8-3
曇りがちの午前より、寒の戻りの日和。野良仕事は一休み。
バーレイ村長宅では喫緊の分娩はない。女手たちは、新生児と褥婦を看つつ、親族の面会を受け付けた。
授業の合間、ジョゼは昼休みを利用して、ブラダの見舞いに来ていた。
アイラへの根回しはあっさり澄んだ。その後は村の子どもたちを相手に教鞭を執って過ごしている。幸いにして今のところ、村人から、旅人について何か尋ねられていない。
今はベッドの隣に椅子を引いて、丸々としたブラダの腹部を、飽きもせず、まじまじと見つめている。出産の兆候があると聞き、腹に触りたい衝動を抑えつつ、それでも迫る時を思うと、そわそわしてしまう。
「もう生まれる?」
「気が早いわよ」
呆れたやり取りだったが、姉妹共々繰り返す内に味が出てきたのか、五分に一回は笑っていた。
おかしさより疲れが勝ったのか、ブラダはふと冷めながら、微笑みを絶やさずジョゼに尋ねた。
「グランティと会わなかった?」
意表を突かれた。ジョゼの頬が強張る。柔らかだが、拳も握った。まるで見透かしたような物言いだった。姉に特有の勘だろうか。ジョゼは平静を装った。
「ああ、うん、会ったけど」瞬きが無意識に増えた。
「何か話した?」気持ち、詰め寄られた。
「火薬庫荒らしのことなら聞いた。で、旅人見てないか、って言うから、ウチで泊まってるけど、そいつら? つって」余計なことを口走るな。
「ふーん、そう」
ジョゼは、ブラダの疑うような視線にたじろいだ。姉ながら目つきがきつい。火の強すぎる暖炉に、肌がじりじりと焼かれる感覚がした。
「まあ、良いわ」視線から解放される。「あの人、独りで悩む癖があるから、ジョゼも気にかけてやってね」
山を越したと緊張を解き、ジョゼは気安く答えた。
「家族だぜ? 当たり前だっての」
「ならあんたはもっと上手に嘘をつけるようになりなさい」
肝が凍った。ジョゼは、もはや隠しても無駄なほど、どもった。
やりすぎな暖炉のような視線が、火災の域に達していた。
「……や、やっぱ、姉ちゃんには敵わねえや、ハハ」
ジョゼは観念し、肩を落とす。ブラダは胸を張る、というか、大きな腹を張るようだった。
「当たり前よ。何たって、お姉ちゃんでママになるんだからね。なのに亭主ときたら、朝に顔を見せたきり、どっか行っちゃうんだもの。こんなの初めてよ」
母の勘、怖え。ジョゼは少し、グランティに同情した。
ブラダが溜め息をつく。
「大方、私がこんなだから、心配させたくないんでしょうけど、亭主と実の妹、あんたら二人、どんだけ面倒見てきたと思ってんの? わからない方がおかしいでしょ」
ぐうの音も出ない。義兄に同情している場合ではなかった。どうやら主婦の勘は姉妹にも及ぶらしい。事あるごとにこの鋭さを味わうと思うと、ジョゼは凍干しのようにしぼんだ。
「逆に、心配かけちまって、その、ごめん」
「本当にそう。でも、別にそのことで心配なんかしてないわ。内緒にしたいなら、そうしときなさい」
てっきり詰め寄られると思っていたばかりに、ジョゼは呆気に取られた。
「……聞かないのか? 本当のこと」
「聞かない。あんたは私の自慢の妹で、グランティは自慢の亭主、そこにこの子が仲間入りするのよ。こんなときなんだから、あんたたちが隠すなりの理由があるんでしょ。こっちはみんなを当てにしてんだから。どんなことをやろうったって、あんたたちのこと、信じてるわ」
ベッドで陣痛に耐えていたであろうブラダが、ジョゼには大きく見えた。守るべき身内が、とても頼もしい。まさに、母は強しを地でいく姿だ。ジョゼは今度こそ降参した。これからは、姉に負けていられない。
「ありがとな、姉ちゃん」
「どうしたしまして。ま、亭主があんなだから、慣れてるだけだけど」
「こんなとこで旦那の陰口かよ」
姉妹で、悪戯っ子の頃を思い出し、くすくす笑った。
「その代わり、全部終わったら話してよ」
「わかったよ、姉ちゃん……もう生まれそう?」
「気が早い」
客室のドアがノックされた。ブラダが入室を促すと、ルイーズがひょこっと顔を出した。
「やっぱりここにいた。ライクワラ先生、もう午後の授業、始まっちゃうよ」
「え、マジ? もうそんな時間⁉ いっけね!」
立つ勢いが余って、椅子を倒しかけた。相変わらずそそっかしいね、とブラダが苦笑する。
「じゃ姉ちゃん、自分、先生してくっから」
「うん。それじゃ、ルイーズちゃん、この子をよろしくね」
「はーい」
「逆ぅ! やめろよぉ! 姉ちゃんがからかうせいで、ずっとガキどもに舐められてンだかンな!」
「アッハハ! なら、おふざけなんかで流されないくらい、しっかりなさい!」
「おーうなってやンよ。自慢の妹でもお姉ちゃんでもな!」
「お姉ちゃ……? ああ、それを言うなら、おばさんでしょ」
「いいや、絶対お姉ちゃんって呼ばすかンな!」
「もう。行くよー、ライクワラ先生ー」
「こっちの台詞だコラ! 行くぞルイーズ!」
ジョゼはルイーズの後を追い、乱暴に扉を閉じかけて、最後にチラッと目元だけで部屋の中を覗いた。
「……生まれそう?」
