表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/91

第80話 揺るがぬ灯

 宴の喧騒を背に、ゼフィルはひっそりと裏手へと歩いていた。

 白衣の裾が風に揺れ、夕暮れの静寂がその背を押す。


 「……どこに行くの?」


 声がして、彼は振り返る。


 そこにはハルカがいた。

 スフレが足元にちょこんと座っている。


 「少し……王の監察官としての任務があるんです」

 ゼフィルは静かに微笑む。


 「この里を離れなければならないのは残念ですが……仕方ないですね」


 「……怪我、してるんだね」


 ハルカの視線が、彼の袖口へと向く。

 左腕の白布が、うっすらと赤く染まっていた。


「……気づかれてしまいましたね」


 彼は肩をすくめ、小さく息をついた。


「残党を……追っていました。

 でも、そのとき僕もやられて……しばらく動けませんでした。

 動けるようになってから、誰かがまだ潜んでいないか確認して……。

 彷徨っているうちに、たまたま倒れていたフィリオ様を見つけたんです。

 おそらく……彼の魔力か何かが、僕を引き寄せたのかもしれません」


「そのときは……まだ呼吸も浅く、僕も満足に動ける状態じゃなくて。

 でも……彼が生きていて、本当に良かった」


 ハルカは、息を呑む。


「……あなた、そんな状態で……」


「平気です。僕は、無理をするのが得意なので」


 ふっと、ゼフィルが苦笑する。


 ハルカは、そっと彼の手を取った。


「本当に、ありがとう」


「……それは、こちらの台詞ですよ。

 僕を人として見てくれたあなたに、出会えてよかった」


 その目が、穏やかに細められる。


 ゼフィルは一歩、静かに距離を詰めると、ハルカの手をそっと取り――

 そのまま、じっと見つめてきた。


 睫毛の影から覗く、深紅の瞳。

 それは、何も語らないのに、すべてを見透かしてくるようで。

 それでいて、どこか遠くにいるような、そんな光だった。


「――また、会いましょうね。……僕の女神様フェルアーナ


 そう囁くように言ってから、

 ゼフィルはハルカの手の甲に、そっと唇を落とした。


 触れたのはほんの一瞬。けれど、鼓動がひときわ高鳴る。


 唇が離れたあとも、その場所には温もりが残っていた。


 白衣がふわりと風に揺れ、ゼフィルの姿が静かに遠ざかっていく。


 その背に、ハルカはそっと――何も言えず、ただ見つめていた。


 * * * * * *


  ――そのやりとりを、偶然目にしてしまったのは、レオニスだった。


 木陰から少し離れた位置。

 仮面はしていなかったが、その表情は、夕陽に沈んで読み取れなかった。


 ただ――

 手の甲に口づけるゼフィルの姿を見た瞬間、レオニスのまなざしに、かすかな色が灯った。


 言葉にはならないその感情を、彼は一人、静かに胸の奥へと沈めた。




 夜が更ける。

 宴の灯りが揺れ、焚き火のまわりで人々が眠りに落ち始める。


それぞれが、今日という一日を、胸に刻んで。


 * * * * * *


 宴の夜が過ぎ、まだ薄暗い時間帯。

 焚き火の煙の匂いが残る空気の中、ハルカは一人、仮設の掘っ立て小屋へと足を向けていた。


 フィリオの一件、そして王妃軍の襲撃。結界の崩壊、そして復興の混乱——。ここ三日ほどは、まともに寝ていなかった。


 回帰のダメージもあって、本当はゆっくり眠りたい。

 でも、もう魔力酔いを理由にレオニスの部屋を借りることもできない。

 今はあの部屋も緊急待機用に使われているし、結界も壊れてしまった。


(……行く理由、ないよね。もう、迷惑かもしれない)


 そもそも、体も軽く拭いただけで、ろくに綺麗でもない。


(こんな姿じゃ、行けないよ)


