第43話 向き合うふたり
私たちは、ようやく顔を合わせた。
場所は、砦の裏手にある静かな見張り台。見晴らしのいいその場所に、彼はひとり立っていた。
「……どうして、黙っていたんですか」
真正面から問いかけると、彼はわずかに肩を揺らした。
でも視線は、空の彼方を見たまま。
「シェイドは捕まりました。アスランの命を脅かす者は、もう……」
言いかけて、言葉を継ぐ。
「……もう、いなくなったんですよね?」
ライエルは何も言わなかった。ただ、静かに息を吐く。
「だから、教えてほしいんです。あなたが知っていること。ずっと黙ってたこと。……アスランの正体について」
しばらくの沈黙のあと、彼はぽつりと呟いた。
「……それでも、あいつの正体を明かすわけにはいかない。そう命じられている」
「それは……誰に?」
私は問いかけた。声は震えていたけれど、目を逸らさなかった。
ライエルは短い沈黙の後、低く静かに答える。
「——王の命だ」
その瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
(やっぱり……彼は——)
人懐っこい笑顔の奥に垣間見える、寂しげに揺れる瞳。
時折、別人のような鋭さを見せる言動。
そして、あの容姿——
すべてが、繋がった気がした。
「……あいつは、高貴な血を引く存在だ。今も、そして昔も。
だからこそ、正体が知られれば、強大な勢力から命を狙われることになる」
「やっぱり……」
呟きが漏れた。
「——王妃一派ですね。アスランを……いえ、“彼”を狙っているのは」
ライエルが振り向く。
その目に、わずかな驚きが揺れた。
「……そこまで、知ってるのか」
(『薔薇と鏡の王国』で、命を狙われていたのは——第1王子のディアル様だけじゃなかった。
第2王子・レオニスもまた、王妃からあからさまに疎まれていた。
彼らのルートは、どれも息が詰まるほど緊迫していて……何度も心が折れそうになった。
でも、私は諦めなかった。何十回と繰り返して、やっと救えたときの、あの達成感。
その時の笑顔を、私は今でも覚えている。絶対に、忘れたりしない)
「そうだ。あいつの正体が知られれば、王妃一派に命を狙われるだろう。
それを避けるために、彼は“アスラン”として生きている。俺は……それを護る立場だ」
胸の奥が、ひどくざわついた。
(……じゃあ、あのときも——?)
「……ライエルさん。あのとき、私を遠ざけようとしたのも……そのため、だったんですか?」
ライエルのまなざしが少しだけ揺れて、それから静かに頷く。
「——ああ。
本当は、お前を巻き込みたくなかった。
俺の判断ひとつで、お前が傷つくようなことは……もう、したくなかったんだ」
言葉を選ぶように、ライエルは視線を落とし、それでも静かに続ける。
「……最初は、ただ騎士としてだった。
お前を守ることが使命で、忠誠を誓った。それは、偽りじゃない」
けれど、そこで一度だけ、声が揺れる。
「でもな……気づいたんだ。
お前を見ていると、使命とか任務じゃなくて、もっと……ただの想いになっていった」
その言葉のひとつひとつが、胸の奥にまっすぐ響いてくる。
「俺は、主じゃなく、お前そのものを守りたい。
笑ってほしいし、泣いてたら、抱きしめたくなる。
選ばれるとか、選ばれないとか、そんなことどうでもいい。
俺は、お前と――“生きたい”って思った」
そこで、ようやく視線が重なる。
「過去でも未来でもなく、“今”の、お前と一緒に」
その頬はほんのり赤くなっていて。
ぶっきらぼうな言葉のくせに、こんなに照れるなんて——
(もう、ずるいって……)
私は、ほんの少しだけ、笑った。
でもそれは、涙がこぼれそうになるのをごまかすためでもあった。
胸の奥が、どうしようもなく熱くなる。
不器用で、真っ直ぐで、
優しくて、頑固で、でもいつもどこかで私のことを見ていてくれた人。
