第50話 共鳴の導き
「“どこの誰か”ってのは、仮面の梟からある程度聞いてるけど、私はアンタの口からも聞いておきたいの。
どういう経緯で、ここに来たのか。何ができて、何を知ってるのか。……そして、何が“目的”なのか」
その瞳は、ただの敵意ではなく、確かな確認のためのものだった。
まるで、私自身の選択を試すような。
私は、浅く息を吸い込んだ。
「……記憶が、あまりないんです。ただ……森の中で目を覚ましたら、倒れていて。名前も、どうしてそこにいたのかも、最初は何も思い出せませんでした」
嘘ではなかった。最初の“転移直後”の記憶は、実際に曖昧だった。
「けど、少しずつ思い出してきました。私は——」
言い淀んでから、覚悟を決めるように言葉を続ける。
「……実は昔、短い期間ですが、治療の補助をする仕事をしていた事があります。
病気の人を世話したり、薬の管理をしたり、身体の異変を見つけるような訓練もしていました。
でも、それはほんの短い間でした。今思えば、私は人と関わるのが下手で、現場には向いていなかったのかもしれません」
そう語ると、エレナは腕を組んだまま視線を逸らさずに聞いている。
「そのあとは、技術職に就いていました。
主な業務は、複雑な情報系の仕組み——そうですね、魔導端末の“中身”のようなものを設計したり、壊れた構造を解析して修復したりすることです。
……そう。見えない構造の裏側を扱う仕事でした。だから、術式や装置の理論を見ると、何となく仕組みがわかる気がするんです。」
「……つまり、器用なんだ?」
「得意なことだけ、です。私は……戦う力はありません。でも、軽い手当や、壊れた記録を直したり、そういう面では、何か力になれるかもしれません」
自分でも驚くほど、素直に言葉が出た。
(……私、こんなふうに、誰かに自分を説明するなんて……何年ぶりだろう)
胸の奥が少しだけ、じんとする。
エレナはじっとこちらを見つめていたが、やがて口を開いた。
「……まあ、嘘をついてる目じゃなさそうね。アンタが何者かはともかく、役に立つかどうかはこれからでしょ」
言いながら、彼女は椅子を引いて立ち上がる。
「ここは慈善施設じゃないからね。守られるだけの立場でいたくないなら、それなりの姿勢を見せることね」
「……はい」
頷いた私に、エレナはちらりと笑みを浮かべた。
「ま、そういうのは嫌いじゃないけどね。口先だけのやつより、百倍マシ」
そう言い残して、彼女は部屋を後にした。
扉が閉まったあと、私は小さく息を吐いた。
(……ふう。とりあえずは……第一関門、突破……かな?)
少しだけ緊張が解けて、額に汗が滲んだ。
* * * * * *
……夢を、見ていた気がする。
遠くで水音のような何かが響いて、ひどく懐かしい声が、私を呼んでいた。
(——ノア……?)
ぼんやりとした意識の中で、私はまばたきをした。視界がぼやけ、まだ重たいまぶたが完全には開かない。
その時——かすかな物音が、部屋に響いた。
きぃ、と軋む扉の音。誰かの気配。けれど、いつもの足音とは違っていて。
私は、はっとして身体を起こしかけ——次の瞬間、その姿を目にした。
「……ノア……?」
立っていたのは、確かに彼だった。
白衣の上から羽織った外套。乱れた髪。かすかに汗ばんだ額。そして、信じられないほど安堵した顔。
「……ハルカ」
その声が、静かに世界を震わせた。
名前を呼ばれた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
うたた寝の余韻も、頭のぼんやりも、一瞬で吹き飛んだ。
(……うそ……)
扉の前に立つ彼を見つめたまま、私は声も出せずにいた。
でも——気づけば、手が伸びていた。
震えながら、確かめるように。
夢じゃないと、信じたくて。
そんな私の手を、ノアが迷いなく取った。
そして、次の瞬間。
私は、彼の腕の中にいた。
強く、けれど壊れものを包むように繊細で。
頬を寄せられた耳元で、囁くように声が落ちる。
「君を……やっと見つけた。何があっても、もう離さない」
その低く甘い響きに、心がほどけていく。
「……ノア……ほんとうに、来てくれたの……?」
声に出したとたん、あふれていた感情が決壊した。
涙が頬を伝い、彼の肩に落ちる。
彼は何も言わず、ただ静かに、私を抱きしめ続けた。
そのとき、小さな鳴き声が響いた。
「わんっ!」
白い毛玉——スフレが、私の膝に飛び乗ってきて、鼻先で私の頬を突いた。
「あっ……スフレ……っ」
その柔らかさも、あたたかさも、まぎれもなく本物で——
私はとうとう、涙をこぼした。
「……ほんとに、来てくれたんだね……」
ノアは少しだけ身を離し、じっと私の顔を見た。
「当たり前だろう。……君がいなければ、意味がない」
静かに、けれど揺るぎない声だった。
——そのとき。
ガンッ!
