第五話「守るという罪」
焼けた匂いが、まだ残っていた。
昨夜の戦いの跡。
黒く焦げた地面。
消えたはずの炎の気配。
それらすべてが、異様な静けさを生んでいる。
「……静かね」
お凛が呟く。
だが、その静けさは“平穏”ではない。
嵐の前の、沈黙。
「来る」
影丸が短く言う。
その声は、いつもより低かった。
重く、沈んでいる。
「また甲賀?」
「違う」
「え?」
「……伊賀だ」
その言葉に、
お凛の体が強張る。
「どういうこと……?」
問い返すが、
影丸は答えない。
ただ、前を見ている。
その視線の先――
森の奥から、ゆっくりと人影が現れた。
黒装束。
整った動き。
無駄のない気配。
――伊賀の忍び。
「……」
お凛の呼吸が浅くなる。
見覚えのある顔が、いくつもあった。
同じ里で育ち、同じ技を学んだ者たち。
「……どういうことよ」
今度は、声に出していた。
その答えは、すぐに来た。
「命令だ」
先頭の男が言う。
冷たい声。
「影丸を処分する」
空気が、凍る。
「……は?」
理解が追いつかない。
「何を言ってるの……」
「お前も知っているはずだ」
男の視線が、影丸へ向く。
「その力」
炎。
昨夜の光景が、脳裏に蘇る。
「あれは、忍ではない」
はっきりと言い切る。
「異質だ」
「危険だ」
「放置できぬ」
一つ一つの言葉が、重く落ちる。
「……だから、殺すって?」
お凛の声が震える。
「そうだ」
迷いのない答え。
「それが伊賀の判断だ」
「……ふざけないで」
思わず前に出る。
「守ったのよ!?あいつは!」
昨夜の戦いが蘇る。
自分を守った影丸。
炎に包まれたあの姿。
「関係ない」
冷たく切り捨てられる。
「掟に反する存在は排除する」
「それが忍だ」
お凛は言葉を失う。
それは、正しい。
正しすぎるほどに。
だからこそ――
苦しい。
「……お凛」
低い声。
影丸だった。
「下がれ」
「……嫌よ」
即答だった。
「これは、あんたの問題じゃない」
「私の問題でもある」
振り返らずに言う。
だが、その声には決意があった。
「……これは命令だ」
影丸が言う。
「関係ない」
お凛は一歩前に出る。
伊賀の忍たちと、影丸の間に立つ。
「どけ」
先頭の男が言う。
「お前も処分対象にするぞ」
「やってみなさい」
短刀を構える。
その手は――
震えていなかった。
「……」
影丸が、わずかに沈黙する。
その背後で。
「お凛」
「何」
「退け」
「嫌」
即答。
「……死ぬぞ」
「それでも」
振り返る。
まっすぐに、影丸を見る。
「見捨てるくらいなら、死んだ方がマシよ」
その言葉に。
時間が止まったように感じた。
伊賀の忍たちも、動かない。
ただ、見ている。
影丸を。
そして――
影丸の中で、
何かが、揺れた。
「……馬鹿だな」
小さく、呟く。
その声は――
ほんのわずかに、柔らかかった。
次の瞬間。
空気が変わる。
「下がれ」
影丸の声が、低くなる。
それはもう、命令ではなかった。
“決意”だった。
「……影丸?」
「これ以上は、巻き込む」
ゆっくりと前に出る。
お凛の横を通り過ぎる。
「……一人でやるつもり?」
「ああ」
「無理よ!」
「問題ない」
その背中は、
あまりにも静かだった。
そして――
「……俺は」
一瞬だけ、止まる。
「もう、忍ではない」
その言葉に、
お凛の胸が、強く締め付けられる。
「……何それ」
笑えなかった。
「勝手に決めないでよ」
だが、影丸は振り返らない。
ただ前を向く。
「来い」
伊賀の忍たちに向けて言う。
「……」
空気が張り詰める。
「やれ」
号令。
その瞬間――
戦いが始まった。
⸻
速い。
伊賀の忍たちも、決して弱くはない。
むしろ精鋭。
だが――
影丸は、それを上回る。
影を渡るように動き、
刃をかわし、
確実に急所を突く。
だが。
数が多い。
連携も取れている。
「……くっ」
お凛が歯を食いしばる。
加勢したい。
だが――
入れない。
あの戦いは、
もう“人の領域”ではない。
その時。
――ボッ
炎が、灯る。
「……!」
影丸の周囲に、
再び炎が立ち上がる。
だが今回は違う。
荒い。
制御が効いていない。
まるで――
暴れている。
「……やめて!」
お凛が叫ぶ。
その炎は危険だ。
敵も味方も関係なく焼き尽くす。
だが――
止まらない。
「……影丸!」
叫ぶ。
だが届かない。
炎が、さらに強くなる。
その時。
影丸の動きが、一瞬止まった。
その視線が――
お凛に向く。
ほんの一瞬。
その瞳に、
確かな“意志”が戻る。
そして――
炎が、消えた。
「……!」
次の瞬間。
影丸は、すべての敵を振り切り、
その場から離脱していた。
煙の中に、姿が消える。
「待て!」
伊賀の忍が叫ぶ。
だが――
もう遅い。
完全に気配が消えている。
「……逃げたか」
先頭の男が呟く。
だが、その声には焦りがあった。
「追うぞ」
「……待って」
お凛が言う。
だが、誰も聞かない。
伊賀の忍たちは、すぐに動き出す。
残されたのは――
お凛一人。
⸻
「……何よ、それ」
その場に立ち尽くす。
胸が苦しい。
「勝手に決めて……」
影丸は言った。
自分はもう忍ではないと。
違う。
そんなはずはない。
「……私は」
拳を握る。
「私は、どうすればいいのよ……」
答えは、出ない。
ただ一つ、確かなのは――
影丸は、
“追われる側”になったということ。
そして――
それを追う側に、
自分がいるという現実だった。




