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4 コーヒーの誘うブレイク




 店員がネルにお湯を注ぐ湿った音がしている。


 コーヒーの溜まるサーバーの他、時が進んでいる指標もなく、回る秒針も存在しないここでは、時が進む気がしない。


 店員は無言で、木守も無言だった。沈黙の中、場の音はネル・ドリップが司っている。

 一滴一滴、コーヒーを作っていく面倒極まる作業。そして、至高のコーヒーを作るために必要不可欠な作業だった。


 木守の向かいの新像が特に静かだった。妙なほどの静けさだ。

 この男の普段の騒々しさに慣れていた木守が違和感を感じる中、新像が崩れた。

 白目をむいて、身体が沈んでいく。スローモーションのように伏していき、ついにテーブルの上に軟着陸した。テーブルが大きく軋んだ。


 木守の中でパニックがこみ上げてくる。彼女の周りの時間が、濁流の如きスピードを取り戻した。

 やられた! 何かを混入してあったに違いない。新像は一服もられてしまった。

 新像は排除されてしまい、次は自分の番か。


「あらあら」


 店員の声が耳を打つ。


「よっぽどお疲れなんですね」


 店員がそう言って、戸棚を開く。中から出てくるのは銃器か刃物か。木守は身を低くしつつ、必死の思いでバッグの中の暴漢撃退スプレーの缶を探る。


 店員が戸棚から出したのは毛布だった。カラフルな色合いのアステカ織りの毛布をふわり広げて、新像の肩にかける。


「コーヒーを飲んでから寝るのは、実はいい考えなんですよ。飲んだコーヒーのカフェインが全身に回るまで三十分ぐらいあるそうで、それまでに熟睡して疲労をとれれば、すっきりと目覚めることができるんです。コーヒー飲んでから昼寝するのは、忙しくて寝不足な現代人におすすめです」


 店員がにこやかに喋っている間に暴漢撃退スプレーが手に収まった。木守はそれを店員の眼前に突きつける。


「寄らないで!」


 木守は叫ぶ。トリガーを引いて、無力化ガスを吹き付ければ必中する距離だ。床の上をのたうち回ればいい。

 店員は、はっとした顔で後ずさった。

 その顔を見て、木守の中で勝利の実感が広がった。ついに、店員に一泡吹かせてやることに成功したのだ。

 店員は眼を丸くして、口元に手をやる。そして、言った。


「あら! そういえば、私としたことが、コーヒーに合ったお菓子もお出ししていませんでしたね。失礼しました。今お出しします」


 店員はぺこりと頭を下げる。そして、ネルを木守に差し出した。


「ちょっと持っててください」


 店員は笑顔で頼み込む。


「お願いします。コーヒーの味が落ちちゃいます」


 そう言って、彼女はカウンターの裏へ戻っていく。木守は右手にスプレー缶、左手にネルという姿で立ち尽くしていた。

 コーヒーの味が落ちてしまう……。それがあってはならなかった。

 この場は、木守が主導権を握っているのではない。コーヒーが支配している。


 コーヒーの出来こそが、もっとも優先されるのだ。木守の膝が震えた。

 両手に皿を持った店員が戻ってくる。


「はい」


 砂糖をまぶしてあるデニッシュじみたものが乗る小皿がテーブルに置かれた。


「タペストリというお菓子です。……こっちは、コーヒーほど自信ないんですけどね」


 店員の少女は苦笑いを浮かべている。

 その顔に向けられているスプレー缶が何を意味するのか、分かっているはずなのに、反応していない。

 強がっているわけでも、見くびっているわけでもない。そんな行為はしないのだろう。生の暴力の世界からコーヒーを持ってきた彼女だ。紛争地帯で暴虐性を知り尽くし、誰よりもそれを忌み嫌っていることだろう。


