第49話「決断(side リリーナ)」
シャワーヘッドから流れる水が頭上に降りかかる。銀色の髪から垂れる水滴を私は黙って見つめていた。
一滴一滴に映司とティナの顔が映りこんで。笑顔も泣き顔も怒り顔も悲しい顔も全てが流れていく。ここに来た当初はシャワーを浴びながらよく泣いていた。滴っているのがノズルから出る水滴なのか私の涙なのかわからない状態だった。とうに涙なんて枯れていると思っていたのに。
そして、自分の想像以上に映司の言葉が心を深くえぐっていることに気がついた。
この「クラシオン」二階に居候をはじめてどれくらいになるだろうか。日数なんてもう数えていない。ここと施設の往復を毎日、繰り返していた。
シオンはティナの中で眠っているのか様子を伺っているのか、あれから現れない。
ティナとは毎日、顔を合わせて会話するけど、以前の状態に戻りつつあると思える。施設に入ったばかりの時は「殺してほしい」と嘆願していた。まるで死神の依代である自分の体を呪っているかのようだった。
今ではそんな事を言わなくなったがあの時、私が銃口を向けて撃てなかったあの日。ティナは「やっと死ねる」と内心、安堵していたと後程、聞かされた。
彼女は映司を蝕む刻印の存在を知って、その一旦が自分にあると知って。身が裂かれるような辛さを感じているに違いない。
そして映司はどうしているだろうか。また眠れない夜を過ごしているのだろうか。
気がつけばずっと彼の事ばかり考えている自分がそこにいた。
陽が落ち、暗闇に包まれる夜。
私は一階に降りカフェのカウンターに座っていた。目の前に天城が立っているが、例のオカマ口調は響いていない。寂しくもどこか優しさを湛えた瞳で私を見つめていた。
目の前に出されているコップに張った水に私の顔が映りこんでいる。悲しくて苦しい、昔の私と比べると脆弱で酷い顔だ。
恋をしたから弱くなったのか? 恋をしたからこんなに苦しいのか?
昔の私なら悩む事なんてなかった。映司を助けたいと思うならティナを殺せばいい。依代の損失によって飛び出した死神を封じ込めれば事は済む。そう考えるに違いないし、おそらく実行しただろう。
だけど今は映司の悲しい顔がちらついて。そんな顔、私は見たくないし、ティナだってもう大切な存在だ。二人とも助けたい。しかしそんな方法なんてどこにあるというのか。
二つの命を置いた天秤が浮かび上がる。片方には映司の命。もう片方にはティナの命。
どちらかを取らなければならない。だけど恋心が邪魔をする。映司に対する特別な感情が私の銃口を妨げる。
決断を下せない私なんて、存在価値すらないのかもしれない。
こんなに苦しいなら。こんなに悩むなら……恋なんていらないじゃないか。
「……なぜ私はここにいるんだろうな」
ぼそっとつぶやいた言葉に天城は微笑みを浮かべて。キュッと拭いたグラスを棚に戻す。
「アタシの顔を見に来たんじゃないかしらん?」
「お前みたいな変態の顔を拝みなんぞ来ない。私はなぜこの世界にいるんだろうな」
「それはあなた自身が決める事じゃないかしら」
「私は願ってここに来たわけじゃない。ただ巻き込まれて来ただけだ」
「うん。もう重症ね。赤坂さんがあなたをここで住まわせるよう決断した理由がわかったわん。リリーナちゃん。人の話を聞かないのね。だからアタシは言ってるの。『それはあなた自身が決めること』って。ここに来た理由なんてどうでもいいじゃないの。あなたがここで何をしたいかなのよ」
天城の言葉を聞いて脳裏に浮かび上がったのは、映司とティナの笑顔だった。
「私は映司を助けたい」
「それだけ?」
「ティナも助けたい」
「それだけなの? やっぱりあなた人の話、聞いてないじゃない。あなた自身がどうしたいかなのよ。映司君とかティナちゃんとか関係なしにね」
頭上に天城の優しい声音が響く。
「ここにはあなたしかいない。アタシはここにはいない。あなたはただ一人、自問自答しているだけ。ここでの話は誰も聞いていないわ」
