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第26話「天城トーク(side リリーナ)」

 映司のこと、好きなの?


 その言葉を耳にして私は、ぶふっと口からオレンジジュースを噴き出しかけた。

 無理矢理、それを飲み込むと京子を睨みつける。


「誰があんな男を!」


「そのわりにはわかりやすい反応だったけど。あんた、意外と可愛いとこあるのね」


「やかましい。これだから胸のデカい女は嫌いなんだ」


「あたしも人のこと言えないけど素直になれば? まぁそんなだから胸小さくなるのよね」


「うるさい。いいかよく聞け牛女二号。私は少なからず映司がデレデレのティナよりは胸はデカい!」


「あたしからしてみたらどんぐりの背比べなんだけど」


「あら~ん? バストサイズの話かしらぁん? アタシ、バストサイズには自信あるのよぉ~ん」


「やかましいぞ珍獣! お前の胸筋のサイズなんぞ聞いてない! ひっこんでろ!」


 ガールズトークに混ざりたかったなどとメソメソ言いながら、天城がカウンターの裏へ消えていくのを一瞥して。

 落ち着かせるためにジュースを一口飲んで、目の前の京子へ視線を戻した。冷静になってみると普段の彼女とは何かが違う。視線も言葉も棘がなく柔らかさがある。


 私の心を見透かすように見つめる彼女の瞳を見て。一時的とはいえ平静を失ったということは、つまりそういうことなのだろう。

 京子の言う通り「好きなのか」どうかは正直、私にはわかっていない。ただ他の男性より明らかに意識しているのは確かだ。そうでないならわざわざ慣れない化粧などしないし、服装を選ぶのに時間などかけない。そんなことをしようと思ったのは彼に綺麗だ、可愛いと言って欲しいからに他ならないから。結局、猫耳まで付けたのに何も言わなかったがな!


「……映司さ。アイツと会ったの小学生の時だったんだ」


 私の意識を突然、引き付けたのは京子の声だった。何を思ったのか彼女はおもむろに映司の過去の話を語り始めた。


「父さんが死んでから……あー、えっと生きてたんだっけ。まぁいいや。それからね。母さんと引っ越したの。その引っ越し先が映司の実家の近くだった。今じゃ信じられないけどアイツさ、小学生の時はわりと影が薄かったんだよ。すごい地味でしかも幽霊が見えるとかさ。いじめられる要素てんこ盛りじゃん。だからあたしさ、守ってやろうと思っていつも一緒にいた。そしてアイツと話したりゲームしたりしているうちに……好きになった」


 好きになったの一言で、胸の中が一気にカーッと熱くなるのを感じた。


「そんなある日、アイツに初恋の人ができた。でもそれはあたしじゃなかった。クラスでも人気の高いお嬢様って感じの子。そのわりにはお高くとまってなくて誰にでも優しい優等生だった。映司がさ、あたしに『その子に告白する』って言いだしたときはびっくりした。だって積極的じゃないアイツがいきなりそんなこと言うとは思わなかったから。その時、あたしは嫉妬した。笑顔で頑張れよって言いながら陰でフラれろって思ってた。その優等生の子も妙に憎たらしくなった。何も悪くないのに」


 嫉妬……か。

 あの時、映司とティナがキスしそうになった時。心の中に渦を巻いた感情はそれに近かったかもしれない。


「その後ね。映司はフラれたよ。あたしは内心、喜んでた。これでやっとあたしの下に戻ってきたんだって本気で思ってた。だけどその時、自分の醜さに気が付いた。その時のあたしは傷ついた映司を見て喜んでる最低の女だって。それからあたしはずっと映司の傍にいようと思った。たとえアイツがあたしを好きにならなくても、ずっと友達だと思っていても。それがあたしみたいな最低な女にそれでも普段通り優しく接してくれるアイツに応える方法だと思ったから」


「そこまで想っていながら友達だと言い続け、思いの丈をぶつけることもできず、今までずっと引きずり続けているわけか。映司がそれでいいと思っているからと勝手に思い込んで、友達でいることを演じ続けてきたわけだ。もし全てを告白したら映司との今の関係が壊れてしまうかもしれない。それがお前には怖くてできなかったわけか」


