げる。


 丁寧な言い方はいつも通りだが、そこに疲労と本心からの感謝が混じっていた。


「大した事はしておらん」


 ルシアが返すと、エリナが横から口を挟む。


「いやいや、大した事だったよ。今日の客の食いつきすごかったんだから」


「そうなのか」


 市長が店の中を見回す。


「それはよかったです」


 夕食は皆で囲む事になった。


 朝より少し落ち着いた量だが、それでもグランの前にはしっかり肉が多い。市長もようやく腰を落ち着けたらしく、椅子へ座る時にわずかに肩の力が抜けていた。


 食事が始まって少ししてから、ルシアが口を開く。


「あの宝珠とやらは?」


 市長が杯を置く。


「調べていますが、まだほとんど分かっていません」


「そうか」


 ルシアはそれ以上急かさない。ただ続きを待つ。


「ただ」


 市長は少しだけ言葉を選んだ。


「作るのは難しいようですが、不可能ではないらしいです」


 ルシアの目が細くなる。


「ほう」


 横でグランが肉を噛みながら聞く。


「また強いのが出てくるか?」


 あまりにもいつも通りの問いだった。


 市長は苦笑する。


「出ない方がありがたいんですけどね」


「なんでだ」


「なんで、ではありません」


 市長は本気で困ったような顔をした。


「こちらとしては、盗賊に続いて邪教徒まで片づいた今、しばらく静かでいてほしいんです」


 エリナも頷く。


「でも、これで少しは安心なんじゃない?」


「ええ」


 市長は素直に認めた。


「盗賊や、その裏にいた邪教徒たちも捕らえましたので、少しはマシになるでしょう」


「そうじゃな」


 ルシアが応じる。街の空気はすぐには変わらぬだろう。だが、少なくとも表に出ていた厄介事は一つ片づいた。それだけでも意味はある。


 グランだけが不満そうに言った。


「つまらん」


 ルシアが即座に返す。


「馬鹿者」


 市長とエリナが同時に笑った。


 その笑いの向こうで、夜はゆっくり深くなっていく。


 戦いの熱はもう遠く、今はただ温かな灯りの下で食事を囲む時間だった。だが卓の上に残る話には、まだ完全には消えていない影も混じっている。宝珠。邪教。古き神とやら。それでも今は、そこへ怯えてばかりいる時間ではない。


 ルシアは隣で肉を食うグランを見た。


 相変わらず、何も変わらぬ顔で食っている。


 強いものが出ぬならつまらぬと平然と言い切り、次の厄介事の可能性を聞いても目の色を変える。面倒で、荒っぽくて、どうしようもない。だが、そういう男がここにいて、こうして温かな食事を食べているという事実に、妙な安堵もあった。


 ルシアは小さく息を吐く。


 その横で、グランが肉を噛みながらこちらを見る。


「なんだ」


「なんでもない」


「変なの」


「おぬしが言うな」


 そう返すと、グランは少しだけ笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