 そう思いながら足を進めていたとき——


 「おい、どこ行くんだ」


 背後から声が飛んできた。


 ぎくりとして振り返ると、そこにはレオニスの姿。


 「……もう寝ようかと思って」


 「君の部屋はこっちだろ?」


 その言葉には、どこか不機嫌さが混ざっていた。目を細めたレオニスは、歩き出そうとするハルカの腕を取る。


 「いや、でも、わたし……汚いかもだし……」


 「関係ない」


 有無を言わせず、手を引かれてレオニスの部屋に連れていかれる。


 中に入ると、いつもと変わらない静けさ。


 「浴室、使っていい。俺もさっき使ったし、湯はまだ温いと思う」


 「……ありがとう」


 ハルカは、そっと礼を言い、そそくさと部屋の奥の湯室へと向かった。


 * * * * * *


 湯から上がり、髪を拭いていたハルカに、レオニスの声がかけられた。


 「……さっき、君の脇腹、赤くなってた」


 「――っ!?」


 一瞬で、ハルカの手が止まる。


 耳まで真っ赤になって、タオルを握りしめたまま、涙目で振り返った。


 「み、見てたの……!? ちょっ、やだ、やだやだやだ、うそ、最悪……!」


 パニックになりかけた声が漏れる。顔はみるみる真っ赤になり、ハルカは胸元を両手で押さえながら後ずさった。


 「……ごめん。ちょっと、見えた」


 レオニスが、悪戯っぽく口元を緩めて言う。


 「ちょっとって……どのくらいちょっと!? ねえ、それ本当にちょっとなの!?」


 動揺のまま詰め寄るハルカに、レオニスは笑いをこらえながら手のひらをひらひらと振った。


 「冗談。さっき、頭拭いてる時に服の隙間から、チラッと赤くなってるのが見えただけ」


 「……っもうっ!! ほんと、やだ……!」


 ハルカは顔を覆ってしゃがみこむ。耳まで真っ赤だった。


 「でもっ、……鎖帷子、着てたから……たいしたこと、ないよ……」


 震える声でそう絞り出すと、ようやくレオニスの表情から冗談っ気が消えた。


 真剣なまなざしが、ハルカに向けられる。


 「……それでも、痛かっただろ」


 低く、掠れた声で呟かれるその一言に、胸が締めつけられる。


 ごくりと息を飲んだ瞬間、レオニスの腕がそっとハルカの体を引き寄せた。


 ハルカの頬が熱を帯びる。けれど、それ以上に胸がきゅっと締めつけられる。


 (あのとき……ほんとうは、怖かった…)


 レオニスの腕に、わずかに震えが混じっていた。


 「……俺のために、無茶はしないでくれ」


 ぽつりと落とされた言葉は、強さではなく、脆さの混ざった声音だった。


 「君が傷つくのを見るのは……もう、嫌だ」


 その一言に、ハルカの瞳が揺れる。


 (この人も、ずっと……)


 そして、彼の手が仮面の縁に触れ、ゆっくりと外した。


 素顔になったレオニスが、ようやく仮面から解放されたように、ぽつりとつぶやく。


 「君の前だと、なんか……気が抜けるんだよな」


 珍しく、弱音のような、照れ隠しのような声音だった。


 「……ハルカ」


 名前を呼ばれた瞬間、ハルカはそっと顔を上げた。


 「……こうしてていい?」


 そう言って、レオニスは彼女の肩に、そっと顔を預けてくる。


 「戦いの間、みんなの前では平気なふりをしてた。俺が動揺したら、誰かが折れてしまいそうだったから」


 「でも……本当は俺も怖かった。皆を導くのが、重くて……間違えたら、誰かが死ぬかもしれないって……」


 その震える声に、ハルカはそっと彼の背に手を添えた。


 「レオニス……」


 (この人も、ずっと、張りつめていたんだ)


 肩に預けられたぬくもりは、言葉以上に彼の心の揺らぎを伝えていた。


 そして、ハルカはただその重みを受け止める。


 傷ついた彼の心が、少しでも癒えるようにと。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