「そう。あたしの中ではもう『友達でいたい』なんてそんな境界線はとっくにないのに。映司とも今まで通りではいかないってわかっているのに。結局、現状を打破できない情けない女なの」


「ふん。つまりお前はヘタレ女ってことでいいのか。それで、そんなヘタレの過去の話をいきなり聞かせて私に何を求めるつもりだ?」


「別に。なんとなく話したくなっただけ」


 一呼吸、置いて。コーラを手に取ると京子はストローを唇で挟む。

 水滴のついたグラスの中に浮かぶ炭酸の泡は、まるで彼女の映司への想いのようにパチンとはじけ儚く消えていく。

 コトンとグラスを置く音が響いて。私を見つめる京子の目はまっすぐで意思の強さがそこにはあった。


「ねぇ。あんた。あたしに協力しない?」


「……協力とは?」


「はっきり言うけどあの子に取られたくない。だから協力してほしい。映司のこと別に好きじゃないんでしょ? それならいいじゃん。あたしはアイツが好きだし離れるつもりないし」


 じらすつもりはないが沈黙を置く。

 正直、答えなど決まっている。だがあえて考えてみた。映司のためを思ったら誰が彼の傍にいるべきなのか。彼の理想、彼の想いそれら全てを一度、無にして純粋に映司のことだけを考えたら、誰がもっとも相応しいのか。

 ティナか私か。それとも栗林京子か。


「はっきり言おう。映司のことを考えたら彼の傍にいるべきなのはティナでも私でもない。お前だ」


 そうだ。私達は|この世界の住人じゃない(・・・・・・・・・・・)。

 この世界に慣れてきて、楽しんで忘れたと思い込んでいるだけだ。この世界を有意義に生きているのは映司や赤坂といった協力者あってのこと。一人だと何もできない。

 そんなティナに比べたら京子のほうが彼の将来を考えて理想の人間に決まっている。ましてや殺人者の私なんぞもっての外。


「だがそれを知っていながら私はお前に以前、言った言葉をそのまま言うだろう。そしてそれがさっきの問いの答えになる」


「……『お前は踏み込んではいけない領域に片足を突っ込んでいる。事が済むまで引き下がるべきだ』だよね」


「よく覚えているな」


「その時、すごいムカついたからね。頭の中に何度もこの言葉が響いたよ。でもどうして?」


「ティナのこととか私の映司への感情とかそんなのはすべて無しにしたとしても、お前は映司に近づかないほうがいい。これは何も意地悪で言っているわけじゃない。お前のためを考えて言っている」


「だから、それがわからないって言ってるの!」


 空気を切り裂くように語気を強めた京子の声音が耳に響く。

 目の前にいる彼女の瞳は真剣そのものだ。鬼気迫る表情は、生半可なごまかし程度では引き下がらないことを意味している。相手を納得させるためには、真実を告げるしかない。


 すまない映司。同じ女としてわかってしまったんだよ。コイツは本当に君のことが好きだ。だからこのままだと絶対、引き下がらないし思わぬ形で巻き込まれるかもしれない。

 だからこそあえて真実をもって彼女に引き下がってもらおう。


「……残り二百日未満」


「何よ。それ……」


「映司の残りの寿命だ」


 一瞬、京子の体が硬直したのを見て取れた。怖れか驚愕か、あるいは両方で体をわなわなと震わせて。

 口元だけはまるで平静を装うようにきつく結ばれ、次第に瞳に鋭さが宿ってくる。


「冗談だよね?」


「今の私が冗談を言う顔をしているように見えるか?」


「病気……なの?」


「病気ならお前に近づくななんて言わない。殺害だよ。他人による一方的で理不尽な殺し。あと二百日たらず……来年の卒業式の日に映司は殺される」


「警察に……!」


「無駄だ。相手は人間じゃない。サディストで人間をゴミとしか思っていない頭のイカれた死神だ。そいつがその日に映司の首を狩りにくる。もっともそれはタイムリミットでしかなく、その前にすでに襲いかかっているがな。……この話を信じる信じないはお前の自由だ」


