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薔薇と鏡の王国《rewrite》—— “モブ”が書き換える、愛と死と回帰の物語。  作者: 舞見ぽこ
第4章 揺れる絆、灯された革命の火

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第53話 第二の襲撃

 「矢尻に刻まれていたのは、王妃の紋章で間違いない」


 クラウス=ラインバーグは、無造作に眼鏡を押し上げながら淡々と言った。王都特例調査庁の調査員。

 飄々とした物腰のくせに、その言葉には奇妙な重さがあった。


 「つまり、これは王妃一派による犯行と見ていいだろう」


 私の背筋が凍る。スフレが助けてくれなければ、私は……。


 ノアの表情が、ひどく険しくなっていた。


 「研究所内の魔導装置にも、外部からの微弱干渉の痕跡が検出された」

 クラウスは、何気ない調子で資料をめくりながら続ける。

 「けっこう入り組んだ術式だった。普通の侵入者じゃ、まず無理だね」


 ノアは黙ったまま拳を握り締めていた。


 この場所は安全だと思っていた。

 でも今、ノアの中に芽生えていた。

 ——狙われているのは、ハルカ。君だ。


 * * * * * *


 夜。簡素な部屋に、本来ひとつだけのベッドに加えて、もう一組の簡易ベッドが持ち込まれていた。


 「……なぜ、私の部屋にノアがいるのか。もう一度、説明してくれない?」


 私が言うと、ノアは少しだけ目を伏せてから答えた。


 「君の護衛だよ。正確には“観察対象の安全確保”。それとも、同じ部屋が嫌だった?」


 「嫌とかじゃないけど……」


 ベッドと簡易ベッドは、近すぎず遠すぎず、視線を交わせば届く距離。

 どちらがベッドを使うかで、しばし譲り合いがあった末、私が簡易ベッドを使うことで収まった。


 それでも——寝返り一つで、シーツの擦れる音がやけに耳に残る。


 「……隣、気になるなら、やっぱり別室に」


 「大丈夫。……ノアがそばにいてくれるなら、安心だから」


 小さな声でそう答えると、ノアはほんのわずかに眉を下げた。


 ベッドと簡易ベッドの距離は、手を伸ばせば触れ合いそうなほど。

 室内の明かりが落とされると、静寂が深くなる。


 しん、とした空気の中。寝返りを打つたびに、シーツの擦れる音がやけに大きく聞こえた。


 ふと、視線を感じてそっと顔を向ける。


 闇に溶け込むようにして、ノアもこちらを見ていた。


 「……眠れないの?」


 「……君こそ」


 そう答えて、ふっと苦笑が漏れた。


 言葉は交わさなくても、気配が伝わる。呼吸の音、静かにまばたく音すら感じられる距離。

 そのままどちらからともなく、互いに目を閉じる。けれど、眠気はなかなか訪れなかった。


 この一夜が、永遠に続けばいいのに——そんな考えが、不意に心をかすめた。



 * * * * * *


 しんと静まり返った夜。

 灯りも落ちた室内に、ノアの低く囁く声が落ちる。


 「……もし、このまま、二人でどこか遠くへ逃げようって言ったら——君は、どうする?」


 私は半分まどろみの中にいた。

 けれど、その言葉だけは、確かに耳に届いた。


 胸の奥が、かすかに揺れる。


 (逃げる……?ノアと二人で……?)


 目を閉じたまま、私は答えを探していた。


 ——そのころ、窓の外。

 黒い影が、音もなく忍び寄る。


 スフレがふいに耳を立てた。

 「……きゃぅ」


 低く、警戒するように唸る。

 それは、確かな“異変”の気配だった。



 

 * * * * * *



 朝の光が、厚手のカーテン越しにぼんやりと差し込んでいた。


 目を覚ました私は、ゆっくりと身を起こす。簡易ベッドの上、まだ少し身体に緊張が残っている。

 隣を見やると——ベッドは空だった。


 (……ノア?)


