55《火蓋》
乾燥した冷たい空気に僅かに匂いがある。
新たに設置された防壁は森を包もうとするかの様に、サイラーク側に接する森の外周部に2kmに渡って急造された物だ。土台こそ鉄製だが、その上の構造物は全て木材で構成されている。
この辺りでは地中に埋蔵している金属が乏しく、晴彦曰く土台部分に使う金属を吸い出すだけで精一杯だったそうだ。
防壁と、そのど真ん中に建てられた砦は、手の空いている国民全てと、資材運搬にドレイク種達をも動員して完成した。
獅冬の設計した砦部分は三階建。木製ながらも堅牢な造りで、火災に備えて魔道具水栓を改良したスプリンクラーを数カ所に備えており、並の攻撃なら寄せ付けないだろう。
その最上部、屋上に設置されているのは長い、大型の望遠鏡だ。遮蔽物の無いなだらかな地形と、澄んだ大気の中では驚く程に遠方まで見渡せる。
望遠鏡を覗くと、遠く遠く離れた先に見覚えのある巨大な人影が数多く見える。
「なぜ……トロールが」
トロール達は以前見た時の様な上半身裸ではなく、てらてらと嫌に艶光る革鎧を身に着けている。
半数ほどが手に持っているのは荒い作りながらも確かな威力を感じさせる大きな直刀だ。残る半数は武器を持たず、代わりに何やら攻城兵器らしき大きな木組みや、大きな荷車を引いている。
多くのトロール達を率いて先頭を進む数体は、やけに頭部が小さく、それが移植された亜人の頭部だと気付くのに少し時間が掛かった。
敵部隊の先頭を歩くトロール達が木組みを押しながら進んでいる為か、あるいは後ろに控えているであろう正規軍との歩調を合わせる為か、行軍速度は目に見えて遅い。早めに見積もっても此処まで二時間以上は軽く掛かるだろう。
トロール達の両サイドには、同じく亜人の頭部を移植された馬型の魔物であるバイコーンや、恐らくはハヌマーンと呼ばれているらしい大型の猿人達が数体ずつ散らばり、どこから集めてきたのかは分からないが、ハイブリッド種のそれぞれが数十体に及ぶ群々を率いて此処へと押し寄せて来ている。
戦慄すべき事だが、亜人族の頭部を移植され、知能を持った魔物と化したリーダーに群れが従っているのだ。風に乗って来る、すえた臭いの元はあの魔物達の群れだ。
突然腰にぶら下げた無線から声が聞こえる。
『真明さーん、聞こえますかー? やっぱり魔物達の後ろに本隊ぽいのが続いてますー』
「……数はどうだ?」
『数は……えーっと、百人ぐらい? の固まりが八個。真ん中に旗の立ってる凄い豪華なでっかい馬車がありますねー。魔物の方は……ちょっと多すぎて分かりません……なんかトロールはでっかいスプーン? みたいなのが付いてる木組みを押してます。アレって……』
「あぁ、予想はしている。夏美、デジカメでそいつらの写真を取ったらすぐ戻ってくれ」
「はーい」
――――――――――――――――――
砦の二階部分、会議室として使用するために作られた大部屋には連絡を受けた皆が集まっており、部屋に入れないカザードとカシードにも無線を介して話に参加出来るようにヘッドセットを付けさせてある。トリトスにも無線を入れたが、貸し出した脱出用ラフトの周辺に人が居ないらしく、無反応だった。
「ナツミちゃんの報告だと、正規軍は約八百。リアちゃんが聞いてきてくれた貧民街からの情報とも一致してるね。これは僕らの予想より少し少ないけど、魔物を連れてくるとは……さすがの僕も思いつかなかったね。リアちゃんも無事だと良いけど……」
リアは何度か王都内部への侵入と脱出を繰り返して、情報収集と貧民街に残った仲間達との連絡を受け持ってくれていた。予定では今日の深夜、いつも通り闇に紛れて王都を脱出、カシードで回収する手筈だった。
「てめぇ! リアは大丈夫に決まってるだろう! それに馴れ馴れしくリアちゃんとか呼ぶんじゃねぇよ!」
「そんな怒らないでよ、御 兄 さ ん」
「ぐぬぁ!? てんめぇ……!!」
「インラウス、少し落ち着け。ジェラレオも、そういうからかい方をするな。お前がそんなだからエリアスに軽視されるんだぞ。」
「そうですねー、ちょっと不誠実な感じしますよー? エリアスさんもこないだ『ウザい』って言ってましたもんねー」
「いえ。私は『ちょっと鬱陶しい』と申し上げただけです」
「なぁ!! え? それほんとに?? そ、そんな……!? 」
「ゴホンっ! ジェラレオ、それぐらいにしておけ。それにしても些か数が多すぎますな。マサアキ殿、如何致しますか?」
その場に崩れ落ちるジェラレオを尻目に会議を始める。
「……カザード。魔物達を統率しているハイブリッド種……リーダー格の個体を止めれば群れは引くと思うか?」