 木守の示している敵意などは、まるで受容していない。

 その敵意の、あまりの程度の低さゆえに。あまりの弱さゆえに。


「ありがとうございます」


 木守の手からそっとネルを受け取ると、またネルにお湯を一滴一滴さしていく。

 木守は蒼白な顔で、自分の手の中のスプレー缶に目をやり、その銀色の表面に映る自分を見つめた。それから、テーブルに突っ伏す新像を。

 彼は、安らかな寝息をたてている。その幸せそうな表情は、付き合いの長い木守でも見たことのないものだった。


 木守は、自分に引き金を引く力がないことを悟ってしまった。


 自分は完全に無力で、決して勝つことはできない。

 破れて、食われ、惨めに死んでいくことが運命づけられている。


「フォークをどうぞ」


 ナプキンにくるまれたフォークの柄が、自分に差し出されていることに気づく。

 感情が逆流する。逆手にフォークをひっつかんで、乱暴にタペストリを貫き、かぶりついた。


 店員は謙遜しているが、それは、そんじょそこらの売り物よりよっぽど美味しかった。それでいながら、コーヒーの味を引き立てるのに徹している。

 美味しいということを否定できない。


 チェックメイトだった。それが引き金となって、ひびだらけになった心の中の防壁が決壊を始めた。

 ぽたぽたと涙が落ちて、タペストリの周りの砂糖を滲ませる。


 スプレー缶が床にぶつかって音とをたてた。木守は、それを自分の心の砕け散る音としてとらえた。

 張りつめていた神経の糸がちぎれ、感情の波をせき止められない。土石流をスプーンでくい止めるようなものだ。


 自分が何を叫んでいるのかも理解できなかった。コーヒーカップが転がり、至高のコーヒーが鮮血のように跳ね散るのが妙に鮮明に、網膜に投影される。

 今まで浴びた悪意が、耳の中でリコールされて再現される。


 身体が震える。痛みを伴う寒さが吹き付けてくる。こんな寒さには耐えられない。体中の至る所が凍りついていく。

 余りに激しい震えに、自分の身体を制御できなかった。





 木守にはね飛ばされて、尻餅をついていた店員は立ち上がる。がくがく震えながら泣きじゃくる客に静かに近づいた。

 そして、迷うそぶりもなく客を抱きしめた。木守の頭をエプロンの胸元に押しつけ、両腕を後頭部と背中に回す。木守は店員を叩き、押しやろうとしたが、その腕に力が入っていなかった。数百種類のコーヒーの香りが染み着いたセーターの腕に抱き寄せられ、それに抗う強さもなかった。


「泣きたいときは、思いっきり泣いてしまうのが一番ですよ」


 店員は小声で木守の耳元に囁いた。


 木守が自分に降りかかる不条理さを涙ながらに訴える不明瞭だった。その声は涙で滲み、木守以外の人間には聞き取ることが難しかった。

 それでも店員は木守の言葉にいちいち頷き、彼女の全てを受け入れた。

 木守はより激しく泣き声をあげ、彼女の訴えは徐々に内容が単調になっていった。やがて、彼女は感じる恐怖のことを繰り返し訴え、泣いた。


 怖い。


 そのほかに言葉を知らない赤子のように繰り返していた。

 店員は木守の言葉を聞きながら、その髪をなでていた。

 慰めの言葉もかけず、ただひたすら抱きしめていた。

 木守の敵意は少女に影響を与えなかった。そもそも、木守の敵意は怯えの転化したもの。少女は未来を見るまでもなく、それを感じ取っていた。そして、それに対処する方法も知っていた。