「いい加減にしな。とっとと行く」
「お大事に」
ジョゼは目元だけでにっこりして、静かに扉を閉じた。
今日は、読み書きの授業である。
教本から新出単語を書き出して、子どもたちが手持ち黒板に板書する。書き写しが終わると、子どもたちが、たどたどしい口調で、肩肘張って写本を回し読む。二文読んで交代。ジョゼは、発音やアクセントが正しいか、耳を傾ける。
「昔、人々は星を渡れるほど豊かでした。地上と星とで離ればなれになっていましたが、どちらの人々も、神様のお恵みのおかげで、幸せに暮らしていました」
「ところが、星に渡った人々は、神様の宝物を盗んでしまいました。星に渡った人々は、それきり、地上には戻りませんでした」
「怒った神様は、地上に悪魔の石を作りました。悪魔の石に触ると、生き物は悪魔になり、他の生き物を憎むようになりました」
「悪魔はどんどん増えて、地上の人々を襲いました。襲われた人々も、悪魔になってしまいました」
「不幸な人々は、このままお終いになってしまうかと思いました。ですが、そのとき立ち上がられた一人の聖乙女こそ、聖マトゥリ様でした」
「聖マトゥリ様は、御身の源を少しだけ削られて、それから“ゼノン”をお創りになり、水に溶かされました。“ゼノン”が溶けると、水は生き物のように動き出し、聖マトゥリ様のご意思に従うようになりました」
「聖マトゥリ様が“ゼノン”をお揮いになると、たちまち津波が悪魔たちを呑みこみ、氷漬けにしていきます。聖マトゥリ様のご活躍で悪魔の石も氷漬けにされ、地面の遥か深くに沈んでいきました」
「悪魔の猛威は過ぎ去りましたが、悪魔の石の脅威と、神様の怒りは、今も続いています。神様は再び地上に罰を下したいので、自分の手足となる祈り手を、ずっと待っていると言われています」
「ですが、人々も負けてはいられません。聖マトゥリ様の名の下に、人々は一致団結しました」
「団結した人々は、聖マトゥリ様から悪魔と戦う奇跡を受け継ぎ、正しく神様を崇めるために、諸教の人々を導くことにしました。これが、悪魔の石“霊髄”と、聖マトゥリ様から始まる、護律協会の興りです」
ジョゼは、満足げに頷いて、大げさなくらい明るい調子で教本を閉じた。
「お前ら、すらすら読めてすごいじゃん! 自習したのか? え、授業だけ⁉ 一コマ大事に精一杯頑張って偉い! 先生、今日はシール二つサービスしちゃおっかな!」
生徒たちの元気な歓声が上がった。我先にと席を立ち、ジョゼに手持ち黒板を裏返して押しつける。黒板の裏にはそれぞれ、封蝋に印を押したものが、勲章のように並んでいる。
教室にジョゼの手拍子が二拍通る。わんぱくな生徒たちが、ジョゼに従って整列した。
ジョゼは順番に、黒板の裏に封蝋を垂らし、スタンプを押していく。いわゆる、スタンプカードだった。封印が溜まれば全部剥がして、フロア開拓村護律会堂特製麦芽水飴と交換できる。勉強を頑張ったご褒美だ。
丁度今日、一人の封印が溜まったので、ジョゼは水飴をあげた。跳ぶほどお礼を言われた。周りが羨む中、ちゃんと授業を受ければみんな水飴を貰えることを、ジョゼは強調して伝えた。
この水飴、子どもに受けすぎて、横取りされることもある。
「もしカツアゲしようってンなら、こうだからな?」
ジョゼは“ゼノン操水術”で手の平大の水球を作り、封蝋に閉じこめた。蝋の球の中で水が暴れ、限界を迎えた球が破裂する。それを目の当たりにした子どもは、腹の底から震えあがり、首がもげるほど縦に振った。
時々こうしないと、お前ら自分を舐めっ放しだもんな。
生まれる目前の姉の子を立派に導けるよう、心機一転を図るジョゼであった。
剥がした封印を、ジョゼは蝋燭加熱式の溶融器へ落とした。一台では蝋を融かすのが間に合わず、数台を使い回していた。生徒の努力の結晶が、次の生徒に受け継がれるために、融けていった。
カーデュに番が回った。
「なージョゼ」
「ライクワラ先生」
カーデュは素直に言い直す。早い。やはり蝋を破裂して見せたのが堪えたらしい。普段は封蝋が垂れるのを嬉々として見ているのだが、今日はジョゼを真っ直ぐ見てくる。
「それで、何だよ?」
「神様って何で、悪魔の石を、星に渡った人たちにやらなかったんだろ」
封蝋が、余計に垂れた。
「うわわ、特大になっちまった。これ、一個分だかんな。はい、お疲れ様。次の子おいで」
「なー、ライクワラ先生」
少し重くなった黒板を返されたカーデュが食い下がる。ジョゼがスタンプを押しながら、教卓の隣に手招きした。
「やっぱそう思うよなあ」
教えるよりも、同意を求める口調だった。また封蝋が余計に垂れたのを、順番を待っている生徒に怒られた。一度に垂らす量が多いと、順番の後がつかえてしまう。
気を取り直し、ジョゼはカーデュの疑問に答えた。
「まあ、実は自分も、本当のところは、わっかんないンだけど……」
修律士就任を機に、説話集を見直したジョゼも、カーデュと同じ疑問を抱いたことがある。神の怒りの矛先は星に渡った人々に向けるべきであって、地上の人々に向けるのは、良い迷惑である。
そこんとこ、どうなんすか?
