第六話「揺れる心」
森は、静かだった。
だがその静けさは、どこか不自然だった。
風の流れ。
草の揺れ。
そして――
“気配”。
(……いる)
お凛は、足を止めた。
追っている。
影丸を。
だがそれだけではない。
伊賀の追手も、同時に動いている。
(時間がない……)
影丸に先に辿り着かなければ、
あの男は――
殺される。
「……何やってるのよ、私」
小さく呟く。
本来なら。
自分も“追う側”だ。
影丸を討つ側。
それなのに――
(助けようとしてる)
その事実が、
胸の奥で重く沈む。
忍としては、間違い。
だが――
人としては。
「……知らない」
首を振る。
考えたくなかった。
だが、その時。
「遅い」
声。
背後から。
「……!」
振り向くよりも早く、
影が目の前に立っていた。
影丸。
「……あんた」
息を呑む。
探していた相手が、
先に現れた。
「追われてるって、分かってるでしょ」
「ああ」
相変わらずの無表情。
だが――
その目は、どこか鋭い。
「なら、なんでここにいるのよ」
「来ると思った」
「……は?」
「お前が」
その言葉に、
心臓が跳ねる。
「……何それ」
視線を逸らす。
だが、落ち着かない。
「私が来るって分かってたの?」
「ああ」
「なんで」
沈黙。
ほんの一瞬。
そして――
「来る顔をしていた」
「……何よそれ」
意味が分からない。
だが――
否定もできない。
「……馬鹿みたい」
小さく呟く。
だがその声は、
どこか安堵していた。
「……逃げるわよ」
すぐに言う。
「伊賀も動いてる」
「分かっている」
「じゃあ――」
「逃げない」
その一言で、
言葉が止まる。
「……は?」
「ここで終わらせる」
静かな声。
だが、その中に確かな決意があった。
「何言ってるのよ!」
思わず声を荒げる。
「相手は伊賀よ!?あんた一人でどうにかなる相手じゃない!」
「問題ない」
「あるわよ!」
一歩、近づく。
思わず、胸ぐらを掴みそうになる。
だが、踏みとどまる。
「……死ぬ気?」
「必要なら」
その言葉に、
胸が強く痛む。
「……ふざけないで」
声が震える。
「勝手に決めないでよ」
影丸は、何も言わない。
ただ見ている。
「私は……」
言葉が詰まる。
だが、止まらない。
「私は、あんたに死んでほしくないの!」
沈黙。
森の空気が止まる。
言ってしまった。
完全に。
隠していたものが、全部。
「……」
影丸は、動かない。
ただ、見ている。
お凛を。
まっすぐに。
その視線が、
怖い。
だが――
逸らせない。
「……理由は」
影丸が、静かに言う。
「必要か」
「……え?」
「任務ではない」
「……」
「なら、理由は一つだ」
その言葉に、
心臓が強く打つ。
「言うな」
お凛が止める。
だが遅い。
「お前は――」
「言うなってば!」
叫ぶ。
その瞬間。
静寂が戻る。
「……」
息が荒い。
顔が熱い。
「……分かってるわよ」
小さく呟く。
「そんなの……」
否定できない。
もう。
「……でも」
顔を上げる。
「それでも、忍なのよ私は」
その言葉は、
自分に言い聞かせるものだった。
「掟も、任務も、全部分かってる」
「……」
「それでも――」
言葉が震える。
「それでも、あんたを見捨てられない」
沈黙。
長い沈黙。
影丸は、何も言わない。
だが――
その目が、
わずかに揺れた。
「……馬鹿だな」
小さく呟く。
だが、その声は――
どこか、優しかった。
「そうよ」
お凛は笑う。
少しだけ。
「今さらでしょ」
その時。
風が変わる。
複数の気配。
「……来た」
影丸が言う。
「伊賀だ」
「……早いわね」
「お前は行け」
「嫌よ」
「足手まといだ」
「またそれ!?」
だが、次の瞬間。
影丸の手が、お凛の肩を掴んだ。
「……!」
初めてだった。
こんな風に触れられるのは。
「行け」
その声は、低く、強かった。
「ここから先は、俺の問題だ」
「……違う」
お凛は首を振る。
「もう、私の問題でもある」
その目は、揺れていなかった。
「……」
影丸は、一瞬だけ黙る。
そして――
「……ならば」
静かに言う。
「覚悟しろ」
その言葉と同時に。
伊賀の忍たちが、姿を現した。
完全な包囲。
逃げ場はない。
「……来たわね」
お凛が短刀を構える。
震えはない。
もう、決めていた。
「……お凛」
「何」
「戻れなくなるぞ」
「知ってる」
即答だった。
そして――
「それでもいい」
その一言で、
すべてが決まった。
戦いが、始まる。