 木守を脅すものもなければ、怯えさせるものもなかった。


 敵意をハリネズミの針のように身にまとう必要もなかった。


「つらかったんですね」


 片手で木守を抱きしめ、片手でネルドリップを続けながら、店員は言う。


「……あたしは弱すぎた」


 木守は漏らした。枯れた落ち葉が土の上に振るような声だった。





 いつまでも迸る流れはない。


 濁流も、やがては勢いを弱め、岩の間を流れる清水の如き穏やかなものとなる。

 木守は、社会に出てから弱みを見せることなんか許されず、甘えたこともない。

 その彼女にとって、赤の他人に抱きしめられ、慰められているという現状は、彼女に酷くばつの悪い思いをさせるものだった。


 かちかち歯をならしながら、切れ切れの言葉で懇願した。


「もう大丈夫だから……放して……お願い」


 店員はわずかに名残惜しそうな表情を見せたが、木守を解放した。


 すでにサーバーにはコーヒーが満ちている。

 店員は床の上にひっくり返ったカップと小皿を回収して、カウンターに戻る。戸棚を開けて、新たなカップを取り出す。

 紺青の山水の描かれたマイセンだった。優雅な仕草で店員はサーバーからコーヒーを注いだ。そして、木守に向けて、カップのハンドルを回した。


「涙を拭いたら、これを飲んでください」


 木守はこくりと頷く。身体の激しい震えのせいで、コーヒーの水面にさざ波が立つ。黒い真珠のようなコーヒーが、カップの端をつたった。


 木守は両手でカップを持って、口元に持って行く。そのコーヒーは味覚以上のレベルで木守に安らぎをもたらした。抜け殻のような魂に、しみ入っていく。


 木守の震えが止まっていた。コーヒーは一口で、木守の感じていた寒気を溶かして消したのだ。


「何でよ……」


 泣き喚いたせいで、枯れ果てた声で呟く。


「ただの、嗜好品じゃない……。なんでここまで美味しいのよ。あたしの心を……癒してくれるのよ」

「『ただの』、なんてものはありえません。貴方の人生で、ちゃんと役目を持っていて、それを果たしています。あなたの人生の輝きを増すために送り届けられた結晶なんです」


 木守は椅子の上、片膝を引き込んで抱え込んだ。


「あたしの人生なんか……周りは敵ばっかりでろくなものじゃないのよ。そんな表現、不適当だわ……」

「いいえ、大勢が貴方のために努力しています。あなたを助け、あるいは、あなたに受けた恩を返すため」

「……何のこと? あたしが何をしたっていうの?」

「あなたはコーヒーを飲んでくれているじゃないですか」


 木守は、店員の話が飲み込めず、真っ赤な目で彼女を見据えた。


「コーヒーで生きている人が、どれぐらいいるか、ご存じですか?」

「あたしみたいに、毎日コーヒー飲んでいる人のこと?」

「いいえ、作っている人のことです。コーヒーを生産している国は約六十カ国。生産している人間は数千万人です。でも収穫されたコーヒーは、ほとんど先進国で消費されてるんです。生産されるコーヒーのうちの、約十パーセントをうちの国で消費しています。あなたたちと、南米の国々はコーヒーで直に繋がっているのですよ」


 店員はコーヒー豆を摘んで、愛おしげに手の中で転がした。


「コーヒーは気むずかしい作物なんです。一年で収穫の見込めるサトウキビに対して、コーヒーは三年かかります。砂糖ほど簡単に育てることも、収穫することもできません」


 コーヒー豆を見つめながら、彼女は続ける。


「寒さに弱く、風が吹けば葉っぱを飛ばされて育たなくなります。虫やサビ病という病気のような、天敵も多いんです。コーヒーに含まれているカフェインも、本来は敵に食べられないようにするために、進化の過程で得られたものなんです。栽培だって大変です。果肉から豆をとるのは手作業ですし、脱穀して乾燥させるのにも、もの凄い労力が必要です。収穫した後の生豆が濡れるだけで品質は台無しになります。……いえ、それだけじゃありません。コンテナ船で運んでいるときに豆が傷んだり、せっかく輸出しても、変動激しいコーヒー相場のせいで、値が落ちて利益が出ないこともあるんです」


 店員は一息に喋り、大きく息を吐いた。そして、纏めた。


「貴方の飲んでいるものは、大勢の人の努力の結晶なのです」

「そんなに苦労してるの……。経済的に採算はとれてるの?」

「彼らは経済性を度外視しているんです。会ったこともないあなたを幸せにするために」


 店員は輝く瞳で木守を見つめる。


「私のコーヒーを褒めてくれましたが、全てはよいコーヒーを作ってくれる農家のおかげなんです。お金につながりやすい砂糖や、もっとお金につながりやすい麻薬栽培に走ることなく、手間暇かけて、この芸術品を産んでくれる人々がいるんです。私がやったのは……その長大なプロセスの、最後の一押しに過ぎません」


