第十二話「影に生きる者たち」
朝の光が、森を照らしていた。
静かだった。
あれほどの戦いがあったとは思えないほどに。
風が、やわらかく木々を揺らす。
「……朝ね」
お凛が、小さく呟く。
その声は、どこか穏やかだった。
「ああ」
影丸も短く答える。
二人は、並んで歩いていた。
もう、追手の気配はない。
だが――
戻る場所もない。
「……ねえ」
少しだけ間を置いて、お凛が言う。
「これから、どうするの?」
その問いは、ずっと胸の中にあったものだ。
影丸は、すぐには答えなかった。
風の流れを感じるように、
わずかに目を細める。
そして――
「……分からん」
正直な答えだった。
「ふふ」
お凛が、少し笑う。
「珍しいわね、そんなの」
「そうか」
「うん。いつもは“決まってる”って顔してるのに」
その言葉に、
影丸は少しだけ視線を逸らした。
「……もう、決める必要はない」
「……え?」
「忍ではない」
静かな声。
「掟もない」
その言葉は、
どこか軽くもあり、重くもあった。
「……そっか」
お凛は、空を見上げる。
青い空。
広い空。
今まで、ちゃんと見たことがなかった気がする。
「……自由ってこと?」
「……そうなる」
だが、その声にはわずかな迷いがあった。
「怖い?」
お凛が聞く。
「……少しな」
正直な答え。
それに、お凛は少しだけ目を見開いた。
「へぇ」
「……何だ」
「いや」
くすっと笑う。
「そういうの、初めて聞いたから」
影丸は何も言わない。
だが――
その沈黙は、以前とは違った。
⸻
少し歩いた先。
小さな川が流れていた。
水の音が、心地いい。
「……休も」
お凛が言う。
「構わん」
二人は、川辺に腰を下ろす。
しばらく、何も話さない。
ただ、水の流れを見ている。
それだけで、十分だった。
「……ねえ」
お凛が、静かに口を開く。
「何だ」
「さっきの続き」
「……?」
「言いかけたでしょ」
影丸を見る。
まっすぐに。
「私が……ってやつ」
その言葉に、
影丸は一瞬だけ目を細めた。
「……必要ない」
「あるわよ」
即答。
「私は、言う」
逃げない。
もう、逃げないと決めた。
「……私は」
深く息を吸う。
そして――
「私は、あんたが好き」
静かな言葉。
でも、確かなもの。
風が、そっと吹く。
その言葉を運ぶように。
「……」
影丸は、何も言わない。
ただ、見ている。
お凛を。
まっすぐに。
「……迷惑?」
少しだけ、不安になる。
だが――
「……違う」
影丸が、ゆっくりと口を開く。
「……どう返せばいいか、分からんだけだ」
正直すぎる答え。
「ふふ」
お凛が笑う。
「それでいいわよ」
少しだけ、肩の力が抜ける。
「……じゃあ」
影丸が言う。
「一つだけ、言える」
「何?」
「……お前がいると」
あの時と同じ言葉。
「迷う」
「……うん」
「だが」
ほんのわずかに間を置く。
「それでもいいと思っている」
その言葉に、
お凛の目が、わずかに見開かれる。
「……それって」
「分からん」
即答。
「だが」
視線を逸らさない。
「離れる理由にはならない」
それは――
不器用な答え。
だが、確かな答えだった。
「……そっか」
お凛は、ゆっくりと頷く。
それで十分だった。
⸻
風が吹く。
水が流れる。
世界は、変わらない。
だが――
二人は、確かに変わっていた。
「……行くか」
影丸が立ち上がる。
「どこに?」
「……どこでもいい」
その言葉に、
お凛は笑った。
「いいわね、それ」
立ち上がる。
隣に並ぶ。
「じゃあ」
少しだけ前を向いて。
「行きましょうか」
「ああ」
二人は、歩き出す。
影としてではなく。
忍としてでもなく。
ただの――
人として。
それでも。
過去が消えることはない。
戦いが終わることもない。
伊賀も、甲賀も、
まだどこかで生きている。
だが――
それでもいい。
この先に、何があっても。
二人でなら。
歩いていける。
影に生きた者たちが、
初めて選んだ“光”。
その道は、まだ続いていく。