『兄上、散るとは思いますが……引きはしないかと。むしろ散り散りになって群がられる方が厄介です。あの数全て倒すには我ら竜族でも難儀致します。特にトロール共は元々我らを恐れませぬ故、全てを引き裂くには時間が掛かるかと……』
「……そうか。」
「真明さん、それよりコレ。映画とかで見たことあるんですけど」
夏美が見せるPDAにはデジカメが繋がっており、撮影してきた短い動画がリピート再生されている。映っているのは大きな木組み。トロールが三人がかりで押しているソレは恐らくカタパルトと呼ばれる物だろう。動画で確認できるだけでも十台は越えている。
「どう見ても中世のカタパルトッスよね。押鐘さんの手帳に、簡単な原理をエールブリッツに教えたって書いてあったッスけど……」
「あぁ……。まさか大型化してトロールに運用させるとはな。」
「マサアキ、その”かたぱると”とは何なんだ?」
使い慣れた様子でPDAの画面をドラッグ、二本の指でピンチアウトして画像を拡大表示しているセラスが尋ねてくる。
「カタパルトは俺達の世界で、かつて使用されていた攻城用の兵器だ。錘の落下作用で反対側に載せた石などの投擲物を放り投げる物だ」
「なるほど……工業科の資料に載ってた”てこの原理”という奴ね?」
専門科はまだ稼働していないが、授業用に資料の準備を手伝っているセラスは目を通していたようだ。
「その通りだ。晴彦、クモ……シュピンナーはどの程度出せる」
「んー、フル装備ですぐに出せるのは三機ッス。夏美姉のも入れれば四機、調整中のも入れたらもう二機出せるッスけど」
「ふむ……晴彦は二機の調整を急いでくれ。歩けさえすれば構わない、銃器の代わりに化学消火器を積んで置いてくれ」
「あぁ……なるほど。了解したッス」
敵の手元には原油がある。備えるに越したことはない。
「グスタブ、シュピーゲルの搭乗訓練を終えている者から優秀な六名を選抜、外周部防壁の防衛準備に掛からせてくれ。」
「了解致しました。」
「獅冬とセラスは民間人の避難誘導を頼む。特に子供達は電波塔内部へ優先的に避難させておいてくれ。」
「おぅ、任せろ。」
「それとフェリアルからの連絡が有るかも知れん。エリアスは無線を手放すな。」
「かしこまりました。」
「残る者はこの砦で時間を稼いだ後に防壁内まで後退。俺はその隙に……この馬車、公爵サマ御本人にお目通りを願う。」
PDAに映る、豪奢な馬車を差して言う。
「マサぁ、またお前は……」
「いやいや、今回は違う。…………獅冬。俺達の最大の敵はなんだ?」
「んぁ? 最大の……あー、空からの攻撃とかか?」
「いや、それもあるが。……最大の敵は数だ。個人の力や技術がどれだけ優れていても圧倒的な数の前では為す術はない。ただの偶然か、知略家なのか……エールブリッツは俺達の最大の弱点を的確に突いて来ている。」
「それならよ……ドラゴン達に頼みゃあ良いじゃねぇか」
「それは最終手段だ。だが、もしその手を使えば、その瞬間から俺たちは独立国としての威厳を失う事になる。少なくとも初戦で大っぴらに力を借りるべきではないだろう」
「んなこと言ってもよ……」
「タスクの精鋭を護衛に付ける。何も背水の陣を気取ろうとしてる訳ではない。奴らがこの砦に食らいついている間に諸悪の根源に挨拶に行こうと考えたんだ。」
「……その言葉。信じて良いんだろうな?」
「勿論だ。獅冬はセラスをしっかり守ってやれ」
「お? おう! 言われるまでもねぇよ!!」
張り詰めていた緊張の糸が幾らか和らぎ、皆の顔に少し笑顔が戻る。一人も掛けること無く、守りきらねばならない。
「真明さん、私も行きます! ……って言いたい所なんですけど」
「ん? なんだ言わないのか。身構えていたのに拍子抜けだな」
口元に薄く笑いを浮かべながら言うと、夏美もニヤリとしながら言い返す。
「そらもう……家守るんも妻の役目ですから」
あまりにもストレートに不意を突かれ、一瞬固まってしまう。
「また……お前はそんな事を……」
「がははははっ!! マサ! 今回はお前の負けだ!!」
今度こそ部屋中が温かい爆笑に包まれる。笑いのネタにされるのは好きではないが、今度ばかりは許容しよう。
「あのー、真明兄。王都のリアマーラさんへの救援はどうするんスか?」
「リアか? まさかこの状況で飛ぶとは思えんし、急いで向かえに行ってやりたいとは思うが、手が足りん。幸い潜伏先は安全らしいし、一旦戦況が落ち着いてから迎えを寄こすつもりだが」
「落ち着いてからッスか……。んじゃあ自分が迎えに行くッスよ」
「そうだなそれが良い……。は? ちょっと待て。晴彦、お前が? 王都まで?」
