第63話 見えない痛み、見えるやさしさ
——コンコンッ。
扉を叩く音が響いた。
「ちょっと! この部屋にハルカが泊まってるって聞いたんだけど!?」
レオニスは無言で立ち上がり、仮面を手に取る。
それを被った瞬間、空気が変わった。冷静で威厳を帯びた、革命軍の象徴――仮面の梟が現れる。
扉を開けると、そこには苛立ちを隠さないエレナの姿があった。
「おい、落ち着け」
その一言に、空気が静まる。
「彼女の体調が優れなかった。あの小屋に戻す判断は、合理的じゃないと判断しただけだ」
「……それでも、女を男の部屋に泊めるなんて、他の者の目が——」
「他の者の目など関係ない。これは、俺の判断だ」
その声音は冷静で、強く、揺るがない。
軽さを封じた口調には、仮面の梟としての威厳がにじんでいた。
(……この空気、気まずい……)
ベッドの上で身を縮めていたハルカが、おそるおそる口を開いた。
「あの、ごめんなさい。図々しくて……。昨日は倒れてしまったみたいで……もう、自分の部屋に戻ります」
そう言って、体を起こそうとした——その瞬間。
「……っ」
視界がふわりと揺れた。足元が定まらず、ぐらりと身体が傾ぐ。
「待て」
低く、制止の声が飛ぶ。
レオニスがすぐに傍へ寄り、肩を支えた。
「しばらくこの部屋にいた方がいい。正直なとこ、限界がきてる」
その声音は、仮面を外した彼の本音に近かった。
「安心しろ。ここにいることに、君の落ち度は一切ない」
その一言に、ハルカはほんの少しだけ息をついた。
「だったら、アタシの部屋に来なさいよ。個室なら、文句ないでしょ」
エレナが提案する。その目には、ハルカへの配慮というより、レオニスへの苛立ちが滲んでいた。
レオニスは即座に切り返す。
「無理だろ。お前の部屋、執務資料も作戦図も山積みだぞ? 休ませるどころか、気が休まらない」
「じゃあどうしろってのよ!」
エレナの声が一段と鋭くなったそのとき、扉の外から控えめにノック音が響いた。
「失礼します。少し声が……高まっていたようなので」
静かに扉が開かれ、フィリオが姿を現した。相変わらず整った身なりで、落ち着いた様子のまま一礼する。
「何の騒ぎかと思えば、これは……」
視線を部屋に一巡させ、仮面をつけた男と、立ち尽くすエレナ、そしてベッドの上のハルカを交互に見やる。
事情を察するのに、時間は要らなかった。
フィリオは仮面の男に向き直り、丁重に問いかける。
「梟殿。これは、その……レディーをこのままお部屋に?」
「そうだ。何か異論でも?」
仮面の奥から返る声は、低く冷静で、威圧感を帯びていた。
エレナがむっとしたまま口を開く。
「あるに決まってるでしょ。だから言ってるじゃない、アタシの部屋に来なさいって。個室だし、文句は出ないはずよ」
フィリオはその空気をあっさりと受け流し、やや間を置いて、静かに口を開いた。
「……なるほど。事情は、だいたい把握しました」
フィリオはハルカの容態にちらりと視線を送り、それから静かに口を開いた。
「まず、レディの体調が思わしくない理由についてですが……おそらく“魔力干渉”によるものだと思われます」
「魔力干渉?」
怪訝そうな声を上げるエレナに、彼は穏やかな声音を崩さず、続けた。
「この隠れ里には、“沈黙の帳”と呼ばれる結界が張られています。
外部からの探知を防ぐためのものですが……同時に、内部に満ちる魔力の流れを一定に保つ働きもある」
「それが何だっていうのよ」
「その力場は、もともとこの地に馴染みのある者を前提に設計されています。
突然放り込まれた異分子、特に魔力的な特性が未定の存在が長時間触れ続けると……反発が起きることがあるのです」
「つまり、彼女の体が、里に合ってなかったってこと?」
フィリオは静かに頷いた。
「正確には、馴染むまでに時間を要する体質だった、という方が近いでしょう。
