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第58話「最後のお願い」

 何か声が聞こえる。

 

『しゅ……い……せる! この……て!』


 まだ覚醒しきれない脳に響き渡るそれは、男の声だった。それもかなり間近で。

 徐々に体に力が入り、血液がみなぎっていく感覚。それと同時に意識もはっきりしていく。

 耳に響くのは、クリスマスイブの日に肝心なところで邪魔をした、あの声。


『主命とあらば、如何なる勝利をも掴んでみせる! この聖槍に誓って!』


「うるせぇぇ!」


 俺はベッドから飛び起きた。

 見ると枕元にスマートフォンを掲げたリリーナが映りこむ。朝日を浴びて輝く銀髪の下にあるのは、いつものすまし顔。


「イケメンの声で起きるとは、なかなか素敵な朝だな。映司」


「女の子がいいです!」


「そうか。女子がいいか。それじゃ、気が向いたらたまに起こしてやるよ」


 そう言うと彼女は微笑んで。そそくさと部屋を出て行ってしまった。

 思い起こせば今までリリーナとは色々あった。最初は険悪で喧嘩から始まって。そこからデートするようになって、時には抱きしめたり、一緒に戦ったり、キスしたり。

 だけど、先程の彼女は普段と何一つ変わらない。ちょうどティナが死神の依代だと判明する前のリリーナそのものだ。付かず離れず、見ていないようでしっかり見ている。そんな彼女。

 それは、「普段通りの生活を楽しめ」と言われているような気がした。いつまでも続かない、いや、終わりがもうすぐそこまで迫っている束の間の安息を噛みしめろと。


 俺は起き上がるとリビングに向かう。

 そこにいるのは、金髪を揺らす天使の姿。白いワンピースを着てエメラルドの瞳を輝かせる彼女に、俺はいつもの微笑みを浮かべた。


「おはよう。ティナ」



 十二月二十四日、クリスマスイブの日にティナは解放された。

 そこからはまるで時間が巻き戻ったかのように、いつもの生活が戻ってきた。家に帰ればリリーナとティナがいて。彼女達の笑顔と温かい食事がある。

 一度、失いかけてから気が付いた。この日常がとても大切なんだって。

 あの死神の血に濡れた大鎌も、目の前で爆炎に包まれた桐生さんもすべてが遠い過去の出来事に感じる。刻印は消えていない。だけど、その存在を忘れるような安心感がそこにはあった。


 しかし、戸惑う人もいた。


「……何よコレ」


 まだ俺が家に一人だけだと思っていた栗林京子が、玄関でぽつんと一人、立っていた。

 その唖然とした顔にリリーナが冷酷に言い放つ。


「なんで急に元に戻ってんのよ?」


「あ、メイドの契約解除するの忘れてた。ボーナスタイムは終わりだ。牛女二号」


「はぁ、結局、逆戻りってワケ?」


「あら、京子さんいらっしゃい。ご飯、どうですか?」


 ガクンと肩を落とす京子に、相変わらず空気を読まないティナが笑顔で食事に誘っている。

 リリーナには冷たい彼女だが、ティナには悪い気はしないらしい。「せっかくなのでいただきます」と笑顔で答えると、キッとリリーナを睨みつけた。


「……いただく前にちょっと。そこの銀髪、ちょっと来て」


「なんだ? 乙女のひそひそ話にしては殺意が見えるな」


 冗談なのか本気なのかわからない言葉を浴びせ、リリーナと京子は外へと出ていった。

 どうやらあの二人、俺の知らないところで連絡を取っているようだし、何かあるんだろう。聞き耳を立ててみようかとも思ったけど、バレたら間違いなくひどい目に遭うのは確定事項。おとなしく料理するティナを見ている事にした。


