第64話 不穏な報せ
スフレを伴って、レオニスの部屋に寝泊まりすることになった初日。
とはいえ、最初からすんなりとはいかなかった。
「こ、この部屋で寝泊まりって……まさか、同じ空間で?」
自分でも何をいまさらと思いつつ、ハルカはレオニスを見上げた。
「部屋は一つしかないし、他に空きもない。君の身体のためにも、寒さは避けた方がいい」
レオニスは穏やかに言いながら、部屋の奥にあるソファに視線をやった。
「俺はそっちで寝る。……これでも、寝相はいい方だから」
「それに俺の部屋のお風呂やトイレも遠慮なく使ってくれて構わない」
そう言われても、じゃ、遠慮なく。なんて言えるわけがない。
「いや、でもやっぱり、同室でお風呂とかトイレとか借りるのは気が引けるし……」
ハルカがもじもじと視線を泳がせながら断ろうとしたその時——
すぐ横の扉がガラリと開いた。
「話は聞かせてもろたでぇ!!」
勢いよく飛び出してきたのは、あの“おばちゃん”こと、オバサンヌ=デシマルだった。
「え、えっ、いつから……?!」
「台所は耳がよう通るねん。あんたらの声、ぜーんぶ聞こえてたわ」
にやにやしながら、おばちゃんは頬をゆるめる。
「そんなん気にせんとき! おばちゃんも、我慢できんときは梟はんのトイレ借りてるで?」
何の遠慮もないその発言に、レオニスが額を押さえてぽつりと漏らす。
「あらゆる遠慮を吹っ飛ばしてくるな……」
レオニスが額を押さえながら、気だるげに笑う。
おばちゃんの乱入によって、もはや「遠慮して断る」選択肢は空の彼方へ吹き飛ばされた。
そしてその夜。
ハルカは、部屋の隅にある寝台に、スフレを抱いて横になることにした。
——その“決定”に至るまでには、当然ながらひと悶着があった。
「君が寝てくれ。体調もまだ万全じゃないし、俺はソファで休むよ」
「え、でも、それはさすがに……。だって、あなたの部屋だし——」
譲り合い、断り合い、一瞬「じゃあ一緒に…」という空気が流れかけたところで、
ハルカの脳裏に、かつての既視感が蘇る。
(……そういえば、ノアのときも——)
最初は、あの夜だけのはずだった。
彼が命を絶たないよう、「朝までいてください」と頼んだ、あの一晩。
その後も、王妃の刺客に狙われて——五日間ほど、同じ部屋で寝起きを共にした。
もっとも、あれはどちらも命の危機が差し迫る、緊迫した状況だった。
気を抜けば死ぬかもしれない空気の中で、“ドキドキの同室”なんて意識したことは一度もなかった……はず。
(……なのに、なんで今また、こんな流れに……?)
恋愛ゲームのヒロインみたいな体験が重なるたび、頭を抱えたくなる。
「同室イベント、そんな頻発する!?」と、誰かにツッコミを入れたくなった。
そんな“お約束”の展開に、とうとうハルカは妥協することにした。
「……じゃあ私はこっちで。あなたは、ソファで……」
念押しするように言いながら、そっと寝台の隅に身体を滑り込ませた。
スフレが小さく「きゅう……」と鳴き、ハルカの腕の中に丸まる。
しばらくして、トイレに立ったレオニスが戻って来た——までは覚えている。
次に気づいたとき、温かな気配がすぐそばにあった。
月明りが薄く差し込む部屋の中。
布団の間にすっぽりと収まったスフレ、その向こう側には……レオニス!?
