第40話 夜は終わらない
アスランが、帰ってきた。
闇に包まれた森の中から、ふらりと姿を現した彼は、魔導灯を片手に軽く笑っていた。
「収穫はナシ、ってとこかな〜」
ほっとしたような、でもちょっと眠たげな顔。
私は、その姿を信じられない思いで見つめていた。
(——生きてる)
ちゃんと、歩いている。息をしている。
目の前にいる。もう冷たくなんてない。
胸が軋んだ。
さっきまで、彼は死んでいたはずだった。
でも今は、生きている。
それが、どれほど奇跡的なことか。
私は言葉もなく、ただその背中を追いかける。
ふたりは無言のまま宿に戻った。
* * * * * *
静まり返った夜の通路。
壁に取り付けられた魔導灯が、淡く明滅している。
(戻ってこれた。……本当に、変えられた)
私は自分の部屋の扉を開ける前に、もう一度だけ隣の部屋を振り返った。
アスランの部屋からは、微かに気配がする。
寝台のきしむ音。水を飲む音。
すべてが、生きている証だった。
(今度こそ——)
そう思ったとき、不意に背筋がひやりとした。
夜なのに、風もないのに、何かが首筋を撫でるような違和感。
私は気のせいだと自分に言い聞かせ、扉を閉めた。
* * * * * *
それは、どれほどの時間が経った頃だったろうか。
夢の底で、誰かに名前を呼ばれた気がした。
「……ハルカちゃん……」
目を開ける。
鼓動が耳の奥で反響する。
(いま……アスランの声……?)
私は跳ね起きた。
何かがおかしい。胸がざわつく。
足音を殺し、隣の部屋へ。
扉は、少しだけ開いていた。
「アスラン?」
呼びかけながら、そっと中を覗く。
寝台の上、アスランが——静かに、倒れていた。
「……うそ……でしょ……?」
慌てて駆け寄る。身体を揺さぶる。
でも、反応はない。
さっきまでは、確かに、生きていたのに。
胸に耳を当てる。何の音もしない。
呼吸も、脈も、全部が止まっている。
「なんで……なんで……!?」
唇が震える。
震えた手で、彼の指先を取った。
冷たかった。
それはさっきまで、私が確かに救ったと思った手だった。
「また、死んでる……また、また……っ!」
嗚咽が喉を裂いた。
シーツの下には何かが落ちていた。
拾い上げたそれは、焦げたようにひび割れた魔導具の欠片。
(これって……自律式の……術式制御器?)
アスランが持ち歩いていたものだろうか。
それとも——何者かが仕掛けた?
わからない。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
彼は、また死んだ。
* * * * * *
(もう、いやだ)
回帰したい。
でも、もう嫌だ。
何度やっても、彼は——
(……ダメ、泣いてる場合じゃない)
立ち上がる。
目の奥が焼けるように熱い。
「……戻る。今度こそ、原因を突き止める」
視界が歪み、光がにじむ。
——焼けるような痛み。
胸が、裂けるように熱い。
(お願い、今度は——)
また、あの坂道へ。
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「……この道、来たことある気がする」
再び繰り返された坂道での会話。
ハルカの胸に残っていたのは、確かな感触だった。
アスランが生きている——それだけで、心が震えるほどの安堵を覚えた。
だが同時に、強く胸を締めつける記憶があった。
——アスランの死を、止められなかった。
彼の後を追っても、彼を見つめ続けても、結果は同じだった。
何かが足りない。何かが、決定的に違う。
少しずつ真実に近づいているのに、まだ手が届かない。
(次は——次こそは)
もう一人の鍵に向き合う。
* * * * * *
あの夜、アスランは古びた教会に向かった。
そこに——ライエルの姿があった。
ふたりは言葉を交わしていた。
「あいつにもまだ……言わないでくれ」
そう、確かに聞こえた。
それが何を意味するのか、私はまだ理解できない。
(アスラン=ディアルなのでは?)
そう思った時の、心臓が凍るような感覚。
まさか、ライエルがアスランの死に関係している?
あいつとは誰?
もう一度、確かめなくちゃいけない。
* * * * * *
私はその夜、また同じ場所に立っていた。
空は曇り、月は見えない。
教会の裏路地、目立たぬ脇道の先——そこに、彼はいた。
「……ライエルさん」
呼びかけると、男の背がぴくりと揺れた。
「……何の用だ」
振り返ったその瞳には、驚きと警戒が混ざっている。
無理もない。今夜、ここにわたしが来るとは思ってもみなかったはずだ。
「ライエルさん……あなた、今日、アスランさんと会う予定ですよね?」
彼の目が細くなる。
「……そのつもりだ」
「どうして、アスランと会おうとしているんですか? 何を話すつもりだったんですか?」
私の問いに、ライエルは目を伏せた。
「知っての通り……王都からの命でアスランの監視任務を、一時的に引き継いでいた。」
「奴は素性が不明でな、記録も偽装されていた。……だが、ある時から、奇妙な行動が目立つようになった」
「誰も気づかないような街角に佇んだり、同じ本を何度も借りたり……何かを“思い出そう”としているように見えた」
私は目を見開いた。
それは、アスランがディアルである可能性を示しているように聞こえた。
「……それじゃあ、アスランは一体誰なんですか……?ライエルさんはどこまで知って——」
言いかけた言葉を、ライエルの低い声が遮った。
「……すまん。今はまだ、全部を話すわけにはいかない」
「どうして……!」
「お前のためだ」
その言葉に、胸がざわついた。
「それって、本当に……私のためなんですか?」
答えの代わりに、ライエルはほんの少し、微笑んだように見えた。
「……お前は変わった。前より、ずっと……強くなった」
その目はまっすぐで、どこか寂しげで、けれど誇らしげでもあった。
「だからこそ、今は——もう少しだけ、信じてくれ。あいつのことも、俺のことも。……そして、お前自身のことも」
胸が軋んだ。
涙はこぼれそうで、でも落ちなかった。
「……わかりました。でも、私は止まりません。アスランを——彼を、もう失いたくないから」
その言葉を聞いた瞬間、ライエルのまなざしがわずかに揺れた。
答えるまでの沈黙が、ほんの少しだけ長い。
拳が、気づかぬうちに握られていた。
けれど、彼は何も言わず、ゆっくりと頷いた。
「……その覚悟があるなら。俺は、どんな時でも、お前の味方だ」
それは、昔の約束のようで——今の誓いでもあった。
この夜はまだ明けない。
けれど私は、少しずつ、真実に近づいている気がした。
アスランの死を止めるために。
そして、“彼”が誰なのかを知るために——




