第0話 これは、恋?
“この気持ちが恋というなら、あたしは間違いなく恋に落ちた”
魔術科の演習場。
正面には魔術の的がずらりと並び、床には焼け焦げた痕が無数に刻まれている。
天井は高く、周囲には見学席が設けられていた。
それでも空気はこもっていて、魔力が漂うような——重たい場所だった。
魔術科の生徒たちは、緊張した面持ちで集まってヒソヒソと話し合っていた。
その様子を、工魔科のあたしは柵越しに見つめていた。
「エリナ! 楽しみだね、魔術の授業。あれだけ見学するの楽しみにしてたもんね!」
あたしの隣にいた友達のサリアが話しかけてきた。
「うん、昨夜は寝れなかったよ」
「そんなに? 魔術科は卒業したらお貴族様だもんね。今から良さそうな人、目星を付けておかないと!」
「え、サリアも? これはがんばらないとなぁ」
彼女は学園の入学式からの友達だが、まさか同士だとは思わなかった。貴族の云々はよくわからなかったが、競争になったら大変だ。二人で一人を——という趣味の人もいるかもしれないがあたしは嫌だ。あたしは独占欲が強いから。
「大丈夫だよ。エリナは可愛いからどんな人でもOKしちゃうよ」
——え?
可愛いと承諾をもらいやすくなるということなのか。それはとても参考になる。
そういうことなら、サリアの愛嬌は強敵だ。油断ならない。
「サリア」
「ん?」
「負けないよ」
「う、うん」
あたしは魔術科の生徒たちの方に目を向けた。
あたしを含む工魔科の生徒たちは今日は魔術科の授業を見学していた。魔術の本格的な訓練はまだ先の話だが、それでも魔術科の空気はぴりついていた。
その理由は、ある一人の生徒に向けられた視線のせいだ。
彼は、授業が始まる前からクラスメイトに難癖をつけられていた。
「お前、詠唱もせずに魔術が使えるなんて吹いてるらしいな」
嫌味な声が響く。周囲には、面白がるような笑いが広がっていた。
彼は欠伸を隠そうともせずに気怠るそうに言い放った。
「さあね。耳が悪いやつに聞こえないだけなんじゃないか?」
一瞬、空気が止まった。ぴり、とした緊張が、肌を刺すように伝わってくる。
周囲の生徒たちも、それを聞いてさらに眉をひそめた。
「うわー、雰囲気悪いね。どっちも態度悪いし。私はパスかな」
サリアが呆れて言った。
あたしはそれよりも”詠唱もせずに“という言葉が気になった。
——どういうことだろう?
そこへ教師がやってきて、手を一度だけ叩いた。
「集合だ。始めるぞ」
生徒たちは列を作り、あたしはその端から見つめていた。
「今日は入学三日目の、初の魔術行使の授業だ。幼年学校で魔力操作を訓練してきた諸君は、魔術が使いたくてうずうずしていることだろう」
教師は鋭い視線を生徒たちに投げかけた。
「今日は魔術が発現せぬ者もいるかもしれん。が——まだ出来なくて当たり前などとは思うな。魔術師ならば、出来て当然なのだ」
教師は訓練場の奥、石壁の的を指さす。
「先ほどの授業で教えた通りだ。魔力操作ができていれば、詠唱すれば発現する。イメージしやすいのは火だろう。
“Ignis, Flama, Sora, Veyu, Runa”——これを、あの的に向かって唱えてみろ」
最初の生徒が前に出て、詠唱を始めた。
『Ignis, Flama, Sora, Veyu, Runa!〈火よ、燃えろ、飛べ、纏い、光となれ〉』
掌に小さな炎が生まれた。だが、ふらつくように飛び、的には届かずに消えた。
「ふむ。まぁこんなものだろう。
次! エリック・ホルト!」
次に呼ばれたのは、さきほどカイルに絡んでいた生徒だった。
『Ignis, Flama, Sora, Veyu, Runa!〈火よ、燃えろ、飛べ、纏い、光となれ〉』
声が力強く響き、形成された炎の矢が的を貫いた。拍手が起きる。
エリックは「ふん!」と鼻を鳴らしてどうだと言わんばかりに彼に視線を投げかけた。
確かにあたしの目から見てもエリックの魔術は大したものだ。完璧にコントロール出来ていた。
