第24話「あなたの記憶だけでいい」
ついにこの日がやってきた。
前々から計画していたティナとのデートの日。幸先よく外は晴天だ。コースは京子と一緒にティナに合わせたものを考えたし、プレゼントも用意済み。計画は完璧だ。
俺はTシャツの上に黒のコーチシャツを重ね、ボトムスはデニムのスキニージーンズをチョイス。そしてポケットにあのリリーナと一緒に買ったアメジストのピアスを忍ばせた。
部屋を出た俺はティナを連れ玄関へ。彼女の着ている服装はどこかで見覚えがあった。シンプルな白いワンピース。それは俺がはじめて彼女に買ったあの天然繊維のものだった。
「……そのワンピースにしたんだ」
「はい。これは映司君にはじめて買ってもらったわたしの宝物なので」
少し頬を染め笑顔で語るティナはすごく可愛らしくて。これからのデートに否応なくテンションが上がってしまう。
留守番を頼んだリリーナへ視線を向けると、うつ伏せでソファーに寝っ転がりスマートフォンを見つめていた。綺麗な足がパタついているいつもの光景だ。
「んじゃ留守番、頼んだ」
「さっさといけ。ただでさえ暑いのに君らを見ているともっと暑苦しくなる」
まるで追っ払うかのように手をパタパタさせている彼女に、俺は苦笑すると家を出た。ティナの麦わら帽子から流れる金髪が綺麗に揺れていた。
京子と考えたデートプラン。そのうちの一つ。
それが都心部であるにも関わらず緑豊かな公園「美玲渓谷公園」だ。ティナは自然が好きだということと、リリーナの前情報で「よもぎ団子」が好きであるのを考えここにした。
遊歩道から階段を伝い渓谷を上り、出口の近くにある和菓子屋でよもぎ団子を食べるコース。我ながら完璧だ。
葉っぱの隙間からこぼれる陽の光と、すがすがしい深緑の匂いが鼻をくすぐる。
周りの景色を見ながら歩くティナはとても楽しそうだ。近くに川が流れていてサワガニがいたり、可愛い小鳥がさえずっていたり。金髪をサラリとかきわけて鳩を眺める彼女はとても綺麗だった。俺もひさしぶりの森林浴を満喫した。
彼女を連れ添って歩いているとすれ違った老夫婦が、「こんにちは。仲が良いのねぇ」と微笑みかけてくれて。他の人から見たら恋人同士に見えているのだろうか。同じ想像をしたのかぽっと頬を赤くしたティナを見て一気にテンションが上がる俺。あぁ可愛い。俺の嫁と大声で叫びたい。
その後、頂上でちょっと早めの昼食。この日のためにティナが腕によりをかけて作った弁当に舌鼓を打ち、下り道で噂の和菓子屋を発見。そこでひとまず休憩。
なんでもこの和菓子屋はよもぎ団子が美味しいことで有名らしい。まさにティナにうってつけの店だ。
綺麗な景色を眺めながらよもぎ団子を食べ、お茶を飲む彼女はとても幸せそうで。それはとてもいいことなんだがどうもティナは、リリーナと違って好みが古臭いというか、渋いというか。詳しい話は知らないけど実年齢はリリーナより若いそうだが、どう見てもティナのほうが年上に見えてしまう。
よもぎ団子を食べた後、俺達が向かう場所はデートプランのうちの二つ目。椋見水族館だ。
家族連れで賑わうこの水族館の目玉は水中ドームだ。巨大な水槽の中に一本、通路ができていてその中を歩くというもの。
三百六十度どこ見ても魚が泳ぐ光景は、まさに水中を歩いているような感覚だ。大小さまざま、色とりどりの魚達が泳ぐ様はまるで舞台で踊るダンサーみたい。
これにはティナもびっくり。感嘆の声をあげて周りを眺めては立ち止まっていた。真下を通る魚にスカート部分を気にする彼女が少し微笑ましい。というかそれ魚だから気にする必要ないと思うけど。そして堂々と真下を通れる魚が少しうらやましい。
水族館を一通り見て歩いた後、珍しくティナの方からおねだりがあった。なんでも行きたい所があるらしい。
目的地は「椋見屋」という店。聞いたことはあるけど行ったことがない場所だった。スマートフォンで検索すると水族館よりもっと都心部で、以前リリーナといったアニメグッズショップの近くだ。
タクシーを拾いその場所へ向かう。たどり着いたそこは五階建ての大きな店だった。看板には「椋見百貨店」と書いてある。
ちょっとたどたどしくも瞳を煌めかせるティナに俺はついていった。彼女は迷うことなく地下へ。そこに広がるのはフードコーナーやギフトショップ、そして生鮮食料品の店がたくさん。
あの、これってデパ地下ってやつですか。
「デパ地下というものに行ってみたかったんです!」
エメラルドの瞳を輝かせて言うティナ。その発想、まじで主婦!