最初は軽い倦怠感や睡眠の浅さとして出ますが、蓄積されると身体機能に影響を及ぼす。それが今回のような一時的な虚脱症状です」
「……そんなの、誰も気づかなかったの?」
「レディ自身が無理をしていたことも一因かと。ゼフィル殿の看病や環境の変化による緊張。十分な休息も取れていなかったようですから」
そこでフィリオは、ちらと仮面の梟——いや、レオニスへ視線を送った。
「仮面の梟殿の部屋には、魔力遮断結界が施されていますね。暗殺対策として、結界干渉を抑える設計。
結果的に、その空間がレディにとって最も安定した場所となっていたようです」
エレナが言葉を失い、レオニスが短く頷く。
「……この部屋で休ませたのは、結果論ではなく、正しい判断だったということです」
淡々としたその結論に、エレナもさすがに反論の余地をなくしたようだった。
言い返せず、エレナは唇を噛んだ。
それでも、どこか納得しきれない表情を浮かべていたが、ベッドの上で身を縮めるようにしているハルカの姿に、視線を落とす。
その肩がかすかに震えているのを見て、エレナは眉をひそめた。
「……ったく、勝手にしなさいよ」
ふいと顔をそらし、吐き捨てるようにそう言うと、踵を返して足早に部屋を出ていった。
そのまま足音も荒く去っていく。
……バタン。
扉が閉まった瞬間、レオニスは、大きく息を吐いた。
「はぁ〜……めんどくせぇな」
「お疲れさまです」
フィリオが笑みを浮かべながら肩をすくめる。
そのとき、廊下の向こうからバタバタと足音が響いた。
「ちょーっとぉ! あたしが聞いた話とちがうやないのォ!?」
威勢よく飛び込んできたのは、さっきまで療養室で布を煮ていたおばちゃんだった。
「なになに? お姫様抱っこ!? どんだけぇ!? しかも、同室!? ほんでまた寝顔がどうのこうのって!? ……もう、どこからどこまで話せばええんよ!」
「ちょ、待って、おばちゃん!? いつから聞いてたの!?」
ハルカが思わず声を上げると、おばちゃんはにんまりと笑って指を立てた。
「ん〜? ちょびっと前から♡」
(いや、完全に聞き耳立ててたやつじゃん……)
ハルカが脱力しながら頭を抱えると、レオニスとフィリオも思わず吹き出した。
おばちゃんの登場で、張り詰めていた空気がようやく和らいでいく。
「まったく……この空気を変えられるの、おばちゃんしかいないな」
仮面の梟がそう呟いた声は、どこか安心しているようだった。
* * * * * *
「……そっか。魔力干渉によるもの、だったんだ」
ハルカは静かに呟いた。
思い返せば、隠れ里に来てからずっと、体調がすっきりしない日が続いていた。
けれど——
「てっきり、ストレスとか……慣れない環境のせいかと思って、我慢してたんです。まさか、こんな理由だったなんて……」
そう言って、小さく息を吐くと、ハルカは改めて二人を見上げた。
「……ありがとうございます。助けていただいて」
仮面の奥に視線が重なると、男は一瞬だけ言葉を飲み込み、
その声を、ほんの少しだけ柔らかく滲ませて返した。
「礼には及ばない。君の無理に、気づけなかった俺の落ち度でもある」
続いて、フィリオも深く頷く。
「むしろ……これまで気づけず、申し訳ありません。無理をされておられたのですね」
どこか悔やむような表情を浮かべるフィリオだったが、ふと二人を交互に見比べると、柔らかく目を細めた。
「……おや。これは、エレナ殿が嫉妬するのも無理はありませんね」
「ちょ、ちょっとフィリオさん!? そういうの、やめてくださいってば!」
慌てて手を振るハルカに、仮面の下の男が小さく肩を揺らした。
* * * * * *
この日のやり取りは、その後——
おばちゃんの「ちょびっと前から♡」の聞き耳により、隠れ里中へと広まることとなる。
しかも話が伝わるたびに尾ひれがつき、気がつけば——
「仮面の梟とあの子は、同室じゃないと体調が悪くなる“運命の体質”」
という、謎の新設定が定着していた。




