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第51話 束の間の平穏

 研究所へと続く石畳の道を、私たちはゆっくりと歩いていた。


 傾きかけた陽が街を黄金に染め、細い影を道に落とす。


 少し前まで、あんなに不安だったのに。今はこうして、彼と並んで歩いている。


「……助けてくれて、ありがとう」


 ふと立ち止まって、私は顔を上げる。

 あのときのことが、まだ夢みたいで、信じられなかった。


「どうして……どうして、私がここにいるって、わかったの?」


 ノアは少し目を細めて、口元に微笑を浮かべる。


「言っただろう? 君に会うために、世界を敵に回す覚悟だったって」


 さらっと言いながらも、照れ隠しのようにわずかに視線を逸らす。


「……とはいえ、今回は僕ひとりの力じゃない。案内してくれたのは、彼だよ」


 ノアの腕の中から、スフレが「キャン」と元気に吠えた。


「スフレ……!」


 私は思わず身をかがめ、ふわふわの体を抱きしめる。

 頬ずりしたくなるほど温かくて、安心する匂い。


「ありがとう、本当に……!」


「……なんだか、ちょっとだけ嫉妬するね。君にそんな顔を向けられるなんて」


 ノアの呟きに、私は思わず吹き出した。

 振り返ると、彼は軽く肩をすくめて、わざとらしくため息をついている。


「僕にも……同じくらい感謝してくれてもいいと思うんだけどな」


「ふふ、もちろん。ノアにも感謝してるよ。いっぱい、ね」


 私がそう言うと、ノアは満足そうに微笑んだ。


 そして——

 ノアの左手が、そっと私の右手に触れる。最初は指先がかすかに当たるだけだった。


 けれど、歩調を揃えたまま、彼の手が静かに私の指を絡め取る。


 私は驚いて、横目で彼を見た。ノアは目を逸らさず、まっすぐ前を向いたまま、言った。


 「……こうしてるとね、君が“ここにいる”って、ちゃんと感じられるんだ」


 囁くような声が、耳朶をくすぐる。


 私は抵抗せずに、その手を握り返した。


 スフレがこちらを見上げて、「キャン」と嬉しそうに鳴く。


 まるで祝福してくれるかのように、しっぽをぶんぶんと振っていた。


 沈みゆく太陽に包まれながら、ノアがふと呟いた。


 「……こんな時間が、永遠に続けばいいのにね」


 そっと重ねられた掌は、静かに温もりを分かち合い、


 夕陽の中、二人の影が一つに溶けていった。


  

 * * * * * *



 そこは、王城の奥深くにある、誰も足を踏み入れぬ小間。


 豪奢な天幕の中に立つ女は、美しくも冷たい空気を纏っていた。


 深く波打つ髪は、夜に熟れた葡萄のようなボルドーパープル。

 その瞳は紫の宝石のように艶めき、見る者を否応なく魅了する。


 王妃——ヴァレリア。


 彼女は片肘を肘掛けに置いたまま、まるで退屈を持て余すように指先を弄びながら、静かに言葉を紡いだ。


 「……“火種”は摘み取るものよ。燃え広がる前に、ね」


 声は低く、しかし一語ごとに重たく、室内の空気がわずかに震える。


 「革命軍に、潜らせよ。選ぶのは“最も優秀な影”——わかっているな?」


 周囲の廷臣たちが頭を垂れ、すぐさま行動の準備に入った。


 ヴァレリアは、片目を伏せて、妖艶な笑みを浮かべる。


 その微笑が、誰よりも冷たく、甘く、そして残酷だった——。


 * * * * * *



 王立魔導研究所の空は、今朝も晴れていた。


 ガラス越しに差し込む陽光が、読みかけの資料と乱れたメモ用紙の山を柔らかく照らしている。私はペンを握り直し、机に身を乗り出した。


 「この文字……なんだったかな……」

 眉を寄せて唸る私の隣から、すかさず声が飛んでくる。


 「“浮遊”だよ。魔力素の状態を示す語。昨日も説明したはずだけど?」


 ノアが眼鏡越しにこちらを覗き込み、皮肉気に笑う。


 「……覚えたつもりだったんだけど……」


 私が気まずそうに呟くと、彼はふっと表情を和らげた。


 「まあ、君はやればできるタイプだからね。もう一度、やってみようか」


 声が少しだけ甘くて、どきっとした。


 その瞬間、足元から「キャン!」という元気な鳴き声が響いた。

 スフレが丸めた紙片をくわえ、私の足元でしっぽを振っている。さっきまで整理していたメモだった。


 「ちょ、スフレ! それ大事なやつ……!」


 慌ててしゃがみこむ私を見て、ノアがくすっと笑う。


 「賢い飼い主に似て、遊びたがりなんだろう」


 「ちょっと、誰が賢い飼い主よ……」


 思わず言い返しながらも、笑い声がこぼれた。


 スフレとノアと一緒に過ごすこの部屋が、まるで夢の中の一場面のように、穏やかで、温かくて。


 (……ずっと、こうしていられたらいいのに)


 ふと、そんな想いが胸に浮かんだ。


 * * * * * *


 その後、資料を返却しに行く途中、私は研究所の長い廊下を一人で歩いていた。


 角を曲がった、その瞬間だった。


 「……っ」


 不意に現れた人影に、私は思わず足を止めた。


 ゆっくりと顔を上げると、そこにいたのは——

 色素の薄い、繊細な容姿の青年だった。


 プラチナブロンドの髪が、廊下の淡い光に揺れている。長いまつ毛の奥で、紅玉のような赤い瞳が静かにこちらを見つめていた。

 天使を思わせる美貌。けれどその瞳は、どこかこの世界のものではないような、冷ややかな深さを湛えていた。


 「……ゼフィル? 久しぶり、だね」


 静かに佇む青年が、変わらぬ微笑を浮かべて、わずかに会釈を返す。


 「ハルカ様。お元気そうで何よりです」


 「研究所に、何か用事?」と尋ねると、ゼフィルは首を横に振った。


 「いえ、少し確認事項がありまして。すぐに終わりますので」


 そのまま、すれ違う。


 けれど彼は、私の背を追わず、歩きながら小さく呟いた。


 「どうか……ご無事で」


 声をかける暇もなく、彼は曲がり角の先へと姿を消した。


 私はその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。


 (ゼフィル……)


 淡く微笑んでいた顔が、頭の奥にこびりついて離れない。


 ——ゲームの中では、王直属の監察官でありながら、

 その正体は、王妃の“影”だった。


 仮面の下に本性を隠し、レオニスのもとに近づいたのも……彼。


 もし、あれと同じ展開が始まろうとしているのだとしたら——

 ……私は、それを止められるのだろうか。


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