 店員は言った。


「謙遜が過ぎるわよ……。これほどのコーヒーを飲ませておいて」


 木守の言葉に対し、店員は眼を伏せる。


「どうか、コーヒーを好きでいてください。コーヒーで幸せになってくれれば、みんな幸せになるんです。コーヒー好きが増えて、ブランドに目を向けてくれれば、そしてより興味を持ってくれれば、生産国側の流通も安定します。……彼らは、サビ病対策の抗菌薬を買えます。乾燥作業に役立つビニールシートを買えるんです。たったそれだけで、サン・グランドスル共和国のような国がよくなります。……道行く子供が遊び半分で狙撃されたり、まともな医療設備がないせいで、産まれた赤ちゃんが生きていけない……そんな国が、よくなるんです」


 店員が両目を閉じて言った。コーヒー豆を握った手の甲を額に触れさせ、祈るような口調だった。


「ずっと……ただの眠気覚ましとして飲んできただけなのに……」


 木守は、コーヒーの水面を見つめて、ぽつりと言った。


「それも今日までです」


 店員が断言する。


 流し尽くしたと思っていた涙が、眼からあふれてくる。

 コーヒーを通じて、情念が流れて来るのだ。

 感じているものを言葉にする術もなかった。だとしたら、言葉にする必要もないのだろう。理性で判じるものでもない。ただ、心を揺さぶる。


 コーヒーを作るのに関わった幾多もの人間の感情が、木守の心に投影されて踊っている。店員の丹精こめた念がトリガーとなって、木守の中で無限に広がっていく。


 それだけのコーヒーだった。


 木守の感じていた小さな敵意とも、小さな苦悩とも、スケールが違った。

 大勢の人間の念がブレンドされたコーヒーが、どうしようもないほど心を共振させる。


「涙を拭いてください。泣くことでも、哀れむことでもありません」


 木守は頷いた。


 分かっている。悲しんでいるわけでも、哀れんでいるわけでもない。


「さあ、もう一杯どうぞ。ネル・ドリップならではの、まろやかな風味を思う存分、楽しんでください」


 店員が差し出すサーバーに、木守は両手でカップを差し出した。

 注がれる至高のコーヒーを見ながら、どうしても気になっている疑問を問いかけてみた。


「なんでお金とらないの? こんなにすごいコーヒーなのに。いくらでも儲かるでしょう?」

「私は一杯ごとに命を賭けています。値段はつけられません」


 店員はそう言って、サーバーをシンクに下げた。


「ありがとう。……世界が広がったわ」


 木守はコーヒーを飲み干し、音をたてずにカップを置いた。


「こんなにコーヒーが素晴らしいものなら、これに一生を費やすのも悪くないかもしれないわね」


 店員はにっこり笑う。


「人生を賭けるに値しますよ」

「ねえ、このお店、店員の募集とかやってないの?」


 コーヒー屋の少女は初めて意表をつかれたらしく、目をまん丸に見開いていた。


「は……働きたいってことですか?」


 店員の瞳が揺れるのを見て、木守の中で予想外の満足感が広がった。


「申し出はとっても嬉しいんですが、残念ながら……」


 少女は悲しげに言葉尻を濁した。木守は顔を曇らせる。


「こんだけ凄いコーヒーを振る舞っといて、あたしの価値観を変えといて、ここで断るのは、ずるくない?」

「コーヒーを淹れるのが私の役目であるのと同じように、貴方の役目があります。貴方を待っている人が沢山いるんです。ここに貴方を留めてしまって、人々を失望させることはできません」


 そう言って、少女はコーヒーの溜まったピッチャーを引き寄せた。木守が入店したときに携帯を放り込まれたピッチャーだった。

 その中に手を浸して、木守の携帯をつまみ上げた。店員はそれを布巾で丹念に拭いて、木守に差し出した。


 木守は自分の携帯電話を無言で見つめた。コーヒーの影響か、カラーリングが茶色に変化している。

 数秒の後、木守は携帯を受け取り、それをバッグにしまった。


「あたしを待っている人なんかどこにいるってのよ……会社は給料分以上に社員をこき使いたいだけだし……潰れる寸前だし」

「未来に大勢の人が待っています。貴方に幸せにされることを。分かりますか? 貴方はもう、コーヒーのフローの一部なのですよ。コーヒーを生産する人、淹れる私、飲んでインスピレーションを受けて、飛躍を遂げて、世界に還元する貴方」