——彼は、この世界に来て、初めて出会った“推し”だった。
出会った瞬間、胸が高鳴って。
でも私は、何者でもなくて、ただの異邦人で。
誰の記憶にも残らない空気みたいな存在だった。
そんな私に、「お前は間違ってない」って言ってくれた。
「お前は、もう独りじゃない」って、行動で示してくれた。
彼の言葉に、どれだけ救われたかわからない。
「成長したな」って、そう言ってくれたとき、
私はやっと、“この世界で生きていい”と思えたんだ。
——この人がいたから。
私は、ここで踏み出せた。
だから。
「……私も」
こらえきれなくて、言葉がにじむ。
「……嬉しいです。ライエルさんに、そう言ってもらえて」
感情の波が押し寄せてくる。
胸の奥が熱くなって、苦しくなるほど、幸せで。
その一言で、ライエルの目がぐらりと揺れた。
みるみるうちに顔が赤くなっていく。
「なっ……!」
耳の先まで、真っ赤。
その様子に、思わずくすっと笑ってしまう。
「な、何がおかしい……!」
「ふふ……ライエルさん、すごく顔赤いですよ?」
「う、うるさい……っ」
この人に、守られてきた。
そして今、私は——自分の足で、そばに立てている気がした。
* * * * * *
昼が近づいていた。
瓦礫の残る拠点跡には、ようやく静けさが戻ってきていた。
遠くでは、鳥の声。小さく風が鳴るだけ。あの騒動が嘘だったように。
アスランは崩れた壁のそばに腰を下ろし、空を見上げていた。
明るい陽射しの中、いつもの調子で手を振る。
「おー、ハルカちゃん。なんかいい風じゃん。昼寝したくなる~」
その軽さに、私はつい笑ってしまいそうになる。
でも、よく見ると……ほんの少し、顔色が悪い。
……疲れてないわけないよね。
「……なんか、今日はおとなしいね」
「えっ、そう? いや~、いつもより眠いだけかも~」
「そっか。……でも、無理してない?」
「してないしてない! むしろ元気すぎて困っちゃうくらいだよ~?」
口調はいつも通り。陽気で、飄々としてて。
でも、なんとなく——その元気、少しズレてる気がした。
(……アスラン。なんか、隠してる?)
この感じ、知ってる。
言葉の端っこにある、ほんのわずかな“嘘”の気配。
思い出すのは、あのときの夢。
赤い月。金の鍵。誰かの泣き声。
——“救うために生まれてきた”。
……なぜだろう。どこかで聞いた気がする。
でもそれは、誰かに言われたんじゃなくて——
(私自身の、願い……?)
現実の私は、誰かを救いたくて、でも救えなくて。
どうしようもなくて、壊れていった。
だから、そう思いたかったのかもしれない。
もう一度、誰かを助けられるなら——って。
「……夢の話、覚えてる?」
「夢?」
「赤い月とか……金の鍵。あと、誰かが泣いてて」
アスランの肩が、ほんのわずかに動いた。
その瞬間だけ、沈黙が空気を支配する。
「あー……そんなこともあったっけ? なんだろ、寝不足のせいかもね~」
いつもより笑うのが早い。
早口でごまかしてるのが、逆に目立ってる。
「……アスラン。ほんとは、何か思い出してない?」
「なにそれ~、怖っ。やめてよ、ハルカちゃん、霊感とかあるタイプ?」
「あるかもね」
ふっと、空気が揺れる。
私は一拍おいて、まっすぐに彼を見た。
「……アスラン。あなたって、本当に“アスラン”なの?」
笑っていた彼の表情が、すっと消える。
風が吹いて、髪がふわりと揺れる。
「もちろん。“陽気でイケてる”アスランちゃんでーす。ハルカちゃん専属のね?」
その笑顔は、たしかに彼のもの。
だけど、目が……笑ってなかった。
「……そっか」
私は、それ以上は言わない。
でも、心の中でははっきりと思っていた。
(やっぱり——“彼”なんだ)
彼は立ち上がり、軽く伸びをする。
「じゃ、そろそろ行こっか。昼寝してる場合じゃないし~」
「うん」
私は彼の背中を見つめたまま、小さく息をついた。