「そうッス。」
「いやいやいや、何故お前が……?」
「それは……心配……だからじゃないッスか」
「待て待て待て待て、どういう風の吹き回しなんだ。晴彦も武器のセッティングとかシュピーゲルの調整とか色々やる事有るだろう?」
「二機の調整で残ってるのは火器管制システムだけなんスよ、消化器積むだけなら五分で終わるッス。それに今の王都には兵隊も少ないだろうし。最大出力のコルベットなら大きく迂回して行ってもすぐ着くッスよ。ぶっちゃけ……貧民街の人達がどれだけ信用できるのか分かんないッスから」
「なぁっ! ……そりゃまぁ……リアを衛兵に突き出しゃ小金は出るかも知れないけどよ……でも連中が裏切るとは……クソッ、なら俺も着いて行く! 構わねぇよな兄貴」
「だから、ちょっと待てお前ら。インラウスまで何を言い出す……」
「まぁまぁ真明さん。良いじゃないですかー、ねぇエリアスさん?」
「そうですね。こういった時に体を張って助けに来てくれる方にグッと来るものです。セラス様もそう思われませんか?」
「あぁ、そうだな。良いんじゃないか? それにしてもハルヒコが…………確かにリアは可愛いからな……」
何やら結託した様子の女性三人の援護射撃は、俺への集中砲火となって反対意見をゴリゴリと押しつぶす。
「…………仕方ない。晴彦、タスク部隊から護衛を二名付ける。それとインラウス……頼むぞ。」
「あ、あぁ! 任されたぜ!!」
「うふふー晴彦、頑張んなさいよ!」
多少、予想していない展開は有ったが、到達予測時刻まで九十分を切った。残された時間は少ない。
「……よし。繰り返すが、この砦と木壁は放棄が前提だ。存分に喰い付かせて時間を稼いだら外周防壁内に撤退しろ。カタパルト如きではあのミスリルの防壁は崩せないだろうが……何が有るか分からん。油断せず空からの攻撃にも警戒しておけ。その間に頃合いを見て俺達は、正面を迂回して本陣に切り込む。此処の指揮権はグスタブに移譲して行くが……グスタブ、一人も残して行くなよ」
「確かに。心得まして御座います。」
膝裏で椅子を引き、スッと立ち上がると周りを見渡す。皆の顔に浮かぶ表情は様々だ。
緊張に引き締まっている者。いつも通り笑っている者。武者震いを隠せない者。無表情な者。だが共通している部分が有る。決心なのか決意なのかは分からないが、確固たる意思の様な物が目に揺らめいている点だ。その迫力に押されて柄にも無い事をしてしまう。
背中からベネリを外すと中程を握り、さほど高くもない天井に向け、頭上に掲げる。
「……誰一人欠けるな」
すると誰ともなく、皆が各々の武器や手を頭上に掲げてくれた。
ある者は剣を。ある者は拳を。ある者は狙撃銃を。
「おぅ、守る為に」
「止める為に」
「帰る場所を守る為に」
「王国を取り戻す為」
「悲願成就の為に」
「亡き同胞の為に」
「……守る為に」
慌ただしく一斉に動き出した皆を見送ると、室内に残ったのは俺と獅冬の二人だけになった。
「さっきの。随分、サマになってたじゃねぇか」
「……勢いと言う奴だ、忘れてくれ」
「がははっ、まぁこっちはこっちでしっかりやるからよ。マサは貴族様にゆっくりご挨拶してこいや」
「そうさせて貰う。あの馬車に居るかは分からんが。……手土産は何が良いと思う?」
「そりゃ……酒か鉛玉の二択だろ、がははっ。…………夏美に悲しい思いさせんじゃねぇぞ。まんざらじゃねぇんだろ」
「!? それは……まぁ……な。」
「なら帰ったら、ちゃんと向い合ってやれ。俺も……後悔しねぇ様に、ってのを頑張ってみるからよ」
このタイミングで来るとは思わなかった。力なく左右に首を振ると長い溜め息が出てしまう。
「はぁ……分かった、約束しよう。ただし、獅冬の三度目の正直、にも期待させて貰うからな……」
「お、おぅよ! んじゃ……行ってこい!」
何故人は重大な局面において、やり残した決断を迫るのだろうか。あれがフラグと言う物だろうか……等と考えながら歩くうちに晴彦の手によって完全に整備された竜騎装の前にたどり着いた。表ではラフトに乗ったタスク部隊の隊員達が今か今かと指示を待って、待機しているだろう。
竜騎装の正面パネルに手を当てると、手のひらに吸い付く様に艶やかな曲面を保つミスリル製のボディはひんやりと冷たく、ざわつく心を落ちかせてくれる。
「……そろそろ行くか」
手を伸ばし、『ハッチ開』と書かれたハンドルをガチリ、と回した。
新年明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い致します。
ご感想お待ちしております。




