第48話「襲撃」
戦場。桐生さんが口にしたその言葉を聞いて頭に浮かんだのは死神との戦闘だった。
いくつもの銃弾が飛び交い、リリーナが死力を尽くし、そして対物ライフルの狙撃で幕を閉じた、俺にとってはじめて経験するまさに戦場だった。
それがここで起きてしまう。ティナがいるこの場所で。そして相手は死神なんかじゃない、同じ血の通った人間。
「奴らの狙いはおそらくティナちゃんだ。オレ達で脱出ルートを確保する。映司君はティナちゃんを連れてここから離脱するんだ」
「なんでティナを……?」
「……死神の力を欲している人間がいるって事だよ。力ずくで奪いたいくらいにな。無線で赤坂を呼ぶ。裏口から出て車に乗り込んで逃げろ」
桐生さんは早口でそう指示すると、「一応、持っておけ」と俺に無線機を手渡した。それを耳に付けると部隊の人達の緊迫した雰囲気が伝わってきた。
「赤坂。正体不明の部隊に襲撃されている。映司君とティナちゃんを裏口から逃がすから車で急行してくれ。現場はこちらで何とかする」
『桐生さん。その施設の場所を知っているのはごくわずかだ。それが襲撃されるとなると内通者か、もしくは最初から知っている人間が後ろで糸を引いている』
「仮に内通者がいるとしても個人が部隊を用意するなんて事はできない。確実に後ろ盾がいるな。そいつが誰かは……詮索している時間はなさそうだ」
『隊長。敵部隊、一階に侵入』
「一階は放棄しろ。東側の階段は破壊。西側と中央の階段で二手に分かれて迎撃する。菅原はそのまま敵の動きを随時伝えろ」
『了解』
桐生さんは無線による指示を手短に済ませるとテーブルの上に施設MAPを広げた。
「オレ達がいる部屋はここ。非常階段は東側の階段を下りて最初の角を右折した先にある。扉はロックされているからこの解除キーを差し込め。パスワードは<37564>だ。そこからエレベーターで一階に降りて外へ出る。そこに赤坂の車がくる手筈になっている」
俺の目の前にカードキーが転がった。それを握った時、脳裏に浮かぶのはリリーナの姿。
この非常事態の中、彼女はどこにいるのだろうか。
「あの、リリーナは?」
「スマホを見てみろ。通信障害が出ている。おそらく人為的なものだ」
桐生さんの言う通り、俺のスマホは圏外になっていた。桐生さんの言葉が正しければ襲撃している敵部隊を何とかしなければリリーナへ連絡はできない。
「この場をオレ達だけで切り抜けなければならない。大丈夫だ。相手は死神じゃねぇ、人間ならやりようはある。映司君はティナちゃんの手をしっかり握っていてくれ」
桐生さんの緊迫感が伝わる険しい表情に俺はうなずき、ティナの手を握りしめた。
下から銃声が響いている。この部屋を出て階段を降りたらそこはもう戦場だ。俺やティナの身を守るものなんて何一つない。流れ弾一発食らうだけで最悪、あの世行きだ。
「行くぞ」
桐生さんのその言葉を合図にティナの震える手を引いた。この中に彼女の命がある。その暖かみを失いたくなんかない。
絶対、ティナを守る。その決意を胸に俺は扉を開けた。
◇ ◇ ◇
遠くで銃声が響く。
階段を下りて二階。建物の反対側で激しい銃撃戦をしているようだった。桐生さんが壁際で様子を伺いながら、追従する俺に手で合図を送る。
素早く脱出ルートへ向かうその時、突然、桐生さんの足が止まった。何事かと無線機のスイッチを入れると、耳元に地獄が広がっていた。
『なんだ。なんだこいつは! 撃っても止まらない! 死なない!』
「なんだ!? 何があった!? 榊原!」
『隊長! コイツ……化け物……』
そこで榊原という人の無線がプツンと途切れた。背筋にざわっと戦慄が走る。