「ふむ。やるな。次、カイル・クロウフェル!」
教師は褒めてはいたが冷静さは変わらなかった。このくらいは当然だとでも言うようだった。
「せんせーい! そんな長いの面倒なんすけど!」
彼——カイルがふざけた声を上げ、場に嘲笑が流れた。
エリックはあからさまに不快そうな顔をして舌打ちをした。
だが、教師は口の端をわずかに上げて応じる。
「ほう。四節でできるか? やってみろ」
カイルは、右手の人差し指を的に向けただけだった。
炎の矢が無音で生まれ、空を裂いて、的を正確に貫き、破壊した。
——それも、十本の炎の矢だった。
周囲がざわつき始めた。
「十本の矢ってどうなってんだよ!」
「それより……今、詠唱聞こえたか?」
「いや、全く」
「一節ですらない?」
「口も動かなかったぞ!」
「まさか、無詠唱……?」
その言葉が出たとたん、ざわつきは一気に広がった。
だが当の本人は、青い髪のクラスメイトに笑いながら何かを話しかけていた。
エリックは、肩をワナワナと震わせていた。
小太りの生徒もまた、睨むような目をカイルとその友人に向けていた。
「ねぇ、エリナ、あの子すごくない? やっぱりよく見たらカッコいいかも……」
隣のサリアが目を輝かせていた。彼女も目を付けちゃった。どうしよう……。
——あたしは、胸の高鳴りを抑えきれなかった。
魔術の詠唱で五節は基本だ。構成は〈元素〉〈性質〉〈運動〉〈補助〉〈収束〉。それが“意味”となって魔術を形作る。
詠唱を省けば不安定になり、暴発の危険もある。だが、五節は魔力操作が出来ている者にとっては比較的安全に使える“術式”だ。これをどこまで削ぎ落とせるか。これが一流の魔術師かどうかの差だ。
それを全く発することなくやってのけた。そんなことが理論上不可能なのはあたしもよくわかっていた。例えるなら、魔力は燃料。詠唱は火種。火がなければ薪は燃えない。だから、詠唱がなければ魔術は行使できない。——それが長年の魔術学の研究者の結論だった。
だけど、目の前でそれが起こった。
カイルの魔術を見た教師は大きく目を見開いた。だが冷静に「報告してくる」と言い残し、後の授業を副担任の教師に任せてこの場を去った。
あたしは——、胸がドキドキする。
こんなに胸が高鳴るのは、初めてだった。
これは恋? 憧れ? わからないけど、ただひとつ確かに思った。
——もっと近くで、彼を見たい。
「エリナ? エリナってば! 顔真っ赤だよ」
サリアに話しかけられてもあたしは振り向きもせずずっとカイルを見ていた。
授業が終わるまで、他の生徒の魔術なんて全く目に入らなかった。
もう、カイルのことしか考えられなかったのだ。
——彼のことをもっとよく知りたい!
——中身を知りたい!
早く行かなきゃ、彼の元に。サリアより早く。
授業が終わり、カイルは両手を頭に乗せて歩き出していた。
あたしは、思わずその前に立ちはだかった。
「カイル君……! あたし、あたしね、もうあなたのことしか考えられないの!」
カイルは呆然とこちらを見ていた。だが彼の頬は紅潮していた。
これは、いける! きっとOKしてくれる!
「あたし、お願いがあるの——!」
ゴクリと唾を飲む。喉がカラカラだ。
でも、今言うしかない!
「中を開かせて欲しいの!」
「……は?」
彼は呆気に取られたように短く聞き返した。
「ご、ごめん! 分かりにくかったよね。ごほん」
あたしは落ち着くように息を吸う。
言うんだ。今こそ。自分の気持ちを正直に。
「そ、そう! 解剖させて! 人体実験いいよねぇ? ねぇ、いいよねぇ!」
彼は下を向いて両手の拳をギュッと握り締めている。心なしか肩も震えていた。
——照れてるのかな?
やがて彼は顔を上げてあたしの顔をはっきりと見た。目線が絡み合った。あれ? この人ってこんなに目つき悪かったっけ?
「い、いいわけねぇだろぉがーーーー!!」
その後に「俺のトキメキを返せ」と彼が小さく呟いたのが聞こえた。
——照れてるのかな?




