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第33話「淀んだ深緑」

 久しぶりに会ったおばあちゃんは少し痩せていた。

 今年で八十歳になる。でも両足でしっかり立っている様子だとまだ元気みたいだ。

 事前に電話した時、おばあちゃんはすごく喜んでいた。友達を二人連れていきたいって言うと快く承諾してくれて、「その日はご馳走にしようかねぇ」なんて声が少し弾んでいた。


 そして玄関で異世界の美少女たちとご対面したおばあちゃんは少し驚いて。

 当然の反応だと思う。いきなり孫が金銀の髪を持つ女の子を連れてきたらそりゃ驚くだろう。だけどすぐに優しい微笑みに変わって、「綺麗な人を連れてきたね」と語り掛けると居間に案内してくれた。


 座布団に腰を下ろして部屋を見渡す。わずかに鼻に届く畳の匂い。ちょっと色あせた障子に、年季の入った大きな木のテーブル。

 子供の頃の記憶と何一つ変わらない場所がそこにはあった。俺がまだ小さかった時、この居間で向かいに京子が座っていて一緒にカードゲームやったり。みんなで食事をしたり。

 ただ親父である「佐久間裕司」の記憶はあんまりない。何かと家にいない時が多かったし、俺がまだ幼い時に死んでしまった。おばあちゃんの話だと病死らしい。


 葬式をした時のおばあちゃんの顔は今でも覚えている。俺は親父の死という実感がまだ無くてただ茫然としていたけど、おばあちゃんは小刻みに震えていた。それが俺には悲しんでいるというより後悔しているように見えた。

 おばあちゃんは親父の話はあまりしなかった。探偵をしていたというのは聞いたけどそれくらいしか言わなかった。ただ今でも椋見市内に探偵事務所はあるらしい。もっとも今は閉鎖しているそうだけど。


 そこまで記憶を遡って。ふと脳裏に言葉がよぎる。


『君の家族の中に、異世界の人間がいる』


 リリーナの言葉だ。

 テーブルを挟んで向かいに座る彼女は、何か考え事をしているのか無表情で一点を見つめている。

 リリーナがどうやってその考えに行きついたのか俺にはわからない。ただ、もし彼女の言葉が本当ならあの「解析ノート」の説明がつく。少なからず親父は「異世界の人間と交流があった」ということなのだから。それもリリーナやティナと同じ世界の人と。


 急激に蘇る過去の記憶。それは親父が俺にノートを手渡す映像。

 何故、親父はあのノートを遺したんだろう。そして何故、俺に託したのだろう。親父はなんで俺がそのノートを使うことを予期していたんだろう。

 

 親父とあのノートを一緒に作った異世界の人が複雑に絡み合って今の俺に繋がっている。

 そんな気がしてならなかった。


「映司」


 突然、話かけられて思考が途切れる。見るとリリーナが俺を見つめていた。


「失礼ながら君の祖母の名前を知らない。教えてくれないか?」


「さな恵だよ。佐久間さな恵」


「わかった。私はちょっとさな恵さんと話をしてくる。夕飯までまだ時間があるしな」


 スクッと立ち上がるとリリーナは障子を開け、居間から出ていった。置いていかれたティナはキョトンとした表情でただ黙って座っている。

 来たのはいいけど考えてみたら何もすることがない。実家のあるところはいわば本当のど田舎だ。近くに店なんて数えるくらいしかないし、大型のショッピングモールは車で結構走らないといけない距離にある。

 ただいたずらに時間だけが過ぎていく。その時、ティナが何かひらめいたのかハッと顔を上げた。


「あの映司君。わたし、ちょっと見てみたい所があるんです」


「見たい所?」


「映司君が育ったこの場所でよく行っていた所とか、遊んでいた所とか。見てみたいんです」


「うーん。記憶もおぼろげなんだけど、行けば思い出すか。よし行ってみよう」


「はい」


 優しく微笑んだ彼女の顔は天使のようで。俺の目には後光どころか純白の翼まで舞っていた。

 おばあちゃんに一言いっていこうかと思ったけど、リリーナが戻らないところを見ると何やら話しをしているのかもしれない。邪魔しちゃまずそうだし居間に置手紙だけ置いておくことにした。