 室内を見回すと、ノアは机に向かっていた。報告書らしき紙を手にしていたが、目はそこにはなかった。

 ただ、静かに、私のほうを見ていた。


 「おはよう。……ずっと起きてたの?」


 そう尋ねると、彼は苦笑したように眉を下げる。

 「……ああ。君が眠るまで、ちゃんと見届けたかったから」


 冗談めかしていたけれど、その声には、どこか張り詰めたものがあった。



 * * * * * *


 その次の日——。

 夜が更けても、ノアは椅子に座ったまま、じっと扉を見つめていた。

 目は閉じず、微動だにせず。ただ静かに、警戒を続けている。


 スフレが足元に寄り添い、小さく鼻を鳴らすと、彼はそっとその頭を撫でた。

 ひどく優しい仕草だったが、その手には、かすかに震えが宿っていた。


「……寝ないの?」


 そう尋ねたハルカに、ノアは短く首を振る。

 「君のことを、守りたいだけだよ」


 その言葉に、ハルカの胸がちくりと痛んだ。

 (こんなふうに見つめ続けて、瞳の色が、少しずつ翳っていくのに——気づかないはずがない)



 * * * * * *


 昼は研究所での勤務、夜は仮宿舎での監視。

 丸一日、ノアは休むことなく行動し続けていた。


 その肩は目に見えて沈み、背筋にはかすかな揺らぎ。

 だが、眠る気配は一向にない。


 「少しでも横になったら? ねえ、お願い……」

 ハルカの声には、心からの不安と願いがにじんでいた。


 けれどノアは、かすかに笑って、また首を振った。

 「眠っているあいだに何かあったら、僕は……きっと、自分を許せなくなる」


 その声に宿るのは、ただの心配ではない。

 未来に起こるかもしれない後悔を、先に抱えてしまったような——焦燥と、恐怖。


 * * * * * *


 その夜、ハルカはいつもより早く自室に戻った。

 ノアに限界に近づいている。

 

 彼は同じ場所で、同じ姿勢を貫いていた。

 椅子に腰かけたまま、何度もまばたきを繰り返す。

 意識が遠のきかけるたび、肩が小さく跳ねる。


 限界を感じたハルカは、とうとう彼の前に立ち、必死に訴えた。


 「お願い、少しでいいから横になって……!」

 「もう、こんなの限界だよ。……ノアが壊れていくのを、見ていられない……っ」


 彼女の声は震えていた。

 けれどノアは、かすかに微笑むと、ゆっくりと指先をかざした。


 「……ごめんね。君には、ちゃんと眠ってほしいから」


 その瞬間、術式が静かに発動する。

 魔力の気配もなく、穏やかに、やさしく、眠りを誘うような波動。


 「……っ、ま、待って、やめて、そんなの……っ」


 抗おうとしたが、まぶたがどうしても重たくなる。

 床に力が入らず、ふらりと身体が傾いた瞬間——

 ノアがそっと抱きとめてくれた。胸に頬が触れたとき、彼の鼓動が驚くほど速くて、涙がにじんだ。


 「……ごめん、ハルカ。……大丈夫だから」


 彼の囁きは、もう霞んで聞こえなかった。


 ──その直後だった。

 扉が小さくノックされ、ほんの隙間から顔を覗かせたのはクラウスだった。


 「……もう、五日だぞ」

 低く、真剣な声だった。


 「魔導式の自動警戒網を敷いてるとはいえ、人の目が一番確実なのはわかる。……だが、お前が倒れたら終わりだ」


 「……大丈夫だよ」

 ノアは短く答えたが、その声には張りがなかった。


 クラウスはしばらく沈黙したのち、そっと扉を閉じた。

 その目には、深い憂いがにじんでいた。


 

 ノアはそのまま、視線を扉からハルカへと戻す。

 彼女は静かに眠っていた。術式の影響で深く穏やかな呼吸を続けている。


 (……無事でよかった)