「な、なんで同じベッドに!? え、ちょっと、えっ!?」
声を出すのもためらわれ、ハルカは心臓が跳ねる音を聞きながら、そっと目を凝らした。
どうやら彼は寝ぼけているらしく、スフレを「ぬいぐるみ」とでも思ったのか、優しく抱きしめていた。
寝ていたスフレは、レオニスに軽く抱き寄せられて、「ぷぎゅ♡」と可愛らしい鳴き声を上げている。
(な、何この破壊力……)
寝返りのたびにホワイトブロンドの生え際が月明りに照らされ、やわらかく揺れる。
——まるで、あの“月夜のスチル”みたい。
それどころか、ドキドキしすぎて一睡もできなかった。
翌朝、顔を覗き込んできたレオニスが首を傾げる。
「……大丈夫? 顔色が悪い。もしかして、熱が上がってきたのでは?」
「っ、ち、違うから! ちがっ、な、なんでもないから!」
その後、おばちゃんが現れて一言。
「まぁ〜!若いってええわあ〜!あ、朝ごはんはちゃんと食べなアカンで〜!」
全てを見透かしているような笑顔で、部屋を後にした。
ハルカはというと、顔を真っ赤にしてスフレをぎゅっと抱きしめたのだった。
* * * * * *
レオニスの部屋で、ハルカの新生活がはじまった。
王都の仮宿舎では、仮にもひとり部屋で、水洗式のトイレに個室浴室。ごく簡素ながらも清潔な環境だった。
それが今や、冷え切った山間の隠れ里。湿気を吸って軋む板の間、鍵のない仮設小屋暮らしからの大幅ランクアップではあるけれど、
それでも同室にレオニスがいるというだけで、緊張感は桁違いだった。
レオニスの部屋に移って数日、ハルカの体調は少しずつ回復。
夜もある程度眠れるようになり、頭痛や吐き気は軽減。ただし、まだふらつきや倦怠感は残る。
体調がようやく落ち着き、ハルカは久しぶりに外の空気を吸った。
足取りはまだ本調子ではなかったが、気がかりな存在があった。
(ゼフィル……)
傷を負って運び込まれた彼の容体を、ずっと気にかけていた。
おばちゃんの助けも借りて、療養室の扉をそっと開ける。
薄明かりの中、静かに横たわるゼフィルが、わずかに身じろぎした。
目元にかかった長い睫毛が揺れ、やがてゆっくりと瞼が持ち上がる。
「ゼフィル……」
ハルカが名前を呼ぶと、ゼフィルの口元にほんのかすかな笑みが浮かんだ。
「……ハルカ様」
声はかすれていたが、確かな意識がそこにあった。
無理をさせてはいけないと、ハルカは言葉を選びながら、短く体調を気遣う。
傍らにいたフィリオが、静かに説明した。
「少しずつですが、確実に回復に向かっています。安静にしていれば……問題ないでしょう」
変わらぬ、落ち着いた口調。
けれど、ほんの一瞬だけ、ハルカは言葉の“間”に、わずかな違和感を覚えた。
(……気のせい、かな)
すぐに思考を切り替え、ハルカは小さくうなずいた。
安堵の吐息を漏らしながら、ハルカは療養室を後にした。
* * * * * *
ゼフィルの部屋を出て、歩を進めていたそのときだった。
山道の見張り台から、急ぎの伝令が駆け込んでくる。
「緊急報告! 周辺の村で、奇妙な失踪が相次いでいるとのことです!」
報告を受けたレオニスとカイネルが、すぐに対応に動く。
焚き火の熱がまだ残る集会所の一角で、レオニスは伝令の男からの報告を最後まで聞き終えた。
「……支援者が、一夜にして村ごと消えた?」
低く落とされた声に、フィリオが頷く。
「痕跡はありました。だが明確な証拠はすでに消されていた。襲撃に気づかれぬように仕組まれた、計画的な手口です」
重苦しい沈黙のなか、レオニスが視線を走らせる。「ここにも同じような者が潜んでいる可能性は?」
問いに、カイネルは即答を避けながらも頷いた。「否定はできない。ゼフィルが襲撃された一件も、単なる偶然とは思えない」
幹部たちによる会議が招集され、隠れ里の警戒レベルは引き上げられることとなった。
* * * * * *
「……これで、三件目だ」
地図の上に印をつけながら、カイネルが表情を曇らせた。
報告書にはまた一つ、協力者の失踪が記されている。
王妃派に内通した村落の近隣で起きた、不可解な連続事件。
しかも、いずれも革命軍側の支援者ばかりが狙われている。
「こうも重なれば偶然とは言えない」
レオニスの声が低く落ちる。
「ゼフィル殿の襲撃については、一件目の直後に聞き取りましたが——」
フィリオが口を開く。
「犯人の顔は確認できなかったとのこと。ただ、魔力の質が通常とは異なり、異様に研ぎ澄まされていたと」
「王妃一派の中でも、暗殺任務に長けた影の一派だな」
カイネルが即座に断じる。
「私たち辺境伯一派が隠れ里に合流して間もなく、ゼフィル殿は襲撃されています」
フィリオが静かに告げた。
その時期は、ハルカが里に来てから三週間ほどが経ち、辺境伯一派やフィリオたちがようやく合流した直後。
つまり、ハルカの滞在と襲撃のタイミングは一致せず、少なくともこの事件に関しては無関係と判断されていた。
「それは……偶然か?」
カイネルの視線が鋭く、フィリオに向けられる。
「……その疑念は、理解します。ですが、私自身、皆さんの前で動いています」
フィリオは静かに答えた。
「少なくとも、ここでは——敵である理由はありません」
レオニスが視線を外し、少し沈黙した後で口を開いた。
「……フィリオの手腕には助けられている。それは事実だ」
「だが信頼は、まだ預けきれん」
レオニスの隣で、カイネルが重々しく頷く。
「スパイの存在は否定できない」
「敵か味方かの判断は後回しだ。今は命を最優先しろ」
その一言で、場の空気が静かに引き締まった。
「ゼフィル殿が話せる状態になった今、改めて詳細を聞くべきでしょう」
フィリオが言い、カイネルも無言で頷く。
誰かが、こちらの動きを読んでいる。
その確信が、革命軍内部にじわじわと広がっていくのだった。