 どこかへ行ったのかと心配になるほど時間が経って。臨時の女子会から戻った二人を交えて四人で食事をして、何事もなく京子は自宅へと帰っていった。

 リリーナも彼女も食べている様子をちらちら見ていたけど、何も変わらなかった。会話も「聖剣乱舞がどうたら」とか「今度のアプデがどうたら」など、怪しい所は欠片もない。

 ただ、やはり気にはなって。少しリリーナに訊こうかと思ったけど、彼女は食事の後、そそくさと部屋にこもってしまって。タイミングを逃してしまった。


 鼻歌混じりにキッチンに立つティナへ視線を移す。彼女もこの家に戻ってからは普段と変わらない。

 依代の話も、刻印も、死神も一切、話題には上がらない。それどころか以前にも増して、身の回りの世話に集中している様子だった。

 俺には、それがまるで「思い残す事がないように」彼女が動いているように思えて。心の奥底から切なさがこみあげてくる。


 彼女がずっと傍にいる。そう思い込んでいた。

 彼女がいる生活が俺の日常だった。そう幻想を抱いていた。


 だけど、コールドスリープの提案を彼女が呑んだ時、全てが砕け散った。現実を俺に教えてくれた。

 彼女は俺の天使じゃない。生えているのは鳥の翼。常に見守る天使ではなくて、俺の下を離れて飛び立つ金色の鳥なんだって。それも永遠に。


 俺はティナを笑顔で見送れるのだろうか。


 チクリと胸を刺す痛みを感じながら。俺は茫然と天井を見上げていた。

 その時、扉を開く音が耳に響く。見ると白いコートを羽織ったリリーナが足早に玄関へと歩いていく。

 俺は咄嗟に小さな背中へ声をかけた。


「あれ、お前、どこいくの?」


「例の施設。どうやら今から見学できるらしい。車で一時間くらいの距離で赤坂が連れて行ってくれるそうだ」


「そうなんだ。つーかもう外、暗くなってきてるぞ? 何時ごろ戻る?」


「おそらく今日は戻らない。銀狼本部かどこかのホテルに泊まるから、今日の夜はティナとラブラブになる許可を与える」


「……えっと。許可ってなんですか……」


「あ、リリーナさん行ってらっしゃい。お気をつけて」


 困惑気味の俺とは対照的な笑顔を向けるティナに見送られて、リリーナは薄暗い外へ消えていった。

 その時、振り返るティナのエメラルドの瞳が熱を帯びているように思えた。



 ◇ ◇ ◇



 その日の夜。リリーナからの「クラシオンの上で泊まる」というコネクトのメッセージを受け取って。俺はベッドの中へ潜り込んだ。

 年を越すまで残り数日。俺の刻印も残り百日を切っている。全身が寒いのは気温のせいか、それとも死への恐怖か。ただ、気が狂うほど衝動に駆られることもなく、不安はあるけど心はそこまで逆立たない。

 決して慣れたわけじゃない。というより死ぬ事に慣れなんてない。人生で一度しか味わうことがないそれをすぐ間近に感じながら、それでも二人のために生きようと決意してから。一人でいる事の恐怖が鳴りを潜めてしまった。

 

 ゆっくり目を閉じて。眠ろうとしたその時、ペタンペタンとスリッパが床を踏む音がした。

 それは部屋の前で止まって。軽くノックする音が静寂を破る。


「……あ、あの映司君」


「ティナ? いいよ。開けても」


 扉が開くと同時に暗闇に浮かび上がるのは、両手で枕を抱きしめた天使だった。

 白いパジャマを着て、うつむき加減で俺を見つめるエメラルドの瞳は、とても艶やかで。彼女はしばらく棒立ちしていたけど、まるで意を決したかのように短く「よし」と呟くと一歩前に出た。


「ど、どうしたの?」


「え、映司君。あ、あのお……おね、お願いが、あ、あああり」


「いや、落ち着けって」


 どうやらいつものティナのようだ。

 枕を持って来たというシチュエーションに彼女が何を求めてきたのか、それを察してしまった俺も動揺したけど。肝心な所でおろおろする彼女があまりにも普段通りで、かえって冷静になってしまう。

 そんなティナは一度、深呼吸をすると、未だ緊張した面持ちでじっと俺を見つめて。


「……あの、一緒に寝てもいいですか?」


「い、いいけど」


 俺の返事に彼女はふわりと優しい笑顔を浮かべて、ゆっくりとベッドに近づいてくる。

 ティナの「一緒に寝たい」は、決して性的な類ではない事はすぐに理解した。それに俺自身、そういうのを望んでいなかった。彼女を異性として意識していないというわけではなく、ただぬくもりが欲しかった。きっと彼女も同じなんだろうって。

 そっと布団の中に潜り込むと、暗い中でもはっきりと潤んだエメラルドの瞳が見えた。ティナは俺の体にしがみつくと、高鳴る鼓動を確かめるように胸元に顔を埋める。

 背中に回した腕はしっかりと俺を抱きしめていて。まるでぬくもりを忘れまいと足掻いているかのようだった。


「映司君」


 先程の動揺したものではなく、しっかりと芯の通った声だった。


「あなたにもう一つ、お願いがあるんです」


「いいよ、聞くよ」


「もう少しでわたしの体は冷たくなります(・・・・・・・)。二度と、映司君には会えません。あなたには辛いかもしれない。だけど、決して振り向かないでほしい。そして、わたしを忘れてください」


「……そんなの、できるわけないだろ」


「わたしは映司君を縛りたくないんです。冷たくなったわたしにいつまでも足を捕られては駄目です。わたしという呪縛から解き放たれて、飛んでください。映司君にはそれが必要です」


 翼を生やすべきなのは俺なのか。

 ティナを忘れたくないという思いの奥底で、彼女の言葉を肯定している自分がいた。コールドスリープという永遠の眠りに入ってしまえば、どんなに願っても彼女と会話することも触れ合う事もできない。そんな彼女と過ごす時間は、俺にとって冷静に考えれば虚無なんだ。それがティナの言う「呪縛」だ。

 自由に羽ばたくべきという解放と、離れたくないという呪縛。その狭間に揺られ、俺はなんて言っていいか、全く言葉が浮かばなかった。その時、ティナは俺の体をぎゅっと掴んで。見上げるエメラルドの瞳は潤んで輝いていた。


「だから、わたしからの最後のお願いです。その時が来たら、笑顔で見送ってください」


 たとえそれが永遠の別れとなっても、最後は笑顔で。

 今の俺にそんな事ができるかどうか、正直わからない。だけど、それが彼女の望みなら。


「わかったよ。最後は笑顔で。約束する」


 俺の答えにティナは満足そうに微笑んで。再び胸元に顔をうずめる。

 そんな彼女を優しく抱きしめて。俺はゆっくり目を閉じた。その時、脳裏に浮かんでくるのは、今までティナと共に歩んできた思い出や笑顔だった。

 多分あと数日もしたら、彼女とこうして触れ合う事もできなくなる。急に泣き出したくなって、でもティナにそれを悟られたくなくて必死でこらえた。

 そのうち俺は眠りに落ちていた。



 翌朝。起きた時、隣にティナはいなかった。

 ほのかに残る彼女のぬくもりを思い出しながら、俺は着ているパジャマに違和感を感じた。

 ちょうどティナの顔があった部分が、ほんの少しだけ湿っていた。

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