目には見えないけど遠くで人が今、死んだ。そんな考えが頭からこびりついて離れなかった。
その時、震える俺を嘲笑うかのように無線機から男の笑い声が響いた。腹底に響くそれは、まるで生を貪り死をばらまくあの死神が再来したような恐怖をかきたてた。
『こんばんは。生ゴミのみなさん』
「誰だよ。お前は。榊原はどうしたんだよ」
『榊原? 誰ですかソレは。あぁ、そこに転がっている生ごみのことですか?』
「てめぇ。榊原をどうしたって聞いてんだよ!」
『わかりました。ではお答えしますよ』
桐生さんの怒声に男が黙り込んだ。代わりに無線から聞こえるのは、連続で鳴り響く銃声とそれが何かに当たる音だった。
甲高い発砲音に混じってうめき声のようなものが聞こえる。それが今、撃たれている人の断末魔の声だと知った時、俺は吐き気を覚えた。
『これでおわかりになりましたか? 何を撃っているかって? 榊原とかいう生ごみですよ! ヒャハハハッ!』
下卑な笑い声に俺は耐えられなくなり思わず無線を耳から離した。
桐生さんが拳で壁を叩く。悔しそうに奥歯を噛みしめているのが俺にもわかった。
「先に進むぞ。榊原がやられたって事は中央階段が突破されたかもしれねぇ。急がねぇとオレ達に奴らが到達する」
恐怖を呑み込んで再びティナの手を握る。震えながらもしっかり彼女は握り返してきた。まっすぐ俺を見つめるエメラルドの瞳には、「生きたい」という願いが込められているように思えた。
俺達三人は階段を下りた先、長い通路を早歩きで急いだ。あの男の声は聞きたくないけど、状況は知りたいのでおそるおそる無線機を耳に当てる。
『例の化け物は茶髪の男。武装はサブマシンガン。着弾しても死なない。まるで死神だ』
「状況は?」
『中央階段が突破された。損失三名。東側はまだ踏ん張っている。化け物は……東階段を無視して隊長のほうへ向かった!』
慌てた声が無線から響いた時、桐生さんは何を思ったか突然、立ち止まって。
真剣な眼差しで俺を見つめ、大きな手を目の前に差し出した。そこには拳銃が黒く光っていた。
「あの化け物の注意を引き付ける。映司君はティナちゃんを連れて逃げろ。……女神の加護があるといいな」
拳銃を握りしめた俺に顔をほころばすと桐生さんは背中を向けて駆けだした。
残ったのは俺達二人だけ。正直、怖い。拳銃だって撃ったことなんてないし、体力だってそんなに自信はない。それに相手は撃っても死なない化け物だ。
桐生さんがいなくなった事で、心の奥底に封じ込めていた恐怖が一気に湧き出した。
遠くで銃声が響く。きっと桐生さんが戦っている。
だけど足が震えて動かない。一歩を踏み出したくても床に貼りついたようにピクリともしない。
その時、背中に温かくて柔らかい感触が走った。細い腕を体に絡めてティナが抱きついていた。
「……大丈夫ですよ。映司君なら大丈夫です。助かります。それにリリーナさんだってきっとすぐにここに来ます」
ティナの震えながらも優しい声を聞いて。その暖かさを感じて。今ここで俺が動かなければすべてが失われる。
震える足を叱りつける。手で殴って、そして自分の頬をパンッと平手打ちした。痛みが走ると同時に恐怖が少しずつ消えていく。
「行こう」
動き出す足でティナの手を引っ張って。通路を駆け抜ける。
桐生さんの指示通りに最初の曲がり角を右折。その先に奥まで続く一本道の通路は闇に包まれている。
その瞬間、銃声がピタリと止んだかと思うと背筋に強烈な寒気が走った。まるで死神に睨まれているような感覚。……何かがこっちに向かっている。硝煙と血の匂いを纏った化け物が。
俺はティナを連れて駆けだした。
目の前に広がる薄暗い通路は、俺達を飲み込むように闇を増していた。