 そこまで口にしてオレンジジュースを唇へと運ぶ。先程まであったはずの果実の酸味が何も感じなくなっていた。まるで色のついた水を飲んでいるみたいだ。

 私自身、先程の言葉で残された時間の少なさを否応なく考えさせられる。彼の刻印を何とかしたいのに、部隊も発足したというのに肝心のシオンが現れない。探す方法もない。見つけられない。

 ここまで無力を感じたのは、今までなかったかもしれない。


 きっとそれは目の前の京子も一緒だろう。

 おそらく彼女の頭の中では、自分は映司のためにどうすればいいか、それを考えているに違いない。だけど同時に自分では何もできないことを理解している。

 気が付くと京子の体の震えは止まっていた。


「どうすれば助かるの?」


「そいつを殺す、と言いたいが死なないんだよ。伊達に死神じゃない。だから無力化させるしかないな。そしてそのために私がいる」


「あんたの素性については聞かないほうがいい?」


「聞いても理解できんだろうよ。それにお前が聞く必要もないし利点もない」


 わずかに残っていたジュースをすべて飲み干して。コトンとテーブルに置くと京子の瞳を見つめた。

 それは不安ながらも信じていると思わせる真剣な眼差しだった。


「さっきのお前の言葉、そのままお前に返すよ。映司を助けたかったら『協力しない』か?」


「どうすればいいの?」


「映司に学校以外では極力近づくな。学校では映司に普段通りに接しろ。だが二人っきりになったり変に付きまとったりするな。さりげなく自然に距離を取れ。彼を心配させないこと、巻き込まれないこと。それがお前に唯一できることだ」


 視線を落とし思案にふける彼女をしばらく見つめて、ゆっくりと私は席を立った。


「付き合わせたのは私だから金は払っておくよ」


 返事がない京子の脇を通り過ぎる時、私は立ち止まり瞳だけ動かした。

 石のように固まって動かない彼女を決心させるために、言葉を選ぶ。


「さっきの話、忘れるなよ。映司を助けるため、お前が助かるためにな」


 カウンターにいる天城に金を払い、店のドアを開けた。カランとした鈴の音が寂しく耳に響く。

 外は夜でも蒸し暑さは続いている。気持ちの悪い湿り気を含んだ空気に触れながら空を仰いだ。


 無性に映司に会いたかった。




「恋い焦がれる少女の顔。いいわね」


 その時、背筋にゾクッと寒気が走る声が響く。目の前の闇が歪むと同時にそれは次第に人型を形成していった。

 聞き覚えのあるクソ女の声だ。反射的にバッグの中へと手を忍ばせそこにあるベレッタの銃身を私は掴んだ。


「……意外とロマンチストなんだな。死神」


 闇夜に輝く血のように赤い瞳。黒と赤を基調としたショートドレス。長い黒髪が浮かび上がる。

 妖艶な肢体を動かしてシオン・デスサイズは私に歩み寄った。漂う死の臭いと強烈な寒気は変わらない。だがそのルビーの瞳に敵意は感じなかった。


「そろそろ頃合い。あなたもそれなりにこの世界に馴染んだ。武器も手に入れた。ようやく私も楽しめるというものよ」


「こちらにわざと準備させる時間を与えたというつもりか? 随分、余裕なんだな」


「前にも言ったはずよ。抵抗しないあなたなんてつまらない。弱いあなたに興味なんてない。お互いが相手を殺せる状態でこそやっと私も楽しめる」


「そんなに私と殺し合いがしたいなら映司の刻印を解除しろ。それなら地獄の底まで付き合ってやる」


「それはできない相談だわ。解除したいなら……私を殺しなさい。銀の賢者」


 即座に発砲。素早く抜いたベレッタの銃身から火が吹き、弾頭が闇夜を切り裂く。

 だがそこに死神の姿はなく、ただ笑い声だけが何もない空間にこだましていた。


「そのうち遊びましょう。楽しみにしているわ」


 その言葉だけを残して。

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