私自身がどうしたいか。この世界で何を求めるのか。
それは映司との生活に他ならない。彼と共に生きる事だ。それは私が映司の事を好きだから。
何度も言っている。自分で心に問いている。そして何度も答えを出している。映司を助けたいと。
目の前に置かれている天秤のどちらを取るかなんて、本来は悩む必要すらない。ただその後押しがなかっただけだったんだ。私がくよくよ悩んで、苦しんで後ずさりして。手を差し伸べるのを躊躇していただけだ。怖かっただけだったんだ。
もしその決断で映司が私の前から去るのなら、私は……。
「私は映司と共にこの世界で生きたい。願うのはそれだけ。だけどもし彼が私の決断によって目の前からいなくなるのなら……私は映司を助けて、この世界を去る」
顔を上げ紡いだその答えに天城は慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
願うは映司の命。それを守るためなら私はこの世界を去ってもいい。もしティナを殺さなければならなくなったとしたら、彼女を連れて二人でアフトクラトラスへの転移を目指す。再びあの血に濡れた大地へ戻るはめになるが、私と死神にはその方がお似合いだ。
ティナを救う方法も元の世界へ戻る方法も今はない。だがここで悩んでいても始まらない。
天城の笑顔に私も微笑みで返した。しかしスマートフォンが震えた瞬間に笑顔が消え去った。
赤坂からの連絡。短く記されたその言葉は「施設の襲撃」だった。
咄嗟にカウンターから飛び出そうとする私を天城が制する。
目の前に置かれたのは一つの鍵と……スライド部分が銀色に輝くもう一つのベレッタ。
「外にバイクが止めてあるわ。これがその鍵よ。それと拳銃一丁じゃ不安でしょ? アタシの銃、使いなさいな」
無言でうなずくと私はもう一つのベレッタと鍵を握りしめ、「クラシオン」を飛び出した。
脳裏には映司とティナの顔が浮かんでいた。そしてそれを塗りつぶすように闇が噴き出してくる。
それは私の内に秘めていた破壊の女神だ。
◇ ◇ ◇
暗闇を切り裂き、バイクが疾走する。
駆け抜ける風を感じながら、私は「透明な体」を発動させた。施設入り口で索敵の目にて認識できる敵影は五体。
私はアクセルをひねり、バイクをさらに加速させる。目の前にフェンスが迫っていた。
『俺はお前に人殺しはしてほしくない』
映司はそう言った。だがごめん。君を守るためにティナを守るために、私はまた殺人者に戻る。
殺意で意識を塗りつぶしていく。心の奥底から這い上がってくる破壊の女神を受け入れる。私と同じ外見の彼女はこう囁くんだ。
すべてを、殺せ。
フェンスを突き破ったと同時に私は宙を舞った。
バイクだけが駆け抜けていったのを唖然と見ていた見張りの男の側頭部に、宙がえりをしながら銃口を向ける。
索敵の目と自動照準の魔法が、精密に両手に握られた二つのベレッタを動かした。
殺戮の女神の囁きにすべてをゆだね、私は引き金を引く。
「脳漿をぶちまけろ」
銃撃。闇を切り裂く銃声と共に男二人は血と脳漿をぶちまけ地面に崩れた。
着地と同時に加速。素早くベレッタをショルダーホルスターに投げ込み、腰元からコンバットナイフを抜く。残った三人へ音もなく距離を詰めると、未だ状況を掴めていない男の首元に斬撃を走らせた。
一閃と共に首から鮮血を噴き出し男は絶命。続けてもう一人の口を塞ぎ喉を掻き切る。そのまま「全能力強化」で強化した膂力で首をへし折り、地面へ男の死体を投げ捨てた。
残る一人は怯えた表情で誰もいない場所へ銃口を向けている。ただ、私のいる方向に視線を向けた時、男の瞳が恐怖に濡れたのがわかった。
彼の目には何もない暗闇の中、仲間の鮮血だけが滴っているのだから。
「お前達は、私の大事なものへ銃口を向けた。死ね。朽ち果てながら地獄の底で悔め」