 ◇ ◇ ◇



 誰もいない小さな公園。古ぼけた神社。おもちゃやカードゲームを売っていた小さな店。

 子供の頃の記憶を頼りにティナを連れて歩く。優しくそれでいてしっかりと彼女の手を握りながら。

 公園や神社では夏はカブトムシとか捕れていた。今はもう閉店してしまったけど、小さなおもちゃ屋では京子と一緒によくトレーディングカードを買いに行っていた。

 実家の近くにある少し大きめのスーパーマーケットは、よくおばあちゃんに連れられて買い物に来ていた。休校だったけど俺の母校は健在だった。よくこの校庭でも遊んでいた。


 記憶の奥底にしまっていた子供時代の思い出が鮮明に蘇ってくる。俺はその場所に行くたびにティナへ過去の話をした。

 ここで何をして遊んだとか、ここによく買い物に来たとか。ここの犬がすごく吠えて怖かったとか。そんな他の人が聞いても大して面白くもない話をティナは熱心に耳を傾けていた。

 思い出した場所をざっと巡って。少し陽が傾きはじめた時、俺達は綺麗な小川を見て休憩していた。


「どうして急に見たいと思ったの?」


「映司君の育った場所や思い出の場所を見てみたかったんです。もっと映司君のことを知りたいと思って。わたしは何も知らないから」


 ポッと頬を赤らめてティナはそう言うと金髪をなびかせた。麦わら帽子から溢れるそれは黄金の糸のように煌めいて。

 だけど小川を見つめる彼女の瞳は、真逆に暗く淀んでいるように見えた。


「わたし、最近、夢をみるんです」


「どんな夢?」


「真っ暗な場所でわたしが座っていて。だけど身動き一つできなくて。その時、わたしの中から何か黒いモノが出ていくんです。それが人型になって目の前にいる人を飲み込んでいく、そんな怖い夢です」


 ティナは両手でぎゅっと自分の体を抱きしめた。わなわなと震えながら、まるで人が変わったように目を見開いて。

 いつもの天使じゃない。そこにいたのは寂しくて怖くて部屋の隅で一人、子猫のように震える薄幸な少女の姿。


「目が覚めた時、いつもこんな状態になるんです。怖くて寒くて、その夢が現実になるような気がして。いずれその黒いモノが映司君も飲み込んでしまいそうで……」


 俺はそっと優しく彼女を抱きしめた。

 そんな事にはならない。そう胸に秘めながら、その言葉が彼女に届くように。凍てつく体を溶かすように。

 ティナの震えが止まっていた。まるで冷えた体を温めた時のように、はぁっと安堵感に満たされた、そんなため息を漏らして。そして抱きしめる俺の腕をそっと握る。


「……温かいです。本当に映司君は温かい。できることならずっとこの中で生きたい」


「いいんだよ。君はずっとこのまま……」


「だけど」


 まるで俺の言葉を遮るようにティナの声が響いた。


「それはただのわたしの願望なんです。他の全てを犠牲にした、その上で成り立っているわがまま」


「わがままでもなんでもいい。前に言ったよね。君はここにいていいって」


「はい。あの時は本当に嬉しかった。わたしを認めてくれた、ここにいてもいいって言ってくれた事がとても嬉しかったです。だけどわたしにはその資格がありません。リリーナさんのように聡明で強くない。彼女のように映司君を守ることなんてできない。ただ身の回りの世話をしてそのつもりになっているだけ。本当にリリーナさんが羨ましい。嫉妬しちゃいます」


 彼女の言葉がどこか冷たくて無機質に聞こえた。

 しっかり抱きしめているのに、実は彼女はそこにいなくて。幻影をただ抱いているだけのような感覚が俺を襲った。

 なんで急にこんなことを言いだしたのか見当もつかない。まるで彼女の中身が入れ替わったかのようだった。だけど手を離したらもうどこか遠くへ行ってしまうような気がして。俺は思わず抱きしめる両腕に力を込めた。


「リリーナはリリーナだ。君とは違う。君はそのままでもいいから。だから離れないでほしいんだ。どこにも行かないでほしいんだ」


「……それじゃ一つ、聞いてもいいですか?」


「いいよ。なに?」


 その時、俺の両腕から温かさが消えた。

 掴んでいた手を離し両手をだらんと下げたティナが前を見つめている。その目は人形のようだった。まるでここではない別な場所を見ているような、そんな淀みを湛えて。

 彼女はゆっくりと唇を震わせた。


「わたしとリリーナさん、選ぶならどちらを映司君は選びますか?」

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