突然、扉が勢いよく開かれた。
「下がって、彼女から離れなさいッ!」
飛び込んできたのは、腰に刃を下げた赤髪の少女——エレナだった。
目は鋭く、身体の前に立ちはだかるように、ノアをにらみつける。
「武装の意志はない」と言う前に、彼女の手はすでに柄にかかっていた。
ノアの表情が一瞬、氷のように冷たく変わる。
「……僕は、彼女を奪いに来たわけじゃない。迎えに来ただけだ」
「信じられるわけないでしょ。ここがどこか、わかってる!?」
ふたりの間に、一触即発の空気が走る。
私は、反射的にベッドから身を起こした。
「待って……やめて……! この人は、ノアは——敵じゃないの……!」
震える声でそう叫ぶと、エレナの目がほんの一瞬だけ揺れた。
「……あんた、こいつのこと……知ってるの?」
私は小さくうなずいた。
「はい。……私を助けてくれた人です。私の、大切な人」
静寂が落ちた。
エレナは剣の柄から手を離すと、じっとノアの顔を見つめた。
「……何者よ、あんた」
ノアはわずかに微笑み、けれどその目は真剣だった。
「彼女に会うために、世界を敵に回す覚悟だった——ただ、それだけだよ」
それは、誰よりも真っ直ぐな宣言だった。
* * * * * *
「彼は……王立魔導研究所の主任研究員で、私を保護していた方です」
困惑しながらもそう説明する私に、エレナはじっと視線を注ぐ。
「へえ、あんたの男ってわけね」
「そ、そういうわけじゃ……っ」
動揺して否定しかけたその時——
「そうだけど?」
ノアのさらりとした一言に、時が止まった。
「えっ……?」
私が固まっていると、ノアは涼しい顔で続ける。
「彼女の“保護者”として。あるいは、もっと個人的な意味でも」
「……っ」
顔が熱い。こんな時に何を言ってるの、この人は……!
スフレが「キャンッ」と元気に鳴いて、私の膝の上に飛び乗った。
エレナは呆れたように肩をすくめて、ため息を吐く。
「……なんかもういいわ。面倒な夫婦喧嘩とかしないでよね」
「安心して。喧嘩になるような隙は与えないつもりだよ」
ノアはさらりと微笑み、視線を扉の方へと向けた。
「さて。君の“ボス”にも話をつける必要があるな」
その言葉を受けたかのように、扉が開いた。
「なら、ちょうどよかったな」
現れたのは、レオニスだった。
空気が一瞬、張りつめる。
「ノア・アルフェリア。ずいぶん久しぶりじゃないか」
「三年と十一カ月ぶり、かな。……相変わらず、熱量が過剰だ」
「お前の皮肉も相変わらずだな」
互いに軽く笑みを交わしながらも、その眼差しの奥では緊張が走っている。
私は、二人の間にただならぬ空気を感じ取っていた。
「……知り合い、なんですか?」
私の問いに、ノアが視線を戻す。
「数年前、彼が体調を崩して一時的に保護された時、研究所で出会った。……妙に王族に近い魔力構造をしていたから、警戒はしていたけどね」
「俺は自分から正体を明かした。妾腹だが王の血を引いている、と。そして、いずれこの国を変えるつもりだともな」
レオニスがさらりと言う。
ノアは軽く肩をすくめる。
「理想主義者だと思ったよ。けれど……その理論には、少しばかり共鳴する部分もあった」
「じゃあ、話は早いな」
レオニスが私をまっすぐに見据える。
「つまり、あんたが言ってたこと——全部、本当だったわけだ」
私は静かに頷いた。
「はい。嘘は、言っていません」
レオニスはしばし沈黙し、それから目を細めた。
「……わかった。あんたの事を信じよう」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
「彼女は、王命により保護対象として指定されている。彼女を拘束した事実は、本来なら——」
ノアが言いかけたところで、エレナが手を上げて遮った。
「はいはい、わかった。じゃあ、あとはお役所の手続きってことでしょ。ここで揉めたくないなら、さっさと連れて帰りなさい」
「……ありがとう」
私がそう呟くと、エレナはふっと口元を緩めた。
「彼女のこと、ちゃんと守りなさいよ」
ノアは真剣な眼差しで頷いた。
「当然だ」
私は思わずエレナに声をかけた。
「……また、会えますか?」
エレナは少し驚いた顔をして、それからツンと顔を背ける。
「気が向いたらね」
けれど、去り際にちらりと振り返って、ひとことだけ——
「アンタ、嫌いじゃないよ」
その言葉が、妙に嬉しくて。
私は、スフレを抱きながら小さく笑った。




