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第77話 終焉の淵に

 王妃軍の残兵が結界を突破したという知らせが届いたのは、正午を少し前にした頃だった。


 その一報に、革命軍の陣営に緊張が走る。だがハルカは、焦りよりも静かな決意に包まれていた。


 (次は……斥候と潜入兵。彼らが里の裏手の小道から侵入してくる)


 その未来を知っているハルカは、控えめな声で進言する。

 「この辺り……地形的に手薄かもしれません。罠を多めに仕掛けておいた方がいいかと」


 カイネルは一瞬だけ彼女を見たあと、すぐに頷いた。

 「了解だ。罠部隊、配置を変更しろ。彼女の指示に従え」


 罠班が素早く動き、裏道の各所に仕掛けが追加されていく。

 そして、時を置かずして、里の外縁から騒ぎが聞こえ始めた。


 ——敵襲。


 裏道から侵入した斥候部隊は、予め仕掛けられた爆音と落とし穴、煙幕により瞬く間に混乱。


 革命軍の若き兵たちが奮戦し、スムーズに撃退へと導く。

 これにより、ヴィスと仮面の梟たちは本来苦戦するはずだった敵に背後を取られることもなく、盤石な陣を維持できた。


 だが、その勝利の余韻に浸る間もなく、次の絶望が迫っていた。


 * * * * * *


 「うそ……戻って来た……?」


 血にまみれたサイラスがふらつきながら現れた。


 「フィリオが……裏切ったんだ。あいつ、王妃と通じてた。……俺は……信じてたのに……!」

 膝から崩れ落ちるサイラス。


 「援軍は……来ない。辺境伯は動かなかった。もう……終わりだ……」

 その言葉が、周囲に広がっていく。


 カイネルが動揺する兵たちに命を飛ばすが、士気は確実に低下していた。


 エレナは唇を噛みしめた。


 「くそ、やっぱりあいつは、信用なんてできるわけなかった……!」


 * * * * * *


 その時だった。


 空気を震わせるような羽音。霧の中から、無数の黒い影が舞い上がる。


 「っ……毒蛾!? 逃げろ、吸い込むな!」


 かつて見た“地獄”が再現されようとしていた——だが。


 「……ん?」


 毒蛾が、近づいてこない。


 ハルカの胸に、確信が灯った。

 (……効いてる。この匂い、やっぱり毒蛾に効いてるんだ!)


「なるほどね、これが“くっさい液体”の効果ってわけ」

 エレナが鼻をひくつかせながら、納得したように呟く。


「急に『これ塗れ!』なんて言われたときは、正気かと思ったけど……こういうことだったのね」


 カイネルも目を細めてハルカを見た。

 「よく気づいたな」


 毒蛾が利かないと判断したマティアスは、一度指を鳴らすように合図を出す。


 次の瞬間、毒蛾の群れは霧の中へと退いていく。


 「全軍、突入の準備を」


 マティアスの美しい微笑が、血の気を失わせるような冷たさを帯びる。

 「舞台は整いました。これより——美しき終焉の幕を上げましょう」


 * * * * * *


 毒蛾の脅威は退けた。


 だが、それはマティアスという本物の悪夢が動き出したことを意味していた。


 次なる試練が、もう目の前に迫っていた。


 * * * * * *



 「……来たぞ!! 全軍、突撃だ!!」

 耳を劈く咆哮とともに、王妃軍本軍と重装部隊、合わせて二百名が一斉に突撃を開始した。


 「結界、突破されました!!」

 悲鳴にも似た報告が、革命軍本陣を震わせる。


 「──前衛、第三列に! 盾を構え、崩すな! ヴィス、右側の補強を!」

 カイネルが即座に指示を飛ばし、ヴィスが魔導障壁の補修に走る。


 「仮面の梟、行け。……最前線へ」

 仮面の梟が軽く頷き、仮面を直すと、ひとり先頭に踊り出た。


 後方では、ハルカが弓矢と救護袋を抱え、支援準備に走る。

(あの地獄は、もう繰り返さない……絶対に)


