第67話 光の裏側
膝が、がくりと崩れた。
張り詰めていた全身の力が抜けて、私はその場に倒れこみそうになる。
「っ、う……あ……」
胸の奥が焼けるように熱い。頭の芯がぐらりと揺れて、呼吸がうまくできない。
世界が、軋んだ音を立てて歪む。
(……っ……戻った?)
かろうじて視界を開いたその先に、ひとりの人影があった。
肩を支える腕に、驚いて顔を向ける。
そこにいたのは、レオニスだった。
「無理しすぎだって、言っただろ」
低くて、でもどこか刺さるような優しさのある声。
その顔を見た瞬間、胸の奥に溜まっていたものが堰を切ったように溢れ出す。
(レオニス……生きてる……よかった……)
涙が止まらなかった。
「おいおい……どうした? 熱、あるんじゃないのか?」
レオニスは慌てたように私の額に手を当て、次いで背中をさすった。
「顔、真っ青じゃないか……何があった? 何が、そんなに……」
彼の声が、震えている気がした。
私は答えられず、ただ泣くしかなかった。
* * * * * *
その晩、私は何も言わず、ゼフィルの寝所の前に立っていた。
「……今夜は、ここにいます」
レオニスが驚いた顔をした。
「お前、何言って——」
「……お願い。目を離したくないの。あの人が、また……何かするかもしれない」
必死で言葉を重ねる私に、レオニスはしばし黙っていた。
そして、ため息混じりに言った。
「……そうか。なら、こっちだ」
そう言って、レオニスは私の肩を抱えて引き寄せた。
「なっ……!?」
驚く間もなく、身体が浮かぶ。レオニスが、私を抱き上げていた。
「ちょ、ちょっとレオニス!? なにして——」
「寝る。君は、俺の部屋で。俺がちゃんと見張ってる」
「……な、なにそれ……!」
顔が熱くなる。暴れる余裕すらなくて、私はそのままレオニスの腕の中で小さくなった。
「今夜は、離さない。だから……安心して、休め」
* * * * * *
翌朝、空がわずかに白みはじめたころ。
私はレオニスの寝息を確認し、そっと部屋を抜け出した。
向かう先は、ゼフィルの部屋。
(まだ、寝ていて……)
襖をそっと開け、中を覗く。
寝台には、ゼフィルが静かに横たわっていた。
眠っている。穏やかな寝顔だった。
そのときだった。
部屋の隅に、人影があった。
(誰——!?)
心臓が跳ね上がる。息を殺して足音を止める。
音もなく影が動く。
その手が、ゼフィルの方へと差し出される。
掌を上に向け、ゆっくりと前へ押し出すような動き。
(まさか……何か、術を……!?)
咄嗟に身構えそうになる。
こちらに気づいたように、ゆっくりと顔を向け——
「ん? あんた、早いなあ。……んもぉ、そんな顔してどないしたん」
おばちゃん、だった。
「天使様を、毎朝拝んどるだけやで? 今日もよう眠っとるな〜思てな」
膝から崩れそうになるのをこらえる。
(……いや、こっちは本気で心臓止まるかと思ったんだけど!?)
* * * * * *
寝台の上で、ゼフィルのまぶたがぴくりと動いた。
(……起きた?)
ゆっくりと、彼が目を開ける。
赤い瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。
「……う……ハルカ……様?」
かすれた声だった。
2度目の昏睡状態から戻ったばかりの、途切れがちな声。
「ゼフィル……! 気分はどう?」
彼は数秒遅れて、ゆっくりと瞬きをした。
「……寒い、ような……でも、貴方が……いて、良かった」
その声に、ふと胸が締めつけられる。
その瞳に浮かぶものが何なのか、読み取れない。
穏やかな寝起きとも違う、無機質な静けさ。
ゼフィルは、わずかに首を傾げた。
そして——微笑んだ。
思わず背筋がぞくりとする。
この朝——、彼は目覚めていたんだ……。
* * * * * *
朝七時。食堂に集められた革命軍の面々。
伝令が駆け込んできた。
「報告! 今日未明、辺境伯一派の拠点が襲撃されました! 生存者は数名のみ!」
食堂に、ざわめきが走る。
私は息を呑んだ。
(また……同じことが……)
ゼフィルの方に目をやる。
……彼は、寝台に静かに横たわったまま、まどろむように目を閉じていた。
私はその場を離れなかった。
ゼフィルの隣に、そっと腰を下ろす。
(わたしは……彼をずっと見てた。今朝はずっと……)
彼は一度、目を覚ました。
でも、それだけだった。動こうともしなかった。
できなかった。
私はそれを、この目で見ていた。
——なのに。
レオニスの姿が、見当たらない。
胸騒ぎが、喉元を絞めつけた。
私は駆け出していた。
森の奥へ。
——そして、見つけてしまった。
血に染まり、冷たく横たわるレオニスを。
「やだ……やだよ……っ」
その手を握ったとき、また胸が熱を帯びていく。
でも、今回は違った。
(ゼフィルじゃ、なかった……)
疑念の霧が晴れていく。
それと同時に、胸に静かな確信が灯る。
(ゼフィルは……違う)
ずっと心の中で引っかかっていた。
ゲームでは、彼は裏切り者だった。王妃の影として、主人公を欺いていた結末も、確かに見た。
けれど——
今ここにいるゼフィルは、違う。
あの優しい笑顔も、私が壊れた時に寄り添ってくれた姿も、全部、偽りなんかじゃなかった。
スパイなんかじゃない。
王妃の駒なんかじゃない。
この世界のどこまでも澄んだ光のなかに、確かに彼自身として存在している。
(よかった……本当によかった……)
(でも、また……レオニスを守れなかった)
矛盾する二つの感情が、胸の奥で激しく交錯する。
そして——
胸の奥が、焼けつくように熱を帯びた。
(また、くる……!)
喉の奥が詰まり、息ができない。
視界がぐにゃりと歪み、心臓がきしむように軋む。
「っ……あ、ぐ……っ……!」
崩れ落ちる膝。指先の感覚が遠のく。
意識の底が引きずり込まれるように沈んでいく。
薄れゆく世界の中、レオニスの名を心の中で叫ぶ。
「……お願い……今度こそ……!」
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「無理しすぎだって、言っただろ」
聞き慣れた声が、頭の奥に響いた。
——戻った。
目を開けると、そこにはレオニスの顔があった。肩を抱かれ、支えられている。前回と同じように——いや、前回とは違う。
私はすぐに泣き出さなかった。代わりに、少し目を伏せて微笑んでみせる。
「……大丈夫。ちょっと、立ちくらみがしただけ」
平気なふりをした。でも、心臓はまだ痛かった。
共鳴の余波が残っている。
だが泣くわけにはいかない。もう二度と、レオニスの死を繰り返さないために。
* * * * * *
ベッドに座ったまま、呼吸を整える。
(前回と同じポイントに戻った……)
あの朝、ゼフィルは寝台にいた。彼ではない。じゃあ、誰が——?
あれだけの殺意と精度で仕掛けてきた者。森の奥で、レオニスを待ち伏せしていた者。
私は、レオニスに尋ねた。
「……ねぇ、レオニス。今日、どこか行く予定とか、あったりする?」
彼は不思議そうに眉をひそめた。
「なんで?」
「ううん、なんとなく」
予定を把握しなければ。前回、彼は森の奥にいた。なぜかはわからない。
だとしたら、その行動の理由を突き止めなければ。