いや家庭的なのはいいことだし、そういう子は好きだけどせっかくのデートが……と頭を悩ませている俺を置き、ティナは物色を開始。「映司君の好きそうなのは~」とか「リリーナさんが食べそうなのは~」など惣菜を選んでいる。たぶん彼女の頭の中はデートのことじゃなく、今日の晩御飯のメニューのことで埋め尽くされているに違いない。
その後、惣菜がたくさん入った袋を両手からぶら下げ、椋見百貨店を出る。なんで俺、デートしている最中に今日の晩飯のおかず買ってるんだ……。
「すごい楽しかったです。帰って晩御飯の準備とお洗濯をしないと……」
いやまって! デートはまだこれからなんだから!
少しテンション下がった状態でデートプラン最後の場所、夜景が綺麗だという「恋人岬」へ。
ここからは椋見市内の夜景が見れるということで、京子の話ではデートスポットとしてはメジャーらしい。
ちょうど景色が見られる場所でティナと並んで椅子に腰かける。夕陽で街は赤く染まっていて、もう少しすれば夜景が見られそう。
ふと隣に座るティナへ視線を動かす。吹き抜ける心地よい風に金髪をなびかせて。夕陽のせいかきめ細やかな肌をほんのり赤く染めたティナは、とても綺麗だった。
思い出せば彼女に一目ぼれした時も夕陽に照らされていた。同じようなシチュエーションだけど今の彼女は泣いていない。
やせ細っていた体も少し回復して、汚かった奴隷服みたいな恰好も綺麗なワンピース姿になって。大粒の涙の代わりに優しい笑顔を浮かべていた。
彼女がどうやってここに来たのか、記憶を失う前は何をしていたのか俺にはわからない。ただ俺はそんなことはどうでもいいかなと思っていた。
大事なのは今だ。彼女が過去に辛い思いをしてきたことも含めて全て忘れて、これから幸せになればいい。そして俺はそれを手助けしたい。
いや、むしろ俺が彼女を幸せに……。
そっとポケットの中にある「アメジストのピアス」に触る。俺にはまるでそれが指輪のように思えた。
ふと彼女と目が合う。ティナはその時、俺に優しく語り掛けた。
「映司君も知っていると思いますがわたしには記憶がないんです。子供の頃の記憶だけ少し残っている程度で。その時のわたしは男の人に殴られて、小さく縮こまって震えていて。窓が一つしかない部屋でただ黙ってそれを見つめながら夜、いつも泣いていて」
突然、耳に入ってくる彼女の過去の話に俺は、ピアスを出せず掴んだまま黙って聞いていた。
過去のことなんてどうでもいいと思っていながら、聞き入ってしまう自分がそこにはいた。
「わたしは、でもいつかはこんな生活から救ってくれる人がいるんじゃないかなって僅かな希望を持っていました。でも世の中は冷たくて、結局そんな人はわたしの前に現れなくて。そして記憶さえも曖昧になってしまいました。だけどこの世界に来て、ようやくわたしを救ってくれる人に出会ったんです」
沈みゆく夕陽に照らされるのは、花のように可憐なティナの笑顔。それを目にして俺の心臓はビクンと跳ね上がった。
「その人は映司君。あなたです。映司君はこんな何もできないわたしに全てを与えてくれました。そしてここにいていいと言ってくれました。その言葉にわたしは本当に救われたんです。こんなわたしでも生きる価値があるんだって」
全身を激流のように熱い感情が駆け巡る。今すぐ彼女を抱きしめたかった。そしてきっと腕の中で包み込んだら彼女を離したくなくなる。二度と。
「わたしには記憶がないけど、今はそれでもいいかなと思っています。だってあなたの記憶があればそれでいいから。映司君の記憶さえあれば、わたしはそれで生きていけるから」
とても嬉しかった。救いたいと思って頑張って、そしてそれが叶っていることが嬉しかった。
狙ったわけでもなく自然とポケットからピアスを取り出す。そして沸き上がる熱い感情に震える声で、「これプレゼント」とティナに差し出した。
彼女はそれを受け取って、「ありがとうございます」とお返しとばかりに満面の笑みを浮かべる。それを見た時、俺の中で何かが弾け飛んだ。
ぎゅっと彼女の手を握る。そしてゆっくりと唇を近づけた。ティナはエメラルドの瞳を煌めかせて俺を見つめている。
肩が触れて。そして吐息がかかる距離で唇が混ざり合おうとするその時。
「うひゃぁ!」
人間なのか何かの動物なのかわからない奇妙な声が耳に響いて。びっくりした俺は咄嗟にティナから離れた。
すぐさま周りに視線を巡らすも誰もいない。先程の声も何も聞こえなかった。
落ちていく夕陽よりも顔を真っ赤に染めたティナがうつむく中、せっかくのチャンスを台無しにした謎の声に内心、怒りを秘めながらため息を吐き出す。
おもむろにティナが恥ずかしそうに視線を逸らしたまま、小さくつぶやいた。
「そ、そろそろ帰りましょうか。リリーナさんも一人で寂しいでしょうし」
「そ……そうだね」
完全にタイミングを失ってしまった俺は、やむを得ず帰宅することにした。
ただ帰り道、ずっと気になっていたことがあった。
あの声。京子に似ていたような気がする……。