 ノアは椅子に深く腰を沈め、背もたれに体重を預けた。

 思考はゆっくりと鈍り、視界もほんのわずかに滲んでくる。


 沈黙が部屋を包む。

 時計の針の音がやけに大きく響き、灯りの魔導石が淡く脈動する。


 そのまま、どれほどの時間が過ぎただろう。

 数分だったか、数十分だったか——もはや感覚は曖昧だった。


 ノアは、もう一度だけ扉を確認するように視線を送り、そして……ゆっくりと、目を閉じた。


 (……大丈夫。……今日も、何も起こらない)


 そう思った——その一瞬。

 ほんの数十秒、ノアの瞼が閉じる。

 

 ……その隙を待っていたかのように、風もないのに窓辺のカーテンが揺れた。


 スフレが低く唸る。

 そして、ハルカのベッドの影に、もうひとつの影が忍び寄っていた。


 * * * * * *

 

 スフレの低い唸り声に、ノアの目がぱちりと開かれた。

 刹那、肌を刺すような“異物感”が空気を満たす。


 ——結界の内側に、何かが入り込んでいる。


「……っ!」


 反射的に右手を掲げ、術式を発動しようとした。

 だが、魔力の流れが鈍い。

 頭ではわかっているのに、連日の疲労が指先を支配しない。


(間に合わない……!)


 ノアは即座に術式を放棄し、床を蹴った。

 椅子を倒して飛び出し、ハルカのベッドへ。

 その身体を覆い隠すように、自らの身を投げ出す。


 黒い影が突っ込んできたのは、ちょうどその瞬間だった。

 襲撃者の腕が、ノアの背をかすめ、布が裂ける音がした。


 「ぐっ……!」


 だが彼は、歯を食いしばってそのままハルカを抱きしめる。

 ハルカを守ること。それだけを考えて。


 「スフレ!」


 鋭い声に反応して、スフレが襲撃者へ飛びかかる。

 影の手首に食らいつき、フードがめくれる——

 金糸混じりの髪が、月光を反射してきらめいた。


 襲撃者は即座にスフレを振り払い、窓枠へ跳び退く。

 ノアは体勢を戻し、もう一度術式を詠唱しようとする——


 だが、間に合わない。

 影は結界の歪みから、まるで闇そのもののように姿を消した。


「……逃げられた……っ」


 息を切らせながら、ノアはハルカの肩を抱き寄せる。

 「……ハルカ、大丈夫か……?」


 しばらく返事はなかった。

 けれど、やがて微かにまぶたが震え、彼女の唇がかすかに動く。


 「……ノア……?」


 その声は細く掠れていたが、ゆっくりと意識が戻ってきているのがわかる。


 「……よかった。もう……大丈夫だ」


 ノアは安堵の息をつき、そっと額を彼女の髪に預けた。


 スフレも無事。

 ノアは結界を確認し、歯を食いしばった。


「……破られてた。しかも、結界の構造ごと、精密に——」

 詠唱妨害ではない。設計そのものが切り取られていた。


 ノアは手を握り締め、目を伏せた。


 「僕が……僕が、目を閉じたから……」


 スフレが足元で鼻を鳴らし、寄り添う。

 ノアはその小さな頭に手を伸ばし、ふっと笑った。


 「……ありがとう。君がいなかったら、本当に……」


 そして、ゆっくりと顔を上げる。

 銀灰色の瞳が、鋭く光る。


 「明らかだった。今のは、君だけを狙っていた。

 連れ去るでも、観察でもない。あれは……殺しに来てた」


 その言葉に、ハルカが息を呑む。


 ——命を狙われた。

 それはもう、偶然なんて甘いものじゃない。


 ノアは、ぐっと息を吸い込んだ。


 「でも……君が無事で……良かった」


 ほっとしたように微笑む。


 ——その笑みが、あまりにも安堵に満ちていて。


 だから、次の瞬間、彼が崩れ落ちたことに——誰も、すぐには気づけなかった。


 「ノアっ!?」


 ハルカが声を上げる。

 ノアは、背中の傷から血をにじませたまま、ぐったりと彼女にもたれかかっていた。


 「……あ……はは……ごめん……ちょっと……休ませて……」

 そう呟いた声には、疲労と痛みが滲んでいた。


 目を閉じる直前——ノアの口元には、どこか無防備な、優しい笑みが残っていた。



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