ミキは、矛盾に初めて気づいたと知られたら師匠の沽券にかかわるどうしようという顔をした。
――ぶ、文学部とか歴史学部出た人なら、わかるんじゃないかなあ?
「という訳でな」
「大人って、しょーもな」
「ソーマ先生に言いつけンぞ」
「ジョゼチクリんだ!」
「ちんちくりんのチクリ魔みたいに言うんじゃあないよ!」
「でさー先生」
「でさー、じゃなくって」
「“ゼノン”って悪魔の石を退治するための力なんだろ? 何でみんな、吸血鬼退治してんの?」
カーデュから話題を逸らす魂胆が見えたが、真剣になるほどの話題でもないと思い直し、スタンプに喜ぶ生徒を見送りつつ、ジョゼは答えた。
「水飴を水に浸けると、どうなる?」
「溶ける」カーデュはつまらなさそうに答えた。
「水飴が溶けた水は、元の水飴と同じか?」
「そんな訳ないじゃん」カーデュは当然そうに答えた。
「吸血鬼も一緒なんだよ。奴ら、全身血でできてっから、水に浸かると溶けて、自分を保てなくなるんだ。普通の水でも良いらしいけどよ、何か“ゼノン”だとてきめんに効くんだと」
「何で?」
「わっかンない。そもそも自分……って言うか、この村で、吸血鬼を見たことある奴はいない……」
言葉の途中で、ジョゼにある記憶が蘇った。
ミキ・ソーマがフロア開拓村に赴任した頃だ。今では考えられないが、そのときのミキは、抜け殻のような女だった。目を離すと躊躇なく首を括りそうな危うさが漂っていて、空虚な目をどこにも向けていなかった。
何があったかは、今でも聞けていない。だが、ミキに壮絶な事情があったのは、明らかだった。
例えば、吸血鬼にまつわる事件。
「先生、スタンプ早く」
きゃいきゃいと急かされて、物思いからジョゼは呼び覚まされた。あまり良い思い出ではない。あのときのミキの目は、心の闇を感染させる魔力を宿していた気がする。
「先生ってば」
軽い調子で謝って、押印作業に戻る。
「まあ、吸血鬼なんて、出ないのが一番だな」お師匠さんがあんな風になるほどだとすれば、猶更だ。「この村に出たことないって、すげえ幸運なことなんだぞ。……カーデュ?」
「もう出てった」
生徒が無慈悲に言い放つ。
ジョゼは肩からくずおれて、盛大に溜め息をついた。脅しは確かに効いたが、人望はまだまだだ。これから伸ばすしかない。
スタンプを押し、手元で簡単に封蝋が伸びるのを、どことなく羨ましく思った。また封蝋を多めに垂らしてしまった。
子どもたちの今後の指導を日誌にまとめている内に、西の空が焼けていた。
肩肘張った教師の姿勢をほぐしながら、ジョゼは、教室から酒場に向かった。
ブラダの見舞いに夢中になりすぎて、昼食も忘れていた。すっかり腹が減っている。
カウンターでは、バーレイ村長が、見慣れない男と話しているところだった。村長がジョゼに気づくと、片手を挙げて「やあジョゼ」と迎えた。
釣られて、見慣れない男も振り返る。商人風の男だった。軽く会釈してきたので、ジョゼも応える。
ジョゼは腕を組んで、カウンターに身体を預けた。
「とっつぁん、黒パンどっさり、チーズとベーコンと、あと何か適当に味変になるやつ」
「なら、スモーブロ(オープンサンド)にしてあげようか」
「良いンすか。やりぃ」
「あー、で、この子ね、ジョゼ・ライクワラ。うちの村の修律士」
いきなり村長が、商人風の男に紹介するので、ジョゼは戸惑いつつも、再びぺこりと頭を下げた。
「えっと……」
商人風の男が、自分の胸に手を当てた。
「ブラインドタイガー商店のレンプです。ある旅人の行方を追っているのですが……」
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