「世界に……」


 木守はゆっくりと振り返って、コーヒー屋の入り口の扉を見つめた。その扉の向こうで待ち受けている世界のことを考えた。

 木守をボロボロにした、敵意渦巻く世界のことを。


「違って見えるわね」


 木守は静かに言った。

 もう、身体が震え出すこともなかった。


「違うのは貴方ですよ」


 大きな視点から見ると、世界は随分と違って見えた。

 物の流れ、人の流れ、情報の流れをネットワークのように視覚化することができた。

 一個の途轍もない脅威に見えていた敵多国籍企業は障害の一つでしかない。

 こうして見ると、うちの会社も全ての面で負けているわけではなかった。

 いい所も、強みもいっぱいある。


 木守の中で、困難が解きほぐれつつあった。

 眼前に課題は山積みだ。だが、どのような問題に、どうアプローチすればいいのか、考えていくことはできそうだ。


「行くわ」


 木守は言った。

 いてもたってもいられない。こんな感情、感じるのは入社以来だ。

 ずっと忘れていた

 木守の顔からやつれ果て、自暴自棄になっていた色は残っていない。精悍な若手社員のエネルギッシュなそれに、取って代わられていた。


「もう少しゆっくりしていかれても、いいんですよ?」

「ありがとう。でも、仕事が私を待っているわ」

「真面目でいらっしゃるんですね。素晴らしいことです」


 店員がにっこりと笑った。


 木守の中で、守るべきものの再確認は済んだ。

 自分の多くを注いだ会社だ。自分で立て直してやろう。


「仕事を楽しむわ。例え、会社が潰れることになるとしても」

「そう思う貴方がいるなら、潰れませんよ」


 木守は立ち上がり、バッグを肩にかける。


「また、コーヒーで一服したくなったら、いつでもいらしてください」


 立ち上がってから、木守は相棒のことを思い出した。


「あ……これ、どうしよ?」


 新像は机の上で熟睡していた。


「……もう食べられないよ、むにゃむにゃ……」


 幸せそうな寝顔で、彼が言った。その顔は、実年齢より二十は幼く見えた。


「目覚めるべき時に、彼は目覚めますよ」


 店員は言う。木守は頷いて、玄関の方へ歩みを進めた。


 戸口の所で木守は振り返った。


「本当に、お金は払わなくてもいいの?」


 店員に再度、念を押した。

 これだけは、どうしても引っかかる。神懸かったコーヒーを生み出す彼女とはいえ、儲けがないのはつらいのではないか?

 木守の心配そうな顔に対して、店員はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「ネタばらししちゃいますと、私は貴方の会社の株を買わせていただいています」

「株って……ミニ株?」

「いいえ、ちゃんとした単位株ですよ」

「でも……! うちの会社は潰れる寸前なのよ?」

「潰れないで、持ち直したらどうなります?」

「……あ」


 木守は店員の意味するところを理解した。


「言ったでしょう? 未来が見えるって」


 もしも、木守の会社が業績を立て直して、多国籍企業を撤退させた場合……国内のライバルは、みんな潰れた後だ。木守の会社は市場を独占できる。

 株価は凄い上がりを見せるだろう。その株を大量に保有していれば……。


 そりゃ、コーヒー代なんて、いらないわけだ。





 コーヒーブレイクを終えた彼女は、雑居ビルを後にした。毅然とした足取りで、太陽の下に歩み出る。

 バッグの中でコーヒー色の携帯が、柔らかい呼び出し音を発した。


「木守です。どうしました社長?」

『木守君、休憩中にすまない。例の多国籍企業に動きがある。すぐに君の助言がほしい』

「今、戻ります」


 答えながら、彼女は雑踏の中へ消えていった。


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