 胸の奥に灯った決意が、静かに熱を帯びていく。


 * * * * * *


 「ふふ……毒蛾を防ぐとは。浅ましくも、美しき抵抗」

 王妃軍の背後。マティアスが仄暗い森の中から姿を現すと、優雅な所作で漆黒の剣を抜いた。


 「では、次は……剣で踊りましょう」


 足音ひとつ立てず、彼は舞うように戦場へ降り立った。


「美の支配に抗う者たち。さあ、薔薇の棘を刻んで差し上げましょう」


 * * * * * *


 「ハアッ!」


 「……速いな」


 仮面の梟の剣が風を裂き、マティアスと鋭く交錯する。


 一閃一閃が、美しさと殺意を兼ね備えた舞踏のよう。

 「貴方の瞳、まだ足りない。美を知るには……哀しみが要るのよ」


 マティアスの刃が仮面の梟の肩を掠める。


 しかし仮面の梟は怯まず、淡々と剣筋を読み、わずかに反撃の糸口を掴みつつあった。


 だが――その時。


 * * * * * *


 霧の陰に、一つの影。


 ビル=カランデルが音もなく現れ、クロスボウの照準を仮面の梟に定める。


「革命軍リーダー、仮面の梟。排除対象A……死してなお、素材として利用できる」

 引き絞られた弦が震える。


 「やめてっ!!」


 本能のままに、ハルカが駆け出していた。


 放たれた鋭い矢が、ハルカの脇腹をかすめる。


 「きゃっ――」


 鈍い音とともに、彼女は地に倒れ込む。


 「きゅいんっ!!」


 スフレが吠えながら駆け寄り、ハルカの頬をぺろぺろと舐める。


 「……ハルカちゃん!!」


 駆け寄ったオバサンヌ=デシマルが、ハルカを抱き起こした。


 「あんた! しっかりしなさい、あんたぁ!」


 * * * * * *


 その瞬間、仮面の梟の気配が変わった。


 「……貴様……彼女に、手を出したな」

 仮面の奥、赤い炎のような瞳がビルを射抜く。


 マティアスは一歩退き、口元に微笑を浮かべる。

 「激情。……悪くない。では、続きを拝見しましょうか」


 仮面の梟の剣が抜かれた。


 怒りでも憎しみでもない。ただ、静かな覚悟。


「彼女を……二度と傷つけさせはしないッ!!」


 鋭い突撃。


 ビルは魔術で回避し、冷静に矢を放ち続けるが――


 「……甘い!!」


 刹那、仮面の梟の剣がビルの胸を貫いた。


 「っ……!」


 ビル=カランデル、討ち取られる。


 血が、戦場に落ちた。


 * * * * * *

 

 その頃。

 ハルカの介抱に駆けつけたオバサンヌが、彼女の服の裂け目から覗いた内側を覗き込み、手でそっと触れる。

 

 「……これ、鉄……? あんた、下に鎖帷子くさりかたびら仕込んでたんか!」

 「……ほんま、命拾いしたで!」


 「でも、油断したらあかんよ……!」


 戦場の片隅で、命を守る声が重なる。


 * * * * * *


 前線の剣戟の合間に、エレナがちらりと視線を向けた。

 「……あんた、何やってんのよバカッ!!」


 怒鳴るように叫びながら、剣を振り抜く。


 持ち場を離れれば防衛線が崩れる。だから、ただ願う。


 「ああもう……しぶとく生きてなさいよ……!」


 一方、物資庫の前では、非戦闘員の老人と若い女性が矢弾や薬品の補給作業に追われていた。


「急げ、前線に送る矢束はあと二つ分しかない!」


「こっちの回復薬も詰め終わりました! 次は包帯です!」


 戦えなくとも、動ける者たちは懸命に仲間を支えていた。


 戦場は、どこもぎりぎりだった。


「……スフレ、ごめんね……まだ……動ける……」


 震える手で体を起こそうとするハルカの背に、オバサンヌの手が添えられる。


「ええから、あんたは生きなさい。今はそれだけでええ」


 

 * * * * * *


 だが、戦場は依然として劣勢のままだった。


 マティアスが再び剣を構える。


 「では……貴方方の“希望”が、どれほど美しい絶望に変わるか、見届けてあげましょう」


 次の瞬間、火柱が上がった。


 「……っ!? 里に、火の手が!!」


 砕ける結界。次々と突破される防衛線。


「弾がもうない!」「壁が破られた!」


 ヴィスの防衛陣も破られ、カイネルが血を流しながら必死に陣形を立て直す。


 誰もが限界だった。


 「ここまで、か……!」


 絶望が、戦場を包む。


 しかし――その中に、ひときわ高く響く声があった。


 「……俺たちは、まだ――終わっていないッ!!」


 仮面の梟が、血に染まった剣を高く掲げる。


 その背には、傷つきながらも立ち上がる仲間たちの姿があった。


 

 * * * * * *


 



 そして――


 その時だった。


 どこか、遠くから。


 ズゥン……ズゥン……と地を揺らすような重低音。


 「地鳴り……?」


 「いや、違う。これは……蹄音……!?」


 夜明けの霞の中、霧がわずかに晴れる。


 見えたのは、幾つもの影――


 「敵……か?」


 「……いや、違う。あれは――」


 空気が変わる。


 希望の、音がした。

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